職場におけるコミュニケーションの断絶を、才能という観点から鮮やかに斬り、物語にしたベストセラー『 天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ 』。著者の北野唯我さんが本書の文庫化に伴い書き下ろした「AI(人工知能)・リモートワーク時代の『天才・秀才・凡人』」を公開します。リモートワークもAI活用も、一歩間違えれば天才の創造性を阻害する恐れがあります。天才を殺さないために、私たちはどうすればいいのでしょうか。
2019年の本書刊行から現在に至る数年の間に、私たちの働く環境は劇的に変化した。AIの飛躍とパンデミック下でのリモートワークの定着という二大潮流は、凡人・秀才・天才の才能関係とその発揮のされ方にも大きな影響を与えている。「文庫版のための追論」として、最新の知見を踏まえ、これら環境変化の下における才能の活かし方を考察し、「凡人が天才を殺さずに済む」組織づくりの新たな視点を提示したい。
(1)才能3分類の再確認:役割の違いであって優劣ではない
まず、議論の前提として本書で提唱した「凡人・秀才・天才」という才能の3分類を再確認したい。繰り返しになるが、この分類は決して人間の優劣を論じるものではなく、それぞれ価値観の軸の違いを示したものである。
凡人は共感性を重んじ、秀才は論理的再現性を重んじ、天才は創造性を重んじる――この軸の違いがコミュニケーションの断絶を生むことがあるというのが本書の主張だった。
重要なのは、誰しもが程度の差こそあれ三つの資質を持ち合わせており、環境や役割に応じて発揮される才能の比重が異なるだけだという点である。
たとえば、一人の人間の中に「周囲と調和する<凡人の顔>」「論理的に問題解決する<秀才の顔>」「独創的アイデアを生み出す<天才の顔>」が同居している。したがって、「自分は凡人型だから劣っている」あるいは「彼は天才型だから別格だ」という見方そのものが本書の意図に反することを改めて強調しておきたい。
この点を強調するのは、近年本書を読んだ方々の反応を見ても依然として「凡人=平凡で弱い存在」という誤解が散見されるからである。
確かにタイトルは刺激的だが、本書のテーマはむしろ「凡人・秀才・天才がそれぞれの強みを活かし協働するにはどうすべきか」にある。才能の多様性を前提とした上で相互理解を図ることが、個人レベルでも組織レベルでも不可欠だ。本書ではその相互理解を取り巻く環境変化を分析し、それぞれの才能を潰さず伸ばすための方策を提言する。
(2)AIの台頭:秀才の仕事の機械化と天才の価値の相対的高騰
近年のAI技術、とりわけディープラーニングを基盤とする生成AIの発展は、人間の担う仕事の範囲を大きく変えつつある。AIは過去データの学習によりパターン認識や予測を行うため、本質的には論理性・再現性を武器とする秀才型の能力に秀でていると言える。事実、経営の現場では既に定型的なデータ分析や最適化業務、あるいはプログラミングや文章作成の一部にAIが導入され始めている。
これは裏を返せば、人間の秀才的才能が担っていた業務領域をAIが肩代わりし始めているということだ。
その一方で、AIには未だゼロから全く新しい価値を創造する力(天才型の創造性)や人間の機微を汲み取る力(凡人型の共感性)は限定的だと考えられている。AIが得意とするのは既存知識の高速な組み合わせや大量データからのパターン抽出であり、前例のない発想や文脈を超えた洞察は、人間の直感やひらめきに依存する部分が大きい。
したがって、AI時代において相対的に価値が高まるのは天才型の創造性である。機械には生み出せない奇抜だが有用なアイデア、それを形にする想像力は、これまで以上に貴重な資産となろう。逆に言えば、平凡なアイデアやありふれたノウハウはAIが即座に模倣・大量生産できてしまう時代である。企業にとっても個人にとっても、「いかに人間ならではの創造的付加価値を発揮できるか」が競争力の要になりつつある。
しかし注意すべきは、AIの発展が天才の才能を殺す新たな凶器にもなり得る点である。
凡人(多数派)が意思決定権を握る組織では、多数決によって天才の奇抜な提案が退けられる危険性があると本書で述べた。
今後、この「多数派の論理」にAIが加担するとどうなるだろうか。AIは過去のデータから大勢に沿った判断を下しやすいため、斬新すぎるアイデアは「データ上の裏付けがない」「前例から逸脱している」としてAIの評価軸でも低く点づけされる可能性が高い。
本書の例で言うならば、たとえば、CANNA(本書の舞台となる会社)の経営会議にもし、最新のAIシステムが意思決定プロセスに組み込まれていたらどうだろうか。会議の中で、斬新なアイデアを次々と提案する天才型の社員の発言は、AIが過去のデータに基づいて評価する結果、「前例がない」として低く点数がつけられ、冷静な多数派の論理に押し流されてしまうだろう。
こうした現象は、単にAIの能力の問題だけでなく、組織全体の意思決定のあり方に根本的な課題を突きつけるものである。
つまり、AIという秀才的論理の権化が意思決定プロセスに組み込まれると、従来以上に前例踏襲・多数派寄りの判断が強化され、結果として天才の着想が埋もれてしまうリスクがあるのだ。実際、近年ではアルゴリズムによる意思決定が批判を受けるケースも出てきている(創造的な人材をAI面接官が弾いてしまう、といった報道もある)。
では、AI時代に天才の芽を摘まないためにはどうすればよいか。鍵となるのはAIを排除するのではなく上手に「凡人・秀才・天才」の協働に組み込むことだ。AIは秀才的なロジック作業を引き受けてくれる強力なツールである。天才型の人が生み出したアイデアを、AIの力を借りて迅速にプロトタイプし検証する、といった使い方は創造性の実現を加速させるだろう。
また、後述するようにリモート環境下ではデジタルコミュニケーションが主流となるが、そこでもAIの自然言語処理能力は活用できる。たとえば、尖った提案をする天才肌の社員のメールや提案資料を、AIが凡人にも伝わる平易な表現にリフレームする、といったことも技術的には可能になりつつある。これは人間で言う「共感の神」に近い橋渡し役をAIが担うイメージである。
もっとも、AIには文脈の理解や受け手の感情への配慮といった繊細さで人間に及ばない部分も多い。あくまでAIは秀才の延長と位置づけ、人間(凡人・秀才)の側が天才の価値を正しく評価するための補助線として使う――このような姿勢が求められよう。
要するに、AI時代とは「秀才の仕事の一部は機械に任せ、人間はより創造と共感に集中する時代」である。ただし皮肉なことに、機械化が進むほど人間社会ではかえって創造性が貴重になる反面、その創造性が少数ゆえに埋もれやすくなるという二面性が生じる。
組織がこの二面性を乗り越えるには、次に述べるようにコミュニケーションのあり方をアップデートする必要がある。
(3)リモートワーク時代のコミュニケーション:距離を超えて「共感の神」は現れるか
本書の中心命題は「才能が殺される原因の99.9%はコミュニケーションの断絶である」という点にあった。
では、人々が直接顔を合わせないリモートワーク全盛の時代、この命題はどのような意味を持つだろうか。
結論から言えば、リモートワークは才能の断絶リスクを従来とは異なる形で増大させ得る。対面であればこそ伝わった微妙な熱意やニュアンスが、スクリーン越しでは感じ取られず共感が生まれにくい場合がある。
たとえば、ある社員(天才型)が画期的なアイデアを提案したとしよう。それが会議室でのプレゼンであれば、熱量や身振り手振り、空気感によって他の参加者(凡人・秀才型)にも「なんだかわからないが面白そうだ」という感情が伝播したかもしれない。しかしリモート会議では、どうしても情報は限定的で事務的なやりとりに終始しがちだ。その結果、革新的提案への熱量共有が不足し、凡人・秀才型の多数派から「そこまで言うほどのことか?」と冷静に判断されてしまうかもしれない。
本書のシーンで言うならば、青野が自らの情熱を込めて会議でプレゼンテーションを行ったとき、もしリモート会議だったとしたらどうだろうか。彼の身振りや空気感はスクリーン越しでは十分に伝わらず、参加者の間では「数字や文章の羅列」という冷静な評価に終始してしまったかもしれない。
実際、リモートワーク下ではイノベーション創出に必要な偶発的コミュニケーションが減少するとの指摘がある。
オフィスであれば部署を超えた雑談や休憩時間のひらめき共有といった「water-cooler talk」から生まれるアイデアがあったが、在宅勤務では用件のあるミーティング以外で異分野の同僚と交流する機会は少ない。これでは凡人と天才がお互いを理解する接点も減り、双方が相手の思考回路を想像する機会が乏しくなる。「見えない人の考えは理解しにくい」のは当然のことで、結果としてリモート環境は才能間の溝を放置しやすい土壌ともなり得る。
ではリモートワーク時代において、凡人と天才をつなぐ「共感の神」の役割は誰が担うのか。それは新しいリーダーシップ像として問われている。共感の神とは本書で、天才の才能を見極め凡人にその価値を伝える潤滑油的人物であった。
従来はプロジェクトマネージャーや中間管理職、あるいは非公式な社内キーパーソンがその役を果たすことが多かった。しかし物理的距離がある今、組織は意識的にデジタル空間での共感の神を育てる必要がある。具体的には、リモート会議のファシリテーター役に秀才・凡人型の人材を配置し、天才型のメンバーが発言しやすい場を設計することが有効だろう。発言内容をその場で言い換えたり補足したりして「翻訳」し、他のメンバーの理解を促すスキルが求められる。
また、人事制度的にもリモート下で埋もれがちな貢献(斬新な発想や知的好奇心の共有)を正当に評価する指標を導入することが考えられる。従来のKPI(重要業績評価指標)は秀才・凡人型の成果(再現性のある業績やチームへの共感貢献)は測れても、天才型の創造性は測りにくいという問題があった。
リモート環境ではこの傾向がさらに強まるため、たとえば「新規アイデア提案数」「知見共有への参加度」など創造と共感を可視化する評価軸を設け、才能の発露を後押しすることが有用だ。
さらに、ハイブリッド勤務の利点も活かしたい。完全なリモートではなく部分的に対面の場を組み合わせるハイブリッド型が、多くの調査で生産性と創造性のバランスに優れるとされている。
たとえば「週に複数回はチーム全員が出社してブレストする」など、リアルな場で共感と信頼を深める仕掛けを組織に組み込むことも、共感の神的な役割を全員で担う環境づくりと言える。実際、ある研究では「ハイブリッド勤務ではチーム全員が同じ日にオフィスに集まるよう調整すべきだ」と提言している。これは柔軟性を一部犠牲にしてでも対面での同期化を図ることで、リモートによるコミュニケーションの断絶を予防する戦略だ。組織はこうしたエビデンスに基づき、距離に左右されない共感ネットワークを築くことが求められる。
(4)おわりに:変化に適応し「才能を殺さない」組織文化へ
AIの進化と働き方の多様化という激動の時代にあっても、人間の本質的な悩み――「人の才能をどう活かし合うか」――は不変である。本書が描いた凡人・秀才・天才の物語は、形を変えつつ現代の職場でも繰り返されている。だからこそ我々は環境変化に適応しながら、才能を殺すことなく伸ばす組織文化を醸成していかねばならない。
ここまで見てきたように、AI時代には機械との協働を前提に人間の役割を再定義する必要がある。創造性と共感性という人間ならではの強みを鍛え、それを阻害しないようデータやロジックの使い方にも慎重さが求められる。またリモートワークの浸透した職場では意識的に「人と人をつなぐ仕組み」を設計しなければ、知らぬ間に才能が埋没してしまう恐れがある。心理的安全性を確保しつつ多様な声が上がるオンライン文化、そして必要に応じて対面で熱を共有できる場――この両面を備えた柔軟なコミュニケーション体制が鍵となろう。
最後に、才能を活かすも殺すもそれを取り巻く人間の理解と信頼次第であることを改めて強調したい。AIがどれだけ発達しようと、最終的に人の可能性を信じ引き出せるのは人自身である。凡人は多数派ゆえに保守的になりやすいが、同時に共感という力で天才を支えるポテンシャルも持つ。秀才は合理性を追求するあまり新奇さを排除しがちだが、その知性を持って橋渡し役にもなれる。
各々が自らの立場と役割を自覚し、相互補完し合うことで、どんな環境変化の中でも「才能が才能を殺さない」組織が実現できるだろう。本書で提示した知見が、AIとリモートワーク時代を生き抜く読者一人ひとりの指針となれば幸いである。
