さまざまなデータから人類の過去と未来を読み解いた新刊『 人口崩壊 データで見る人類の過去と未来 』(土方奈美訳、日経BP)。本書の著者で、テキサス大学オースティン校の准教授であるディーン・スピアーズとマイケル・ジェルーソが警鐘を鳴らすのは、「現在の地球上の人間の数は多すぎで、環境負荷や食糧問題を考えれば、少し減ったほうがいい」などの、人口に関する人々の誤った思い込みです。本連載では、「人口減少で脱炭素化を達成できるか」などの科学的な考察以前にまず手放すべき人口と環境負荷に関する思い込みを、書籍から抜粋して紹介します。2回目は「環境と人口に関する意外な事実」について。
環境問題と人口についての「直感に反する事実」
子どもの数が1人増えることは、環境にとって何を意味するのだろう。「あらゆる面で環境を悪化させる」といった単純な話ではない。ほんの20〜30年前、アメリカで最も差し迫った環境問題は大気中の鉛粒子、成層圏のオゾン層破壊、そして酸性雨だった。では後知恵の力を借りて、人口増加はそれぞれの問題にどのような影響を与えたか見ていこう。
著者の1人、マイケルの息子エメットは2013年に生まれた。エメットが生まれたことは、大気中の鉛粒子の濃度増加につながらなかった。エメットは生まれてこの方、有鉛ガソリンを使う車に乗ったことがない。それはアメリカ国民が、鉛を含む排気ガスを呼吸することは容認できないと決めたからだ。米国環境保護庁は1970年代に、有鉛燃料の段階的廃止に着手した。
エメットが生まれたことは、フロンを排出して地球を守るオゾン層を破壊することにもつながらなかった。世界の先進国は1987年の国際合意(モントリオール議定書)で、さまざまなクロロフルオロカーボン(CFC)の使用を禁止したからだ。
酸性雨は1990年代には小学生が理科の時間に学習するような重要な環境問題だった。だがエメットが生まれたことで酸性雨の降雨量は増えなかった。米国政府がその原因となっていた二酸化硫黄の排出を抑えるため規制措置をとったからだ。
人口増加が必ずしも温室効果ガス排出量の増加につながらない理由
気候変動など今日私たちが直面する環境問題のなかには、すでに過去の問題となった鉛汚染、オゾン層の破壊、二酸化硫黄排出などより深刻なものもある。いずれエメットに子ども(マイケルの孫にあたる)が生まれたら、その子は2100年をはるかに超えて生きるはずだ。ただ彼らの生きる世界では、温室効果ガス排出もまた過去の問題となっているかもしれない。差し引き(ネット)排出量がゼロになった時代まで生きているかもしれない。
そうだとすれば、その間に生きた人々が温室効果ガス排出をやめると決断し、それを実現するための政策やインフラをつくったからだ。そのような未来は私たちが選択できるものであり、地球上の人口の多寡とはほぼ無関係だ。
結局のところ鉛汚染、オゾン層破壊、酸性雨の問題を解決するための技術、規制、条約によって、人口増加が続くなかで環境は改善していったのだ。地球上に人が1人増えることが、温室効果ガスの排出、生物多様性、土地利用、粒子状物質による大気汚染など喫緊の課題に与える影響は、私たちの選択によって決まる。
どうすれば「空気をきれいに」できるだろうか
前回の森の中の小屋の話はたとえ話だ。マイケルの孫が生きるかもしれない世界の話は憶測だ。ここで事実、すなわち今日私たちが測定でき、知ることのできる事柄に話を戻そう。
大気汚染の進行は、人口増加と正比例の関係にあるのか? それについてデータからわかる事実は次のとおりだ。中国の大気汚染が改善していることはすでに述べたが、それは中国だけの話ではない。粒子状物質による大気汚染への曝露(ばくろ)量の世界平均は、2015年以降急速に低下してきた。その間、世界人口は7億5000万人増えている。
過去と現在を比較すると、「人口が増えれば問題も増える」というのが事実ではないことがわかる。では時間ではなく、場所で比較するとどうか。
図3-1は大気汚染と人口密度の関係を示している。1つひとつの点は国を表す。個々の国についてPM2.5(直径が2.5マイクロメートルであることからこの名がついた)と呼ばれる微粒子の濃度という標準的指標を使い、年間の粒子状物質による汚染への曝露量を示す。縦軸に沿って点の位置が高くなるほど汚染度が高い。また横軸に沿って右へ行くほど人口密度が高くなる。
大気汚染は政治的に定められた国境の枠内に完全に収まっているわけではない。風に飛ばされ、ときには遠くへと飛散することもある。ただその被害の大部分は発生源の近くで起こる。だからこの図からは、各国がどのような環境政策および産業政策を選択したかがうかがえる。
アメリカは図の下方、左寄りにある。人口密度はあまり高くない。汚染度もさほど高くない。山火事の多い季節には一時的に大気質が悪化することもあるが、その広大な空や雄大な山々が粒子状のもやに悩まされることはほとんどない。
インドの空気は、石炭火力発電所、野焼き、工業、建設などさまざまな発生源から立ち上る煙にまみれている。図3-1を見ると、インドは最も汚染度の高い国の1つだが、インドに詳しい人なら特に意外ではないだろう。
インドとアメリカという2つのデータポイントしかなければ、「人口が増えれば環境汚染は悪化する」という誤った結論に行きつく。だが本書では断片的なエピソードではなく事実を重視する。不完全な比較に惑わされるつもりはない。世界全体を見渡すと、点は無秩序に散らばっている。PM2.5と人口密度の間には相関性はまったくない。
統計的相関性がない場合、データはどのようにばらけるかを学生に示す例が必要なら、この図が使える。日本と韓国はインドと同じくらい人口密度が高いが、国民ははるかにきれいな空気を吸っている。ニジェールはアメリカより人口密度が低いが、大気汚染はひどいものだ。
中所得国を中心に、人口密度が低い国々のなかにはPM2.5の濃度が高いところもある。それは発電に石炭を使っているからだ。ニジェールのように最も所得水準の低い農業国で大気汚染物質の濃度が高いのは、農業廃棄物を燃やすためであり(貧しい農民にとって、翌年の作付けに備えて畑をきれいにするには、それが最も安上がりな方法だ)、また調理や暖房のために薪(たきぎ)や動物の糞などの伝統的燃料を燃やすためだ。世界的にPM2.5の二大排出源は石炭火力発電所と、農産物や固形燃料を燃やすことだ。
日本や韓国の人々は、人口密度が高いにもかかわらず空気を汚さず繁栄を謳歌している。それは両国がそれぞれの粒子状物質による大気汚染を海外移転することに成功したためではない。日本、韓国、ヨーロッパ、ほかにも多くの先進国で農業は今も営まれている(実際のところ、かなり大規模に)。エネルギー消費も多い(石炭を燃やす貧困国よりはるかに多い)。こうした国々の大気汚染が少ないのは石炭や農産物を燃やさないからだ。
人口増加とともに大気汚染が進むかどうかは、国民や政府の行動で決まる。経済発展を遂げつつ、大勢の豊かな国民が密度高く暮らし、空気もきれいな社会をなんの矛盾もなく実現することは可能だ。社会がきれいな空気を維持するのに必要な投資をし、規則を施行すれば、それは実現する。通常、その出発点となるのは国民の意識の高まりだ。
かつてメキシコシティの空はひどく曇っていた。今では真っ青だ。環境ライターのデビッド・ウォレス・ウェルズがその進歩の模様をつづっている。
メキシコシティの大気汚染がデリーよりもひどかった1990年代、10歳と11歳の子どもたちに空の色を尋ねたところ、80%が「灰色」と答えていた。(中略)「青」と答えたのはわずか10%だった。今日のメキシコシティは「世界の最も大気汚染のひどい街ランキング1000」にようやく顔を出すレベルで、空気は有名な自転車レースのゴール地点であるフランス北部の町、ルーベ並みにきれいだ。
もちろん、すべてが順調なわけではない。残念ながらインドの大気質は好ましくない方向に向かっている。メキシコと異なり、インドの国民の粒子状物質への曝露量はここ10年で悪化している。著者の1人であるディーンは2019年、インドの大気汚染への関心を高め、行動を促すために『空気(未邦訳)』という本を書いた。
一方、本書が問題にしているのは、人口減少によってそうした問題が解決するかだ。裏を返せば、未来の人口が多いほど大気汚染は悪化するのか、という問いである。データはそれを裏づける根拠を一切示していない。人口減少を大気汚染の解決策として使うのは間違っている。
理論上、人口規模と粒子状物質による大気汚染の間に必然的関係はない。歴史的事実を振り返っても、現実的関係もない。たまたまそういう結果になっているわけではない。人間の集団が環境とかかわったときに何が起こるかは、彼らの行動で決まる。
ディーン・スピアーズ、マイケル・ジェルーソ(著)、土方奈美(訳)/日経BP/2420円(税込み)


