さまざまなデータから人類の過去と未来を読み解いた新刊『 人口崩壊 データで見る人類の過去と未来 』(土方奈美訳、日経BP)。本書の著者で、テキサス大学オースティン校の准教授であるディーン・スピアーズとマイケル・ジェルーソが警鐘を鳴らすのは、「現在の地球上の人間の数は多すぎで、環境負荷や食糧問題を考えれば、少し減ったほうがいい」などの、人口に関する人々の誤った思い込みです。本連載では、「人口減少で脱炭素化を達成できるか」などの科学的な考察以前にまず手放すべき人口と環境負荷に関する思い込みを、書籍から抜粋して紹介します。3回目は「未来世代が生み出す二酸化炭素」について。
子どもの環境負荷は小さくなりつつある
著者が『ニューヨーク・タイムズ』に発表した記事への読者からの反論に、気がかりなものがあった。「子どもたちほど炭素排出量を増やすものはない」。
たしかに私たちが子どもだったころは、それは事実だったかもしれない。著者は1980年代から90年代にかけて、アメリカ郊外の自動車文化華やかなりしころに育った。ただ、未来に生まれる子ども、そして過去に生まれた子どもがみな、私たちのように環境を汚染していたわけではない。今日の炭素排出型経済が誕生する10万年前に生きていた人々は違った。では炭素排出型経済の終焉後に生きる人々はどうか。
ハナ・リッチーは現代を代表する「ファクト・キーパー(事実の記録者)」だ。オックスフォード大学を拠点とする非営利組織で『アワー・ワールド・イン・データ(データで見る世界)』編纂(へんさん)の責任者を務めていた。
2024年の著書『これからの地球のつくり方 データで導く「7つの視点」』に、こう書いている。「祖父母が二〇代の頃にはイギリスのひとりあたりの二酸化炭素排出量は年間一一トンだった。今は五トンにも満たない」。さらにこう続ける。「これは一見、信じがたいことだ。私が生きている今の方が一九五〇年代よりもサステナブルなんてことがあるのだろうか? 私の方が祖母より倹約しているはずもない。私の方が無駄が多いのは確かだ。私は暖房をつけっぱなしにしたりもする。電子機器の充電時間も長い。それでも私の方がエネルギーの消費量は少ないし、炭素の排出量も少ない。それはテクノロジーのおかげだ」。
まさにそのとおりだ。そして国民の意識変化が政策変化につながったことも寄与している。
アメリカでは国民1人あたりの年間炭素排出量は、20年以上にわたって減少しつづけている。
毎年の1人あたり排出量が減少しつづけているならば、一生涯の排出量はどうか。またイギリスやアメリカなど国単位ではなく、世界全体で見た場合の答えはどうか。
図3-5は子どもが1人生まれた場合の炭素排出量の増加(「ベビーバンプ」と呼ばれる)の世界平均をプロットしたものだ。どの時代に生まれた(生まれる)かによって、一生涯(寿命は80年とする)の排出量がどれだけになるかを示している。
グラフのスタート地点は1900年より前で、過去の排出量データを使い、炭素集約型ライフスタイルの誕生と衰退を浮き彫りにしている。想定している未来は、脱炭素化について悲観的想定をした場合と同様、地球気温が4度上昇する未来だ。つまり人類の脱炭素化にはあと100年かかるという、できれば実現してほしくない、そして実現する見通しの低い未来だ。
グラフはまず人類が環境を汚染していた過去の世界平均をたどる。もちろん世界の平均的子どもというものは存在しない。このようなモデルは気候科学者が未来を予測し、政策立案に役立てるための手段で、完全ではないが全体像を見るのには役立つ。
裕福な赤ちゃん(上流階級という意味ではなく、アメリカのような豊かな国で生まれる赤ちゃん)のほうが炭素排出量で見た場合の環境負荷は大きい。インドのウッタル・プラデーシュ州やアフリカなど貧しい国々で生まれる赤ちゃんのほうが粒子状物質による大気汚染を引き起こす可能性は高いが、炭素排出量は少ないだろう。
新たに生まれる子どもの生涯炭素排出量(カーボン・フットプリント)が何トンかにかかわらず、世界平均は1970年代にピークを打ってから低下しつづけている。
排出量は工業化の1世紀を通じて増えつづけた末に、山を越えたことをグラフは示している。今日世界で生まれる平均的赤ちゃんは、10年前に生まれた赤ちゃんたちほど生涯にわたって地球温暖化を加速させない。そして今から10年後に生まれる赤ちゃんは、今日生まれる赤ちゃんほど温暖化を加速させないだろう。
新たに生まれる子どもの環境コストはゼロではない。それが実現するのはまだ先のことだ。ただたしかに低下しつづけている。これから人類史の仲間入りを果たす人はみな、あなたが生涯にわたって排出するほどの二酸化炭素を排出しない。さほど遠くない過去に生まれたあなたも著者も、人類が大気に最悪の仕打ちをしていた時期に加担している。
世界を全体として見れば、赤ちゃん1人が生涯にわたって気候に与える負荷は低下しつづけている。2025年に生まれる赤ちゃんは、2075年には気候対策が大幅に進展した世界で中年期を過ごしているだろう。
環境保護の闘いではタイミングがすべて
これからの50年は特別な時期になる。今後何世紀にもわたって地球がどれだけ強靭かつ健全でいられるかがここで決まるからだ。今から2050年までのあいだに、世界人口はピークあるいはその近くに達する。運が良ければ二酸化炭素やその他有害物質の排出もピークを打つだろう。(中略)つまりこの特別な時期と向き合い、なんとかこの50年を切り抜ける責任は、今生きている私たちが担うことになる。
環境活動家で作家のビル・マッキベンは1998年の著書『せいぜい1人 小さな家族のススメ(未邦訳)』でこう述べ、小さな家族を選択することが環境問題の解決に役立つと主張した。
とはいえマッキベンの名を世に知らしめたのは同書ではない。『自然の終焉(未邦訳)』の著者、あるいは環境団体「350ドット・オルグ」の設立者、そして環境保護運動の世界的リーダーとしてよく知られている。『せいぜい1人』でマッキベンは、地球のために小さな家族を検討するよう求めた。その筆致は思いやりにあふれ、人々に特定の生き方を指図するものではなかった。
著者は『せいぜい1人』の主張のすべてには同意しない。私たちが重要視する人口倫理学の視点が欠けているからだ。また経済成長に対するマッキベンの理解は、ウッタル・プラデーシュ州に生きるシーマのような人々のそれとは異なる。後者にとって経済成長とは、乳児の生存率を高め、誇りを持てる仕事に就く機会を創出する物質的進歩だ。
それでも『せいぜい1人』は人間味のある本だ。私たちは環境問題に関するマッキベンの見解の多くに同意するし、人口の果たす役割についてはマッキベンと考えが一致する部分がある。気候変動との闘いにおいては「タイミング」がすべてだ、という点だ。マッキベンは次のように説明している。
重要なことだが、私は子ども一人世帯が恒久的解決策だといっているわけではない。明らかに、それは違う。そんなことになれば世界人口は最終的に誰も望まないほど少なくなるはずだ。本書を50年後に自然消滅する紙に書けるなら、そうする。来世紀半ばには、私たちの人口、技術、願望、命運は今とは根本的に違っているはずだ。再度のベビーブーム到来を願っているかもしれないし、願っていないかもしれない。たしかに予想する方法はない。みなさんが50年後の未来に黄ばみかけたこの本を手にすることがあったら、単なる歴史的資料として扱ってほしい。
1998年の時点でマッキベンは、家族の規模が気候問題に影響を及ぼす期間を「今後50年」と考えた。子どもたちの環境フットプリントが未来永劫、大きいままであることはなく、やがて状況は変化すると予見していた。
マッキベンの50年後は、まもなく私たちの現実となる。みなさんが本書を手にするころには、マッキベンのいう「これからの50年」のはじまりより終わりに近い。そして現時点ではマッキベンのいう「これからの50年」の間に、人口規模を有意に変化させる時間はもはや残されていない。
マッキベンの「これからの50年」の残りの期間は、気候変動対策を進め、それ以外の環境負荷の大きい人間の活動も抑制していこう。それは近未来と遠い未来の両方において、人間と人間以外の動物の多くの命や暮らしを改善するだろう。
その間、人口問題について余計なことを考えるのはやめよう。気候変動は事実に基づく思慮深い対策を要する重要な問題だ。みなさんは自らの人生や家族について、自分が最善と思う判断を下せばいい。人口トレンドを操作することは、21世紀の気候問題を解決するために優先的に取り組むべき対策のリストには含まれていない。
ディーン・スピアーズ、マイケル・ジェルーソ(著)、土方奈美(訳)/日経BP/2420円(税込み)


