「とにかく覚えさせるのが、学校の成績アップの近道だと思っていた。でも、それは子どものためにはならないのかもしれない」。こんな感想が寄せられているのが、書籍『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)です。本書の背景にあるのは「人は、聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるもの」という考えであり、これは認知科学における「常識」だと今井むつみさんは指摘します。この常識を知らないばかりに、多くのトラブルや悩みが起こっているというのです。本パートでは引き続き、同書から抜粋して、子育てや教育の現場で起こりがちな「伝わらない」の本質的な原因に迫ります。6回目は、「覚える」について。使える知識・使えない知識について見ていきます。

「とにかく覚える」は特殊技術である

 「忘れる」ことは人間にとって重要な能力ではありますが、この記憶容量の小ささは、ちょっとした問題のもとに他なりません。
 「言われたのに、忘れてしまう」「必要な知識が覚えられない」ことが起こってしまい得るからです。

 ちなみに、世界には「記憶力選手権」などの競技もあるように、覚える工夫をすることで、短時間に大量の情報を記憶する方法があることもわかっています。「記憶術の達人」が書いた本も数多く出版されていますが、その中で紹介されている「大量の情報を一気にインプットする」方法として有名なのは、ローマ人が「場所法」と呼び、のちに「記憶の宮殿」と称されるようになった方法です。

 これは自分になじみのある場所を思い浮かべ、そこに記憶しておきたいものを「置いていく」方法です。例えば「バナナ、洗剤、卵、ティッシュ、牛乳」という買い物リストを暗記したいなら、「自分の家の玄関のドアノブになぜかバナナがぶら下がっている」というところからスタートし、「応接間は洗剤が泡立っていて、廊下には牛乳、階段には卵が落ちていて……」というふうに景色を描いていきます。思い出すときには、バナナがぶら下がっている玄関のドアノブを開けばいいのです。
 この「記憶の宮殿」に置く際のイメージは「面白くて、下劣で、奇想天外なほどいい」といいます(『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・フォア著、梶浦真美訳、X-Knowledge)。

(イラスト:スタジオびりやに)
(イラスト:スタジオびりやに)
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 その反面、こうした記憶術の達人たちは、積極的に「忘れる」ことも取り入れていると聞きます。
 例えば日本では、百人一首をはじめとする「かるた」の大会がありますね。こうした競技の選手は、自分の前に並べた札の位置を暗記しますが、次の試合のときに「前の試合の札の位置」が記憶に残っていると、間違ったところの札を払ってしまうといいます。前の記憶を消し、新しい記憶を上書きする。その訓練が必要なのだそうです。
 単に「覚えておければいい」というのとは違う、記憶(と忘却)の能力が求められることがよくわかります。

子どもの学びに必要な記憶とは?

 以前、棋士の島朗九段の本を読んだ際に、どのように将棋を勉強したかが書かれている箇所がありました。将棋は、まさに膨大な量の記憶が求められる職業です。どれだけの盤面を経験し、記憶するか、また試合の中で引き出せるかが、勝敗を分けるともいわれています。

 その本で島さんは、「とにかくその棋譜(きふ)を徹底的に暗記する」と書かれていましたが、実はその暗記は、私たちが普通に思う「暗記」とはずいぶん違っています。
 ある定石を学んだら、それを完全に再現できるまで何度でも考えながら再現してみるそうです。そしてそれを「自分の立場と対戦相手の立場の両方」から行うといいます。
 ある定石を身につけるために、誰かの勝負の棋譜を使い、勝った人の立場からそれを再現する。そして同じく負けたほうの立場からも再現する。島さんはここまでやって、やっと「暗記できた」という解釈なのですね。

 これは、普通に考える「暗記」ではありません。分析し仮説を立てて検証している、あるいは記憶にタグづけしてカテゴリー化をしている、ともいえるでしょう。
 このように、「暗記」という言葉は、かなり広い範囲で使われており、多くの「暗記はいいものか」といった議論では、この「暗記」という言葉の定義があやふやなまま用いられているように思います。

 言葉通りの暗記であれば、丸暗記をしたからといって、それが身につくわけではありません。そこから先、身につけるところまで繰り返したり、分析したり検証したりするのかどうか。
 そうすることによって、大事なところや既存の知識に紐づけられるところは記憶に残り、そうでないところは消え去っていくのです。

「うまく伝わらない」という悩みの多くは、「言い方を工夫しましょう」「言い換えてみましょう」「分かってもらえるまで何度も繰り返し説明しましょう」では解決しません。人は、自分の都合がいいように、いかようにも誤解する生き物です。では、都合よく誤解されないためにどうするか? 自分の考えを“正しく伝える”方法は? 「伝えること」「分かり合うこと」を真面目に考え、実践したい人のための1冊です。

今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)