経営学者の楠木建氏は、クラシコムを「積分的な経営」の代表例と見る。クラシコムは、一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻が主催し、優れた戦略を実行して収益を上げる企業を表彰する「ポーター賞」を2021年に受賞している。今回は、同賞の運営委員も務める楠木氏とクラシコム代表の青木耕平氏が改めて対談。クラシコムの独自性とAI時代のこれからの企業戦略について深掘りする。[日経クロストレンド 2026年10月22日付の記事を転載]

一橋ビジネススクール特任教授で、長年にわたり企業の競争戦略について研究をする楠木健氏(右)とクラシコム代表の青木耕平氏(左)が対談。クラシコムから見えるこれからの時代の競争戦略とは(写真/古立康三)
一橋ビジネススクール特任教授で、長年にわたり企業の競争戦略について研究をする楠木健氏(右)とクラシコム代表の青木耕平氏(左)が対談。クラシコムから見えるこれからの時代の競争戦略とは(写真/古立康三)
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楠木さんは、経営戦略を長く見てきた立場からクラシコムはどのように見ていますか?

楠木建氏(以下、楠木) 僕は長く「ポーター賞」に関わってきました。ポーター賞は、独自性のある優れた戦略を実行して高い収益性を上げている企業や事業を表彰するもので、結果ではなくその「理由」を掘り起こす賞です。

 20年以上関わってきて思うのは、文字にしたときに分かりやすい会社と、分かりにくい会社があるということです。クラシコムは2021年度にポーター賞を受賞しており、そのときに思ったのはクラシコムは極端に分かりやすい企業であるということです。今回出版された書籍『 熱狂しない経営 「北欧、暮らしの道具店」クラシコムが20年磨き続けた“らしさ”の正体 』を読んでみても、「こういう会社なんだな」と、改めて分かりやすいと思いました。

 なぜかと言うと、言葉に厳密であるからです。そもそも経営は一人ではできません。自分以外の誰かが関わる以上、言葉が必要になる。言葉にしなければ伝わりませんから。クラシコムは言葉にすることをとても大事にしている。これは「考える経営」とも言えます。「考える」ことの正体は、つまり言語化です。これがクラシコムの非常に大きな特徴だと思っています。

 「考える経営」とはどういうことなのか。「考え」の中身は、横糸と縦糸でできているように思うんです。

 横糸は、「概念」です。考えるということはある種の抽象化であり、クラシコムは自分たちが大切にしていることを抽象化し、理念体系を明確に打ち出している(理念体系の詳細は参考記事に)。

 一方、縦糸は抽象と具体の往復です。「要するに」と抽象化し、「だとしたら」と具体に降りてくる。採用も商品開発もコンテンツ制作もプロモーションも、抽象化された考えから忠実に具体に降りている。その繰り返しで思考がどんどん進化していくわけです。

 この縦糸と横糸で織られ、クラシコムの姿は厳密に言語化されています。つまり論理的に筋が通っていて、「なんで」が説明できる状態なんです。だから社員だけでなく、お客さんも巻き込んだ経営ができている。これが、この本(『熱狂しない経営』)から見えてくるクラシコムに関する僕の感想です。

楠木氏は、企業が持続的な競争優位を構築する論理を研究。著書に『ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)(写真/古立康三)
楠木氏は、企業が持続的な競争優位を構築する論理を研究。著書に『ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)(写真/古立康三)
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青木耕平氏(以下、青木) とてもうれしいです。おっしゃっていただいた通り、説明可能性を高めることは僕が心掛けてきたことの一つです。一方で、心掛けざるを得なかったことでもあります。

 例えば、僕に権威あるバックボーンや、相手を迫力で動かす力があれば、説明という回りくどい方法は要らなかったでしょう。でも僕にはどれもなかった。残されたのが説明だったんです。

 すべての人が理性的だと仮定すれば、説明が付くこと以上のパワーはないはずだと思うんです。筋が通っていれば、多少好きじゃなくても「ちょっとは手を貸してやるか」と思ってもらえるでしょう。

 実は、創業当初に楠木先生の著書『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)を読むまで、筋が通っていることは「論理的であること」だと思い込んでいました。でもそうではなく、「一貫している」ことなんだと認識を改めました。一貫していることと論理的であることは別で、要するに「汎用的である必要はない」という気付きがあの本であったんです。

 特に、資本市場では再現性が評価されますが、楠木先生は「経路依存性にこそ競争戦略上の極めて高い価値があり、話が面白いことが大事」だと書かれていた。あれで「筋が通る」の意味が質的に変わりました。

 クラシコムは、条件がそろわないとまねできないことや、経路依存性のあるやり方をすることもあるので、「再現性がない」「フロックだ」と見られることも多い。自分では明快なつもりでも、世の中の再現性のあるやり方とは違うので、20年間分かりにくいと言われてきました。だから開口一番「分かりやすい」と言っていただけたのがうれしいです。

「法則」はないが「論理」はある

楠木 今のお話は、「法則はないけど論理はある」ということだと思います。法則は、例えば「E=mc2」のように、いつ誰が観察しても同じ、つまり再現性がある。

 一方、論理は再現性を必要としません。「いろいろあるけど要するに」ということです。クラシコムなら「こういうことだ」と説明できるし、それに同意しない人がいてもいい。

 そういう言語による論理ほどROI(投資対効果)が高いものはありません。人を動かす手段として、インセンティブ、カリスマ、情熱などいろいろありますが、それらと並べると言語による論理がROIは一番高い。

 それは、経路依存性とも関連しています。インセンティブはすぐに当たり前になってさらに追加していく必要が生まれるし、情熱もだんだんと普通のことになっていく。経路依存性とは、簡単に言うと積み重ねのことで、時間を長く取るほど言語による説明はますます効率が良くなるのだと思います。

青木さんは以前、理念体系やマネジメントの構築について、人文学的に精緻に言葉を整理し、時代に合わなくなれば柔軟に変える、とおっしゃっていましたね。

青木 言葉の定義を共有していることがすごく重要なんです。僕が「論理と一貫性」と言ったのを「論理と法則」と言い換えていただいたことで、伝えるべきことの振れ幅が狭まって効果が増しました。

 クラシコム社内には、僕が書いた12万字ほどの「マネジメント・プレイブック」があります。すべてを読んでいる人はいないと思いますが、マネジメント上の用語はそこで定義してあります。言葉の定義ができていれば、議論は早い。迫力もインセンティブも介在する余地がないんです。

 今回の本のタイトル『熱狂しない経営』も、言い換えればROIの高い、エネルギーを節約する経営ということを示していると感じています。

「言葉」を整備し、熱狂に頼らない企業運営を進める青木氏(写真/古立康三)
「言葉」を整備し、熱狂に頼らない企業運営を進める青木氏(写真/古立康三)
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「微分的経営」と「積分的経営」

楠木 法則は戦略にはなり得ません。法則は一般性、つまり収斂(しゅうれん)です。みんなが同じ法則を適用すれば違いがなくなる。だから、定義からして戦略に法則はないわけです。

 ただし、良い戦略の論理はあります。経営には大きく分けて「微分的な経営」と「積分的な経営」があると考えています。

 微分的経営は、単位時間当たりの変化を最大化しようとする考え方。前年比70%成長のグロース企業や、1日でフォロワーが何千人増えたというD2Cの「バズ」を軸にした取り組みなどがそれです。

 クラシコムはその対極で、極めて積分的です。積分というのは大きな変化率ではなく、長く積み上げていくことで面積を大きくする考え方。横軸が長いことが絶対条件ですから、効きは早いが持続しない情熱やインセンティブに頼らないのは自然なことです。クラシコムはここに強い一貫性を感じます。

 (クラシコムが描く)ライフカルチャー×D2Cというスタイルは、インターネットの一般化以降、みんながやろうとしたことです。ですが、これほど「言うはやすく行うは難し」なものはなくて、ほとんどがクラシコムのようにはできていない。

 なぜかと言うと、デジタルは何でも可視化して“微分”できるので、人を微分的な方向に誘うんです。その結果、「ブランディング」に走ってしまう。ここで言うブランディングとは、企業側からブランドをつくるぞという「Brand+ing」の意識です。

 でも、本来のブランドとは「振り返るとそこにあるもの」で、積み上げの結果そうなっているというもの。僕はこれを「ブランデッド」と言っています。クラシコムは極端にブランデッドな会社で、積分的な考え方で時間軸を長く取っていることがすごく一貫しているように見えます。

 でも、これは人間の本能的な欲求に逆行するのでなかなか難しい。事業を始めるのはエネルギーがある人が多く、どうしても“微分”に向かってしまう。「ウケを狙う」のと「結果的にウケている」のは全然違って、結果的にウケるほうが大切なんですが、みんなウケを狙いにいってしまう。ただこれは、良しあしではなくスタイルの違いです。微分的で成功している事例もあります。

青木 今のブランデッドの話を、僕らは「ブランドインテグレーション」と呼んでいます。

 ブランドとして認めてもらえる要素は、ユーザー体験とその奥にあるコミュニケーション、組織、財務、経営戦略などを含めた重層的なものです。この層それぞれでズレがあると、ブランドを阻害する。しかも自分たちも世界も変わるので、どうしてもズレは生まれ続けます。その動的な均衡を必死に保ち続けることが、結果的にブランデッドになるプロセスなんだと思います。

「ありたい」から始めるルートがあってもいい

青木 僕は、何かを始める動機には「なりたい」「なしたい」「ありたい」の3つがあると思っています。なりたい人となしたい人は、今ないものを早く得たいので微分的にならざるを得ない。僕は「ありたい」でした。エネルギーがなかったので、家で気持ちよく本を読んでいられれば満ち足りていたんです。

 ですから、その心地よさを自分の居場所としてできるだけ磨きたい。別の言い方をすると、「海賊マインド」と「建国マインド」です。ゼロから始めるのは同じですが、海賊マインドはまず「俺たちはアンダードッグだ」という認識から始まり、「だから奪う」を正当化します。

 でも、国を建てようというときに、建国宣言に「俺たちはアンダードッグだ」と書く人はいないでしょう。どんなに乏しくても「我々は素晴らしい」から始まるはず。置かれた状況は変わらないけれど、「ありたい」と思って始める人と、「なりたい」「なしたい」と思って始める人では意識や歩み方が異なります。

 でも、ありたい人のための登山道は、ほとんど開発されていなかった。これが個人的な課題意識として持っていたことです。

楠木 青木さんは「being」の人ですね。

青木 この「ありたい」と考える人たちが幸せに働き、何かをつくれるルートを開発してみたかったんです。その意味では、一定の範囲内で自治のある株式会社という形態が適しているとも考えられます。

楠木 国は生まれたら選べませんが、企業は好きな人だけ来てくれればいいし、それを好きなお客さんに来てもらえばいい。限定的だけれど、その範囲では自分たちの好きなようにできます。

 doingタイプとbeingタイプに分けると、経営者は圧倒的にdoingタイプが多い。一方で、beingタイプにも「どうありたいか」が無数にある。互いに分かり合う必要は必ずしもないというのが企業のいいところですね。お客さまには選択肢を提供すればいいんです。

教養とは自分の価値基準を持つこと

青木 楠木先生は、問いに対してよく「好きにしたらいいじゃないですか」と答えられていますよね。ただし、書かれていないかっこ書きとして「(一貫していれば)」があると思っています。

楠木 そうですね。「好きなようにしてください」は教養主義なんです。教養は明治時代にできたリベラルアーツの訳語で、対概念はテクニカルアーツ。リベラルアーツは自由の技法、自由のアートで、テクニカルアーツはスキルのようなものです。

 ローマ帝国をイメージすると分かりやすい。当時は自由市民と奴隷にはっきりと分かれていました。奴隷というと、今の感覚ではガレー船の下で鞭(むち)を打たれて船をこいでいるというイメージでしょう。そういう人もいたんですが、我々の想像よりはるかに自由だったとも言われています。

 要するに、奴隷とはスキルを持っていて、自由市民に雇われたサラリーパーソンとも言えた、というわけです。高給取りもいたけれど、ただ一つ、価値判断の基準だけは持つことを許されなかった。

 何が良いことで、何をすべきか、自分の頭で考えた基準を持っている状態かどうか、これが教養です。あっさり言うと、教養とは「好き嫌い」で判断し得る状態であることであり、その人の価値観でもあります。

 僕は「人は何のために生きているか」と問われたら、かなり真面目に「自分の価値基準を錬成するために生きている」と答えます。自分の価値基準がだんだんと分かって、それに納得して、途中で変わることがあったとしても、それを練り上げていく――。このプロセスが僕の言う教養主義です。

 経営というのは本来、そういう意味での教養を最高度に問われる行為です。教養を博識と勘違いしている人が多いけれど、そうではありません。AIは知識は膨大でも価値判断の基準を持たない。AIはまさに、現代の知的奴隷なんですよ。

 そうやって整理すると、企業という形態の良さは、特定の価値基準を基に成り立ち得ること。共鳴する人は来ればいいし、嫌な人は来なければいい。この本は、青木さんたちがつくってきた価値基準の体系を書いた、“教養的な本”だと思います。

なぜクラシコムは上場したのか

青木 以前、楠木さんにお会いしたときから大きく変わったのは、上場したことです。なぜ上場したのかというと、「説明」がしたかったんです。未上場だと、説明責任が(上場している企業ほどは)ないですが、その代わりに説明の機会もない。「投資家への説明は面倒じゃないですか?」とよく聞かれますが、むしろそれがやりたくて上場したんです。

楠木 上場は本来、不特定多数から成長投資のための資金を調達する制度です。従来の考え方であれば、クラシコムは上場しないという選択を取るほうが自然ですし、合理的に映ります。上場してしまうと、コストがベネフィットを上回る可能性がある。でも青木さんは、上場自体に価値があると判断したということですね。

青木 それをしないと、自分がつくりたいものが完成しないんです。機能的な動機でないことは確かです。それに僕にとっての自由は、ドラッカーの「自由とは責任ある選択である」に近い。ガバナンスの下でやることこそが、一番心地いい自由なんです。

楠木 それは「教養的な上場」ですね。自分の基準で選んだという。VCなどに求められたから、といった話ではないわけですから。

 上場というのは、株主という、顧客とは別のステークホルダーに向けた「発表」の場を得る、という理解なんですね。青木さんのような考えで上場するのは極めてまれです。「beingの上場」とも言える。

Beingのまま成長できるか

私はメディアの人間なので、doingの企業や取り組みをたくさん見てきた立場からすると、beingを目指しながら上場して成長も目指すのは、矛盾しているようにも見えます。

楠木 それは個別企業というより、資本市場の制度設計の問題だと思います。例えば、今の東証グロース市場は、狭い意味でのスタートアップ向けです。そうではなく「東証ビーイング市場」のような枠組みがあってもいい。僕は、一番意味のある企業分類は「微分的」か、「積分的」かだと思います。グロースとバリューに近いけれど、少し異なる。経営の意図による分類です。

青木 微分も積分も、企業としてのいろんな意味での成長、拡張が必要だという点は同じだと思います。一番簡単な拡張は成長ですが、ケイパビリティや提供価値の拡張など、いろいろな方法があると思っています。

楠木 一見すると、微分のほうが成長志向で、積分は成長を犠牲にしているように思われるかもしれません。でも、積分的な系がたまりにたまって好循環に転じたときの成長は極めて大きい。ユニクロのここ数年の世界的な成長は、まさに積分の成長ドライブの強さのような感じがします。はずみ車がわーっと回り出すようなものですね。

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