英国の作家、サミュエル・スマイルズが書いてベストセラーとなった 『自助論』 では、時間の知恵とお金の知恵の重要性が説かれています。ベイン・アンド・カンパニー日本法人会長、パートナーの奥野慎太郎さんが本書を読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕』 (高野研一著、日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)から抜粋。

「実務能力」のない者に成功はない

 スマイルズは、自助の精神の具体的な実現のかたちを、時間とお金の観点でも説いています。時間の知恵は、ビジネスを例にとって語られます。古来、偉人と呼ばれる人々は、高貴な目標を追求しながらも、生計を立てるための仕事を軽視しませんでした。シェークスピアは劇場の支配人として成功し、ニュートンは有能な造幣局長官、植物学者リンネは靴作りの職人でした。

 ビジネスを成功させる6つの原則には、注意力、勤勉という点に加え、正確さ、手際のよさ、時間厳守、迅速さといった時間に関するものが含まれます。そして、今日なすべきことを明日に延ばさないこと、現状に満足して無為に生活せず、1日1日積み重ねていくことが重要とされます。

 向かうところ敵なし、とされたウェリントン将軍が戦績をあげられたのも、直観力や計画を断固やりぬく強い意志に加え、物事を運に任せない綿密な「実務能力」があったからです。科学技術でも芸術でも政治でも、「実務能力」のない者に成功はありません。

 お金の知恵の重要性も論をまちません。どのようにお金を手に入れ、蓄え、使うかは私たちが人生を生き抜く知恵を持っているかどうかの最大の試金石です。悪いのはお金そのものではありません。お金に対する「間違った愛情」こそが諸悪の根源であり、この間違った愛情は心を狭め、萎縮させます。家族を満足に養うにはお金が必要です。しかし、社会に本当に影響力を持つ人間は、必ずしも金持ちとは限りません。人生の最高の目的は、人格を強く鍛え上げ、可能な限り心身を発展向上させていくことです。お金はそのための手段であり、目的ではありません。

お金に対する「間違った愛情」こそが諸悪の根源(写真/shutterstock)
お金に対する「間違った愛情」こそが諸悪の根源(写真/shutterstock)
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 こうした思想に基づき、スマイルズは節約の重要性を強調します。節約は思慮分別の娘であり、節制の姉、自由の母である、要するに節約とは自助の精神の最高表現である、とスマイルズは説いています。

毎年似た事業計画を作り続ける企業

 人生と同様に、企業経営においても、時間とお金の使い方は、人材の使い方と並んで、その知恵と自助の精神の強さが試される最大のチャレンジです。

 経営資源を表す言葉として「ヒト、モノ、カネ」という表現がしばしば使われますが、「トキ」もそれらと同じか、もしくはそれ以上に重要な経営資源です。いつ誰が何をどういう順番で行うか、その意思決定と実行の繰り返しそのものが経営であると言うこともできます。

 経営にはステークホルダーが共感・賛同できるビジョンやゴールが必要ですが、それらも具体的にどういう時間軸でそこに到達するのかという工程表がなければ、絵に描いた餅になりかねません。

 多くの企業では、これを事業計画というかたちで表現します。これは重要な第一歩です。スタートアップ企業やNPOでは事業計画がない場合もありますが、営利であれ非営利であれ、何か事業を成し遂げようとする以上、事業計画が必要ないということはまずありません。

 一方、当然ながら計画があればよいというものでもなく、そこに具体的な時間の使い方が詳細に明示され、それが計画通りに実行されていくことが重要です。

 過去に作られた3カ年計画や5カ年計画に、年度別の計画業績数値こそあれ、具体的にいつ何を行うのかが明示されておらず、結果的に様々なものが後ろ倒しされて、次に計画を作り直してみると、以前のものとほとんど同じ計画になってしまう、というような企業は、国内外を問わず、珍しくありません。

 変化の激しい昨今の経営環境ですから、先々まで正確な計画を立てることは難しいにせよ、少なくとも向こう1年間については、月次で誰がどういうアクションを取り、どういう意思決定をしていくのか、それによってどういう業績を積み上げていくのか、関係者の合意・理解のもとに明確な工程が示されていなければなりません。

 皆が注意深く勤勉に働くというだけでなく、そうした計画に基づき、正確に、手際よく、迅速に、時間厳守で事業活動を進めていくことが重要です。

偉業を達成する企業の「時間の知恵」

 当面のキャッシュフローが厳しい企業ならば、まずはコスト削減や短期的なキャッシュ創出に注力し、成長に向けた投資の原資を蓄えなければなりません。製品開発や顧客開拓のリードタイムが長い業界であれば、それらに向けた必要な手を確実に打ちつつ、既存顧客・既存製品をベースにした事業活動で、それら将来への布石が実を結ぶまでの時間を食いつながなければなりません。

 そうした性質の異なる活動にそれぞれ必要な時間軸を設定し、きちんと実行していく「実務能力」と「時間の知恵」のある企業だけが、偉業を成し遂げることができるのです。

 「金の知恵」も、企業の真価が問われるテーマです。もちろん、個人の場合とは異なり、企業は金を節約すればよいというものでもありません。特に日本では、キャッシュを蓄えすぎ有効に活用していないと言われる企業も少なくありません。将来に向けた拡大再生産とそのための有効な投資が企業の本分である以上、無為にキャッシュを抱え込むことは有効な経営とは言えません。

 一方で、見た目のお金を増やすために経営を誤る例は、より問題が深刻です。古くは1980年代終わりから90年代初めの不動産バブル、2000年前後のITバブル、そして2000年代後半のサブプライム問題など、いずれも実体経済や付加価値、技術力などの増加とは乖離(かいり)したかたちで、時価総額や運用益などの自己増殖が図られた結果、その発端となった企業だけでなく、世の中全体に取り返しのつかないダメージを与えてしまいました。

お金への「間違った愛情」が諸悪の根源

 時価総額や運用益の重要性は論をまちませんし、それを拡大させること自体は悪いことではありません。しかし、過大評価された時価総額を元手に本来本業と関係の薄い企業買収を繰り返してさらに時価総額を上昇させたり、本来信用のない人に金融商品を売って、いつか無理が生じるのを承知で運用益を追求したりするのは、企業活動の本分から外れています。

 誰かが必ずだまされて損をすることが前提の利殖という意味でも、自助の精神に反していると言えるかもしれません。利益や時価総額そのものが悪いのではなく、まさにスマイルズの言うように、それらへの「間違った愛情」こそが諸悪の根源であると言えるでしょう。

 スマイルズが「人生の最高の目的は、人格を強く鍛え上げ、可能な限り心身を発展向上させていくこと」であるとしたように、企業経営においてもその最高の目的は、顧客に競合よりも優れた製品・サービスを提供し、そのための強じんな技術、ノウハウ、経営体制、ITインフラなどを築き上げ、可能な限り企業風土や組織文化を発展向上させていくことです。

 お金はそのための手段であり、利益や時価総額も、本来はそうした企業としての本質的な成功の結果としてついてくるものなのです。

『自助論』の名言
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