世の中には、「努力」し続けられる人と、そうでない人がいます。努力できる人は、目標に向かって着実に歩みを進め、大きなことを成し遂げることができます。一方、努力が苦手で何事も中途半端になってしまう人も少なくありません。努力できる人とできない人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。この連載では、人間の行動と心理について長年研究し、行動経済学・ナッジを基に企業へのコンサルティングを行っている経済学者・山根承子さんが、「努力ができる人とできない人はなぜいるのか?」「努力をしておくといいのは本当か?」「正しい努力とは何か?」「どうすれば努力できるのか?」という観点から、「努力」を科学で解明します。
「努力できる」を根性論でではなく科学的に考える
努力とは何だろうか?
辞書で調べると、努力とは「ある目的のために力を尽くして励むこと」とされている。日常生活の中でも私たちはよく「努力が実った」「あの人はすごく努力している」などと言っていて、何らかの基準を用いて、それが努力であるかどうかの判定を行っているようだ。
努力に関する記事や名言などを見ていくと、運動や芸術の才能そのものではなく「“努力できる才能”が大事なのだ」という話や、「優れた人は努力を努力と思わずやる」という話、「努力を努力と思わないことこそが才能なのだ」という話が目に留まる。どうやら努力というものは、「受け止め方」で大変さが大きく左右されるものらしい。
そんな「努力」については、ほとんどの人に何か思うところがあるだろう。例えば、「努力できる人になれたらいいな」という憧れがある人。努力が足りないと言われて悔しい思いをしたことがある人。努力できない自分に嫌気が差したことがある人。頭ごなしに「努力しろ」と言われてイライラした人。「若いうちは苦労や努力をしろ」という言葉が嫌いな人。あのときもっと頑張れていたら、もっとすごい人になれていたんじゃないかとずっと後悔している人。「努力」の周囲には常に、理性と衝動のせめぎ合いが見え隠れする。
この連載では、そんな「努力」というものを「行動経済学的視点」で分解していきたい。なぜ行動経済学なのか? それは、行動経済学がまさに、理性と衝動を興味深く見つめてきた学問だからだ。行動経済学は、人間の意思決定のバイアス(偏り)や行動の特徴を考慮に入れて、従来の経済学をさらに発展させることを目指している。そのため、「人間が合理的であるならばどのように振る舞うか(理性)」と「実際の人間がどのように意思決定し、どんな行動を取るのか(衝動)」の両方、そして両者のズレを生むものについて、多くの研究が行われてきた。
理性と衝動の間で揺れるリアルな「努力」を見つめ直すためには、行動経済学の知見が大いに役立つはずなのである。
どうすれば努力できるようになるのか。そもそも、人は何を努力と捉えているのか。他人からは何が努力と見られているのか。あなたが「努力していると感じる」のはどんなときか。努力と感じやすい人・感じにくい人はいるのか。努力できなかったことへの後悔を無くすにはどうすればいいのか。そのようなことを行動経済学で考えてみよう。
「転職するか、今の環境で頑張るか」経済学が示す正解は?
「努力」を経済学的に考えるなら、「異時点(異なる2つの時点)間の選択」というフレームワークに当てはめるのがよいだろう。経済学では、人間は死ぬまでに得る効用(≒幸福度)の合計値を最大化するように「今」の選択を行っていると考え、この合計値のことを「生涯効用」と呼ぶ。
例えばここに、転職するかどうか悩んでいる人がいるとしよう。転職したとしたら、最初の3年は給料も低く忙しく、つらいことが分かっている。しかしそれを乗り越えれば業務が楽になり、給与もかなり上昇するとする。一方、現在の会社でこのまま働き続ければ、しばらくは何も変わらず安泰だが、給料はほとんど上がらず、退職金も期待できない。
人はこの2つの未来から得られる効用の合計値を比較して、「今」転職するかどうかを決定するのだと経済学では考える。ポイントは「来年の効用」でもなく「死ぬ直前の効用」でもなく、「今から死ぬまでの効用の合計値」の最大化を行う点である。
つまり、しばらくはつらい思いをするとしても、将来、莫大な幸福が得られるのであれば、生涯を通じて得られる幸福度の合計値は高くなるため、そちらの道を選ぶほうがよいだろうと考えるのだ。
「今」楽をして「将来」つらい思いをするか、「今」苦労して「将来」よい思いをするかを選ぶ場面は、実は身の回りでよく起こっている。今と将来という「2つの時点」の報酬を比較するので「異時点間の選択問題」と呼ばれており、努力はまさにこのフレームで説明することができる。「今」コストを払って「将来」大きな報酬を手に入れるか、「今」楽をする代わりに「将来」何も得られないか。「今」支払うコストのことを「努力」と呼んでいるのだ。
異時点間の選択というフレームでは、色々なテーマを扱うことができる。例えばダイエットは、「今」おいしいものを食べることと、「将来」美しく健康な身体を手に入れることを天秤(てんびん)にかけて、目の前にあるケーキを食べるかどうかを選択していると考えることができる。同様に、「今」タバコで一服することと、「将来」の健康や寿命を手に入れることを比較していると考えられるので、禁煙も異時点間の選択問題として取り上げられるテーマである。
異時点間の選択問題に関わる性質や特徴は行動経済学でよく研究されており、この知見は努力の研究にも当てはめることができるだろう。
「将来」のために「今」支払うコストとしての努力
異時点間の選択には、時間割引率と呼ばれる個人の性質が深く関わっている。時間割引率は、一種の性格特性であると考えると分かりやすい。
例えば、今1000円もらうか1年後に1500円もらうか選べるとしたら、あなたはどちらがよいだろうか?
今すぐ1000円もらうか今すぐ1500円もらうかという問題であれば、もちろん1500円もらうほうがよいだろう。少し悩んでしまうのは、1500円もらうためには「1年」という時間を過ごさなければならないからだ。つまり、「待つ」という心的コストを支払わなければいけない。1500円もらううれしさからこのコストを引いた値が、「1年後に1500円もらう喜び」の大きさになる。
私たちは「今すぐ1000円手に入れることのうれしさ」と「1年後に1500円手に入れることのうれしさから1年待つことの痛み(心的コスト)を差し引いたもの」の2つを比べて、よりうれしいほうを選択しているのだ。
ここで問題になるのが個人差だ。「待つのは嫌だ。金額が少なくてもいいからすぐ欲しい」という人もいるだろうし、「1年待つくらいどうってことはない」という人もいるだろう。
分かりやすくするために、1000円もらうことのうれしさを100、1500円もらうことのうれしさを150としよう。そして待つことがすごく苦手で、1年待たされるときの心的コストが80ぐらいの人がいるとしよう。この人にとって上の問題は、今すぐ1000円もらうという「100のうれしさ」と、1年後に1500円もらうという「150-80=70のうれしさ」を比較することになる。100と70を比べて、当然より大きな効用が得られる「今すぐ1000円(100の効用)」を選ぶことになるだろう。
一方、待つことを苦にしない人を考えてみよう。この人の1年待つときの心的コストは10ぐらいだとする。待つ心的コスト80だった先ほどの人とは大違いである。この人にとって上の問題は、今すぐ1000円もらうという「100のうれしさ」か、1年後に1500円もらうという「150-10=140のうれしさ」を比べることになるので、より大きな効用が得られるのは「1年待って1500円もらう(140の効用)」ほうである。
この例で分かるように、「待つ心的コスト」の大きさが、今の報酬を選ぶか、将来の報酬を選ぶかという行動を規定している。この心的コストのことを「時間割引率」と呼んでいる。時間(ここでは1年)の経過によって報酬(ここでは1500円)の魅力が割り引かれているので、このような名前で呼ばれるのだ。
「努力できるかどうか」は結局、性格の問題?
これを努力にそのまま当てはめると、時間割引率の大きい人は努力をしない傾向にあるといえるだろう。なぜなら、努力の結果得られる報酬(健康な体や知識、資格など)が、「獲得までに時間がかかる」ゆえに現時点からはあまり魅力的に思えず、それよりも目先の利益(ゲームをする、飲みに行くなど)から得られる報酬のほうが大きく見えてしまうからだ。思い当たる節のある人も多いだろう。
それでは私たちは、どうすれば努力できるようになるのだろうか? 次回以降、時間割引率の知見を利用しながら、「努力」をもう少し詳しく考えていきたい。
- 「努力」は人によって感じ方が違うからこそ、人の認知や意思決定を扱う行動経済学の知見が役に立つ。
- 人によって努力できたりできなかったりする訳は、「今」と「将来」の天秤(てんびん)が釣り合わないから。
- 目先の利益に目がくらみやすい人(=時間割引率の大きい人)は、努力を苦手と感じやすい。