『言語の本質』(中公新書)、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)、『英語独習法』『学力喪失』(ともに岩波新書)など、数多くのベストセラーを世に送り出している今井むつみさん。「○○を読んで面白かったけれど、次は何を読むのがオススメですか?」と聞かれることも少なくないといいます。そこで本連載では、「次に読む今井むつみさん」の参考として、今井さん自身が著書について、テーマごとに語ります。第2回は、「学び・学習について理解するための3冊」。人の学びを扱った3冊を紹介します。
「学び」と「学習」 人はいかにして学ぶのか
今回お話しするのは、「今井むつみの本MAP」の「学び」「学習」の世界を深める入り口となる3冊です。
学び1冊目『新 人が学ぶということ』(共著)
「学び」についてまず1冊目に紹介するのは『 新 人が学ぶということ 認知学習論からの視点 』(野島久雄・岡田浩之との共著、2012年(2003年刊『人が学ぶということ』の新版)、北樹出版)です。

この本は、「認知学習論」という大学の授業の教科書として執筆したものです。認知学習論というのは、認知科学の中でも、学習や熟達に焦点を絞ったものです。
前回
、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)で長年担当していた、「認知心理学」の最終講義をまとめた『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』を紹介しましたが、その他に担当していた授業に、「認知学習論」があります。その「認知学習論」のシラバスを見て、北樹出版という出版社の方が声をかけてくださいました。
『新 人が学ぶということ』では、「生きた知識」を身につけるとはどういうことなのか、情報の取得がどのように問題解決に関係するのか、といったテーマを、学習の観点から理論的に整理しています。
本書を開いていただくと、例えば私がほとんどの本で扱っている「スキーマ」などの基本的な用語を教科書的に理解することもできるでしょう。
ここでスキーマについて簡単に説明しておくと、それは「ある事柄についての枠組みとなる知識」です。「知識のシステム」と呼べるものです。スキーマは、人がさまざまな経験から知らず知らずに自分でつくりあげた暗黙の知識で、持っていることを意識することはほぼありません。
例えば母語の知識もスキーマの一つです。もし、子どもや外国の人がヘンな言葉の使い方をすれば、大人の母語話者はそれがヘンだとすぐに気がつきます。でも「なぜそれがヘンだと思うのか」は分からない。
ほとんどの人は自転車に乗れても、どういうメカニズムで自分が自転車のバランスを保ちながら前に進めることができるのかは説明できません。スキーマとは、身体が知っている、しかし意識にはほとんど上らないし、言語化も難しい知識なのです。
『新 人が学ぶということ』は、こうした基本的な用語を体系的に理解したいという方によりオススメの本といえるでしょう。
本書はSFCの認知学習論の授業のために書き下ろしましたが、他のさまざまな先生方にも授業で使っていただいたと聞いています。認知学習論というタイトルの授業はあまり一般的ではないと思いますから、認知科学の授業などで使われていたのではないでしょうか。外国語教授法の授業などでも副教材に使っていただいているようです。
認知科学における「学び」「学習」とは
「学習」と聞いて、「学校の勉強」をイメージする方もいるかもしれません。英語でいえば、これは「study」です。
しかし、認知科学における学習は学校でのstudyを含んではいるものの、それがメインではありません。「人がどうやって知識を得ていくか」ということであり、英語でいえば「learn」、そして「learning」です。
How do we learn? つまり「私たちはどう学ぶか」。
studyが学校などで知識を「教えてもらう」あるいは意識的に研究や探究によって知識を得ていくための学び方だとすれば、learnは「自然に学んでしまう学び」です。手取り足取り教わって知識を入れてもらうのではなく、自ら外界に働きかけ、その結果、知識がつくられていく。それがlearnの学びです。
一般的にはstudyが学びの中心と考えられています。しかし認知科学の学びのメインストリームは実はlearnなのです。
この本では、子どもの言語習得を扱っていることもあり、発達の話も書いています。赤ちゃん(乳児)は、自分の周りで起こっていることをどのように概念として整理していくか。その中で、言葉をどのように覚えていくか。
赤ちゃんに限らず、外国語の学習はどのように行われるのか。熟達するとは、どういうことか。
また、あることを学習するのに一番適した時期である「臨界期」についても扱っています。これは非常に大切な概念です。

人はどのように学び、熟達していくのかということを授業の中で扱えるよう、コンパクトにまとめたのが本書です。学習について、認知科学的な視点から読み解くことができるでしょう。
学び2冊目『学びとは何か』
『新 人が学ぶということ』から、学びについて特に一般の方に知っていただきたいコンセプトを分かりやすく書いたのが、『
学びとは何か 〈探究人〉になるために
』(2016年、岩波新書)です。
本書は棋士の羽生善治氏の「誰にでもできる探究」という前文に始まり、「探究人を育てる」の終章まで、一貫して「世界を探究し、自ら知識をつくっていく探究人になる」というテーマで構成されています。

ここでお話ししているのはやはり、学校の勉強とは枠組みの違う、認知科学における「学び」です。本書では、学びを「単なる知識の習得」や「積み重ね」と考えるのではなく、「探究のプロセス」と捉え、そのための学びとはどのようなものなのかを解き明かしています。
生きた知識・死んだ知識
学びについて考える上で無視できないのが、そもそも「知識」とは何か、ということです。
多くの人は、「事実=知識」と考えているようです。「天動説は誤りで地動説が正しい」ということを知れば、ひとつ知識が増えたことになるという考え方です。
この考え方によれば、教科書を丸暗記すれば、その分の知識が得られることになります。
でも、本当にそうでしょうか?
知識というのは、それほど単純なものではありません。私はこのような断片的な知識を「死んだ知識」と呼んでいます。
では逆に「生きた知識」とはどのようなものなのか。
それは脳の引き出しにきれいに整理されているわけではないけれど、必要なときにつながり、すぐに使うことができる知識です。
「今、この知識が使える」ということが感覚的に分かり、それをその場で実際に使うことができる。生きた知識とは言い換えれば、「身体性を伴った知識」だといえます。
その一番分かりやすい例が、「言葉」です。日本語を母語にしている人であれば、英語の文章はぱっと浮かばないけれど、日本語の文章なら意識的に頭の中で組み立てることすら経ずに、意味を伝えるために単語を文法にのっとって組み合わせて文をつくり、それを発声したり、文字にしたりすることができます。
これが「言葉を使う」ということであり、母語は「生きた知識」の分かりやすい例なのです。
認知科学で「知識を学ぶ」ということは、「教えられたことを覚える」のではなく、「あることを探究し、試行錯誤を繰り返しながら学び続けた過程の中で起こるさまざまな経験が凝縮され、抽象化され、身体の一部になっていくこと」に他なりません。
あることに熟達し、ある分野で一流の達人になるということは、そのようにした知識が非常に洗練され、自分独自のやり方で新しい知識をどんどん創り上げていけるようになることです。『学びとは何か』はそのような観点で「学び」と「熟達」を捉えた本です。
学び3冊目『ことば、身体(からだ)、学び』(共著)
「できるようになる」とはどういうことか。このテーマについての、アスリートの為末大さんとの対談をまとめたものが、『 ことば、身体、学び 「できるようになる」とはどういうことか 』(為末大との共著、2023年、扶桑社新書)です。

認知科学では、身体と知識や学習は、切っても切れないものです。
なぜかというとそれは、「記号接地」につながるからです。私たちは知識を、頭だけではなく五感も含めて身体全体で自分のものにしています。ですから身体性は、認知科学でとても大事なキーワードです。
知識は「記号接地」して初めて生きる
知識が「記号接地」するとはどういうことなのか。ちょっと分かりにくいので例でお話ししましょう。
例えば料理です。始めたばかりの頃は、レシピを見て「砂糖・大さじ2、塩・小さじ1……」など、書かれた通りに再現しようとすると思います。
しかし、繰り返すうちに、「このぐらいの分量だと塩は2つまみくらいかな」という感覚が分かってきます。ちょっと舐(な)めてみて、「もうちょっと塩と砂糖を入れたほうがいいかな」と判断することができるようになる。さまざまな調味料のほんのちょっとの分量の違いが味や風味の微妙な違いとして身体に対応づけられていくのです。
さらに「このレシピに何を足したら、もっと味が深くなるか」「隠し味にカレー粉を入れてみよう」など、どうすれば自分好みにアレンジできるかも分かってきます。
私たちが目指しているのは「レシピ通りにできるようになる」ことだけではなく、「応用が利くようになる」ということです。
レシピ本がなくても、レシピが指定する食材がそろっていなくても、それらしい料理がつくれるようになったなら、それはその料理の知識が「記号接地した」ということです。料理は身体で覚える知識の典型です。

もちろん、先ほどお話ししたように、言葉もまた、身体で覚える知識です。言葉というのは、そもそも運動機能に深く結びついています。口の筋肉をコントロールすることは運動ですよね。でも、発声のための筋肉をうまく動かすことができたとしても、それだけでは言葉を話せるようにはなりません。
赤ちゃんは、言葉を発するために、自分の身の回りで発せられている言語を最初はつぶさに聞いて、分析しています。自分の周りで話される言語の音について、どの「音」とどの「音」は一緒にしていいか、区別しなければならないか。音のつながりの切れ目がどこにあって、意味の単位になるか(つまり意味に対応する言葉となるか)、どういう言葉をどう組み合わせると、言いたい「意味」ができあがるのか。そういうさまざまな知識が身体の運動機能に統合されて、何も考えなくても目的の音、あるいは音のつながりがつくり出せるようにならないと、言語を話すことはできないのです。
このような、身につけた料理のスキルや獲得した母語が、「生きた知識」です。
一方で、残念ながら多くの人にとって学校で学んだ英語は「死んだ知識」となっています。つまり、その場に応じて自在に操作できる状態になっていないということです。
学校の学びは英語だけでなく「死んだ知識」に陥りがちです。私は今、どうしたら学校での学びを、生きた知識にすることができるかに、真剣に取り組んでいるのです。
(構成=黒坂真由子、写真=稲垣純也)

