日本を代表する経営学者、伊丹敬之氏の 『経営戦略の論理<第4版> ダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』 (日本経済新聞出版)は、初版刊行時の40年前に、情報を「見えざる資産」と名付け、その重要性を強調した名著です。本書を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

「見えざる資産」の重要性を強調

 『経営戦略の論理』は一橋大学名誉教授の伊丹敬之氏の代表作で、1980年に初版が刊行され、2012年に第4版が刊行された40年を超すロングセラーです。この本は、成功する経営戦略には偶然ではない論理があると解明しています。

 今でこそ、企業の経営資源はヒト、モノ、カネ、情報の4つだと広く理解されていますが、4つ目の情報を「見えざる資産」と名付け、その重要性を強調したのが、40年前のこの本です。

 本書では成功する戦略は5つの要因にうまく適合しているといいます。5つとは顧客、競争、資源、技術、心理です。前2者は外的要因、後3者は内的要因です。

 著者は適合という言葉を能動的な意味で使っています。顧客ニーズをそのまま受け入れるのは受動的な適合ですが、それでは多様な製品を安く売るだけになり、利益が上がりにくくなります。

 能動的な適合では顧客ニーズを先取りし市場を創造します。競合に対しても自社の強みを生かし、弱みを突きます。

 より高いレベルではテコ的な適合があると指摘しています。顧客が顧客を呼ぶような状態や、競合が反撃しにくくなる状況を作り出すことが、テコ的な適合です。

 内的要因に関しても、今ある経営資源の範囲で間に合わせる受動的適合ではなく、経営資源をよりよく生かすことも可能です。ヒト、モノ、カネは簡単には増えませんが、見えざる資産の情報は、うまく使えば増やすことができます。

見えざる資産の情報は増やすことができる(写真/shutterstock)
見えざる資産の情報は増やすことができる(写真/shutterstock)
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 戦略を実行して、見えざる資産が蓄積されるというサイクルを描くものが、成功する経営戦略なのです。身の丈の適合ではなく、ストレッチした適合を目指すことが可能になるのです。

 身の丈に甘んじてじり貧に陥る企業や、むちゃな投資で経営難になる企業が多いのですが、本書が今も読まれているのは、そうした状況から脱出するヒントがあるからではないでしょうか。

清水焼が源流の村田製作所

 前述の通り、1980年に初版が刊行され、2012年に改訂第4版が刊行された『経営戦略の論理』は、40年を超えて内容を進化させてきたという珍しい経営書です。本書では第3版以降、 『ケースブック 経営戦略の論理<全面改訂版>』 (伊丹敬之、西野和美編著/日本経済新聞出版)という別冊も刊行されています。本書の章立てに合わせて、内容をより理解できるように企業の実例を紹介していて、その内容も第4版の刊行時に刷新されています。

 同ケースブックで紹介されている事例の1つ、村田製作所は、もともとは京都の清水焼を源流とする企業です。同社の創業者、村田昭氏は、1939年に父の経営する村田製陶所を手伝い始めます。船舶用の電灯ソケットに使われる電気用碍子(がいし)などを製造していた同社で昭氏は営業の仕事をしていましたが、商売を大きくしようとすると、同業者より安くしないと注文はもらえないということに気づき、新たな分野を手掛けようと考えました。

 最初は、大学の研究室などで使う坩堝(るつぼ)や燃焼管などの特殊磁器を手掛けようとしたのですが、これらは村田製陶所の登り窯では温度が低くて焼けません。しかし、「坩堝を受ける三角架の焼き物にひびが入って困る」という声を耳にした昭氏は、三角架であれば今の窯でも焼けると考え、材料や形状を工夫した小型炉を考案しました。

 同じ頃、島津製作所から航空機部品の精密特殊陶器の製作を依頼されたものの、これも当時の村田製陶所では作れず、外部の金型工場などからも協力を断られるという「初モノ」でしたが、試行錯誤の末に何とか作り上げることができました。

 さらに三菱電機の購買担当者から、酸化チタン磁器コンデンサの依頼も受けました。これまで扱ってきた磁器は絶縁物としての用途でしたが、今度は誘電体という新分野です。しかも三菱電機の技術者がなかなか製品化できなかったという「初モノ」でしたが、1944年に製品化に成功しました。このときに、村田昭氏は村田製陶所をやめ、村田製作所という企業を創業したのです。

「斜め飛び」で技術革新を連発

 この酸化チタン磁器コンデンサは、軍事用通信機器向けが中心だったため、終戦とともに需要がなくなってしまいました。しかし、1947年頃からラジオ局が多く開局するようになり、同社が真空管ラジオ用の酸化チタン磁器コンデンサの寿命改善に成功したこともあって、生産が急増します。この頃同社は京都大学の研究に協力し、より性能の優れたチタン酸バリウムコンデンサの開発にも成功しています。

 その後、1963年に村田昭氏が米エミー社の工場を見学したことをきっかけに、村田製作所はチップ積層コンデンサの開発に着手します。長い開発期間は要しましたが、製造技術を確立することができ、現在に至るまで続く小型化・高容量化の技術革新を支える基盤になりました。

 こうした技術革新を可能にするために同社は、材料、プロセス、設計、生産、分析、評価といった一連の技術開発を社内で一貫して行っています。現在でも製造の上流工程は国内で行い、中間製品を海外の製造会社へ供給しています。セラミックと金属の層が交互に入った構造のものを一体として焼き固めるには熟練労働者の勘と経験が不可欠なためです。

村田製作所は、材料、プロセス、設計、生産、分析、評価といった一連の技術開発を社内で一貫して行っている(写真/shutterstock)
村田製作所は、材料、プロセス、設計、生産、分析、評価といった一連の技術開発を社内で一貫して行っている(写真/shutterstock)
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 村田製作所では、1940年代の、絶縁体としての磁器からコンデンサという電子部品への進出を「斜め飛び」と表現することがあるといいます。販売先も機械メーカーから電器メーカーへと変わり、少量生産から大量生産へ、高単価製品から低単価製品へとも変わりました。新たな技術で新たな市場を切り開くことが「斜め飛び」です。

 第2の「斜め飛び」は、1960年代の圧電製品への進出です。チタン酸バリウムには圧電(電気を振動に変える)性能もあるのですが、京都大学教授のアドバイスをもとに、圧電特性を生かして不必要な電波を遮断して必要な電波だけを流すという通信機用フィルタの開発に着手しました。

 6年の歳月はかかりましたが、材料をチタン酸ジルコン酸塩に変更するなどして、1961年に開発に成功しました。最初のフィルタはAMラジオ用でしたが、のちにテレビ用、移動体通信用などに展開しました。これも、誘電体から圧電体、ラジオから通信機器市場へという「斜め飛び」です。

「初モノ」への果断な挑戦

 誘電から圧電への「斜め飛び」の次は、磁性技術への応用で、電磁障害対策部品であるEMIフィルタがそうした製品です。また、モジュールというのも、部品単体のビジネスから複数部品の組み合わせモジュール事業への「斜め飛び」と言えます。セラミック材料という地面は共通しているのですが、使う技術と、対象市場が異なる分野に次々と展開したのです。

 「斜め飛び」だけではなく、同じ技術を応用させた「技術のにじみ出し」や、同じ事業分野向けに異なる技術を取り込む「事業のにじみ出し」(提携や買収を伴うこともある)も、同社の事業展開のパターンです。

 村田製作所がこのような事業展開で成長できた理由の1つは、同社の技術的な強みが受動部品(電気信号の増幅などをしない部品)にあったためと見ることができます。能動素子(電気信号を増幅する素子)は、真空管、トランジスタ、集積回路(IC)と非連続的に進化したのですが、受動部品は連続的な技術進化であり、世代交代によるプレーヤー交代も起きにくかったのです。この連続的な技術変化の中心にいることができたのが、村田製作所です。

 もう1つの重要な理由は、「初モノ」の要請に応えるという行動パターンを創業時から持ち続けていたという点でしょう。既存の商品のままで商売を大きくしようとすると、同業者より安くしないと注文はもらえないという気づきが、創業の原点でした。京大の実験室や、島津製作所、三菱電機などからの「初モノ」の要請に応えることで、同質的な安値競争に陥ることを避けることができたのです。社外の専門家の知恵を借りつつ、社内の一貫体制という資源を活用して、困難な「初モノ」に挑戦し、成功してきたと言えます。

村田製作所の「5つの戦略的適合」

 『経営戦略の論理』では、5つの戦略的適合の観点から戦略を分析しています。ここで村田製作所の事例を、その枠組みにあてはめてみましょう。

 顧客適合に関しては、今いる顧客のニーズに受動的に適合するのではなく、「初モノ」を必要とする顧客を選択しています。このことによって、同質的な安値競争に陥ることを避け、新たな技術を獲得する機会を得ているのです。ここで獲得した技術は、他の一般顧客に展開して利益回収を図るという構図になります。こうした顧客ミックスの関係は、著者のいう「テコ的な適合」の一例にあたります。

 競争適合に関しては、「初モノ」に挑戦するがゆえに、競争が少ないエリアを選択することができます。他社は後から追随してくるでしょうが、先端ニーズを先に理解しているという先行者のメリットがあります。

 資源適合に関しては、セラミックに関する技術開発を社内で一貫して行っており、製造の上流工程は国内で行っています。このために、「見えざる資産」である技術的ノウハウ、用途に関する知見などを、自社内で蓄積し、共通利用できるようになっています。

 技術適合に関しては、受動部品としてのセラミック技術をコアとして連続的に「斜め飛び」の進化を続けることができてきました。能動素子のように世代交代で主役が突然交代することがないのは、「筋のいい」技術を選択できた結果かもしれません。

 心理適合に関しては、「初モノ」「斜め飛び」に挑戦する企業カルチャーが形成されたため、既存の技術と市場の周辺だけに安住する「身の丈」経営に陥らずに済んだとみることができます。

 このように見てみると、村田製作所のここまでの約70年は、これら5つの要因に対して、受け身ではなく、能動的に選択し、働きかけてきた歴史であったと言えます。「斜め飛び」は、今までの事業とは異なるためにストレッチを要しますが、「見えざる資産」が活用できる分野であればこそ、そうしたストレッチが実現できるのです。

『経営戦略の論理』の名言
『経営戦略の論理』の名言
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伊丹敬之著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)