日本を代表する経営学者、伊丹敬之氏の名著 『経営戦略の論理<第4版> ダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』 (日本経済新聞出版)では、経営戦略の原点は顧客にあり、明確な意図と論理の下、「誰が顧客か」を定義すべきと説きます。本書を岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

顧客ターゲットを絞り込む

 『経営戦略の論理』では成功する戦略には5つの要因への適合が必要だとしています。その1つの顧客適合について見てみましょう。

 経営戦略の原点は顧客にあると著者は言います。いくら商品開発を短期化しても、顧客ニーズに合わない商品を出し続けていては、業績は伸びません。明確な意図と論理の下、「誰が顧客か」を定義すべきです。

 顧客ターゲットを明確化するには捨てる覚悟も必要です。1976年にヤマト運輸が宅急便を開始したときのターゲットは主婦を中心とする個人で、百貨店などの配送からは手を引きました。そして主婦にわかりやすいように集配の簡便さ、全国一律価格、荷造り不要などを打ち出しました。

 ターゲットを絞り込むことで商品コンセプトが明確になると、ターゲット周辺の顧客もその利便性に気がつき、利用するようになります。絞り込むことで広がりが生まれることもあるのです。

 適合という言葉を著者は能動的な意味で使っていますが、顧客ニーズを先取りすることも能動的適合です。不確実な変化に対しても顧客との直接の接点を持つなどして、変化を先んじて察知できることと、それに対応する「見えざる資産」を蓄積することが重要です。

 著者はより高いレベルのテコ的な適合もあるとしています。ある顧客が新商品を使い始めると、周囲がそれをマネしたり、商品に満足した顧客が周囲にそれを推奨したりするような効果がそれにあたります。

 意図的に顧客ミックスを作り出すことも同様です。例えば、早期から商品を買ってくれる顧客や商品改良にうるさく注文をつける顧客と、そこで蓄積された「見えざる資産」を活用して量産化した製品を買って利益をもたらしてくれる顧客、という組み合わせです。

 将来の成長を見越して能動的に働きかけていくことが、企業の成功には重要です。顧客を能動的に選ぶことも戦略的な適合なのです。

主婦に気軽に使ってもらえるように

 『経営戦略の論理』が示す5つの戦略的適合のうち、顧客適合の事例として本書および別冊の 『ケースブック 経営戦略の論理<全面改訂版>』 (伊丹敬之、西野和美編著/日本経済新聞出版)で紹介されているのが、ヤマト運輸の宅急便です。

 ヤマト運輸は1919年に創業し、1935年には関東一円にネットワークを持つ運送会社になり、戦前には「日本有数のトラック会社」と認められる業績でした。戦後は、通運(鉄道コンテナ等を使い発戸口から着戸口まで貨物を運ぶこと)や百貨店貨物へと事業を拡大しました。しかし、鉄道主体だった長距離輸送がトラック主体に切り替わった時期に、その流れに乗り遅れてしまい、業績が低迷しました。

 運輸業の中心にあるのは「B2B」の商業貨物です。お歳暮やお中元などの百貨店貨物は「B2C」にあたり、個人間の輸送が「C2C」となります。C2Cの運送は、引っ越しを除けば郵便局の小包(現在のゆうパック)のほぼ独占で、他には鉄道小荷物(1986年に廃止されたチッキ)があるだけでした。

 1971年に父の後を継いでヤマト運輸の二代目社長に就任した小倉昌男氏は、このC2Cに参入しようと考えました。競争相手が郵便局しかいないので、一旦参入できれば、競争環境上は魅力的です。しかし、個人から荷物を集めて個人宛てに配達するのは手間がかかります。ネットワークを築くための莫大な投資を回収するためには、最初から利用者を大きく増やさないと、採算が合うまでに長い年月がかかってしまいます。

 小倉社長は1975年に役員会での承認を受け、社内ワーキンググループでの検討を開始しました。当時有名になった海外旅行のパッケージ「ジャルパック」のように、すべてがセットになっていて誰でも気軽に利用できるようにしたい、特に小包のような荷物を出す主婦に気軽に使ってもらえるようにしたいと考え、「頼みやすい」「料金体系が分かりやすい」「荷造り不要」「翌日届く」をコンセプトとして掲げました。

ヤマト運輸が宅急便を開始したときのターゲットは主婦だった(写真/shutterstock)
ヤマト運輸が宅急便を開始したときのターゲットは主婦だった(写真/shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 「頼みやすい」ために、荷物一つでも家庭に集荷に行くことにし、商店(特に酒屋と米屋)を取次店にしました。郵便局は集荷をしていないので、これは大きな違いになります。「料金体系が分かりやすい」ために地域帯別の均一料金で、郵便小包より高くない水準にしました。「荷造り不要」は、特に鉄道小荷物で何度も叱られてやり直すという経験をした人に、アピールすると思われました。そして「翌日届く」を原則にしたのです。

 ただ早いというだけでは主婦の心理に響かないので、(当初は東京23区内と関東6県の市部限定ではありましたが)「翌日配達」と集配車の側面に書きました。こうして宅急便がスタートしたのは1976年のことでした。

あえて大口顧客を捨てる

 1979年には、創業当初からの安定した荷主だった三越の百貨店配送業務から撤退しました。B2Cである百貨店配送は、C2Cに似た点もあったのですが、小倉社長はあえて撤退を決断しました。

 同年、松下電器(現パナソニック)との取引も解消しました。ヤマト運輸にとって最大の取引先でしたが、家電を工場から大量に輸送するB2Bビジネスは、宅急便とはかけ離れたものでした。商業貨物を減らすようにと指示をしてもなかなか減らなかったのですが、このことによって、いよいよ後がないというムードを社内に植え付けたのです。この結果もあり、宅急便の取扱個数は、1979年の2226万個から翌80年には3340万個に増加し、損益分岐点を超えて経常利益率5.6%を記録しました。

 大口顧客からの撤退は、顧客を主体的に選択する大きな決断でした。加えて、個人顧客の中でも主婦をターゲットにするという意味で、宅急便は顧客ターゲットを主体的に選択しました。

 ターゲットをあえて狭くしたので、「頼みやすい」「料金体系が分かりやすい」「荷造り不要」「翌日届く」のコンセプトを設定できたのです。漠然と個人顧客を想定していたら、こうはならなかったでしょう。

 「一兎を徹底して追うものは、結果的に二兎を得る」というのが、宅急便に起きたことです。このサービスが奏功すれば、主婦以外の人も利用しないはずはないのです。例えば、のちに登場したゴルフ宅急便が主婦向けでないことは明白です。ちなみに、このサービスは、ゴルフ場へコンペの賞品を宅急便で送ろうとした顧客が、「ついでにゴルフバッグも送れないか」と問い合わせたことがきっかけになって商品化されたといいます。

サービスが先、利益は後

 宅急便を全国展開するには、全国各地でトラック運送事業の免許を取るために当時の運輸省と様々な争いを起こすことになりましたが、営業所を全国に開設するための投資も必要でした。

 全国くまなく、30分以内で集荷に行くためには、警察署(緊急出動要請から30分以内に駆けつけることになっています)と同程度の数、すなわち1200カ所が必要だと判断しました。また、各営業所には最初から最低5台の集配車を配置しました。「翌日届く」を確実にするには、そのレベルが必要だったからです。

 このとき、小倉社長は「サービスが先、利益は後」という標語を社員に示したといいます。目先の採算のためにサービスレベルを下げるのではなく、すごく便利なサービスだという評判を早く高めて、取扱数量を増やすほうが得策だと判断したのです。

 それでも、遠距離(例えば東京から岡山以遠)だと、翌日ではなく3日目でないと配達できませんでした。そこで、1日2便制にしました。午前中の荷物を1回ベースに集め、午後の荷物をまたベースに集めるだけなので、末端の集配車の台数は増えないのですが、ベース間の運行車の台数は2倍必要になります。ここでも「サービスが先、利益は後」ということで、まずはサービスレベルの向上を先にしたのです。

ヤマト運輸はサービスレベルを向上させるため、1日2便制にした(写真はイメージ。出所:shutterstock)
ヤマト運輸はサービスレベルを向上させるため、1日2便制にした(写真はイメージ。出所:shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 その後もサービスの拡充は続きます。1983年に開始した「スキー宅急便」のためには雪上車の開発まで行いました。1989年には「夜間お届け」を開始します。在宅率が低下するなかで不在の持ち戻りが増えるのですが、最初から夜間(午後6〜8時)を指定してもらえれば二度手間は減ります。1998年からはさらに進んで「時間帯お届けサービス」を導入し、2002年には「宅急便メール通知サービス」も登場しました。時間帯指定という細かいサービスのために、情報システムもレベルアップする投資を行いました。

 2003年には、約2000カ所あった営業所を約5600カ所のエリアセンターに分けて、権限移譲を進めました。営業所には平均20人以上のドライバーがいたのですが、これを7〜10人の小集団にして、地域の密着度を高めたのです。どうすれば初回配達率を高められるかなどの工夫を共有しやすくしようという狙いがあったといいます。

ヤマトの戦略は「むちゃ」ではなかった

 『経営戦略の論理』では、5つの戦略的適合の観点から戦略を分析しています。ここでヤマト運輸の事例を、その枠組みにあてはめてみましょう。

 顧客適合に関しては、商業貨物の顧客を捨て、主婦をターゲットとして主体的に顧客を選択しています。このことによって、サービスの訴求点をより明確化することができました。また、顧客の声をもとに新サービスを次々と開発し、ニーズの先取りにも成功してきました。顧客との接点を自社が持っていて、そこから上がる情報(見えざる資産)を活用できる仕組みがあったと言えます。

 そもそも、C2Cのビジネスでは、送る側(宅急便を利用している)から受け取る側(宅急便を知らないかもしれない)に、サービスを紹介していることにもなるので、「顧客が顧客を呼ぶ」というテコ的な適応にもなっています。

 競争適合に関しては、郵便局の小包という既存の巨人に対して、反撃の難しいサービスで挑戦しています。1個でも家庭まで集荷するサービスや、翌日配送や、時間帯お届けというのは、数日で届けることを前提に組み上げられていた郵便小包の仕組みの中では追随が非常に困難でした。このように、競争相手の弱みを知って、直接的な衝突が起きないようにすることや、反撃をしにくくすることを、著者はテコ的な競争適合と呼んでいます。

 資源適合に関しては、密度の高い拠点網を全国に作り上げたことが、能動的な適合にあたります。著者の定義によると資源を遊休させずに利用しつくすことが能動的な資源適合なのですが、ヤマト運輸の場合、将来を見越して拠点網や集配車を多めに配置し、それを遊休させずに済むように取扱個数を増やしていきました。

 技術適合に関しては、荷物データだけではなく、個人顧客の会員データも用いてメール通知サービスを行えるというシステムなどにも投資した点が、能動的な技術適合にあたります。

 心理適合に関しては、「サービスが先、利益は後」というメッセージのもとに、目先の利益を追うのではなく、顧客サービスのレベルアップの策を次々と打って不均衡を意図的に創出した点が、テコ的な心理適合にあたります。

 つまり、ヤマト運輸の宅急便のここまでの40年弱は、これら5つの要因に対して、能動的に働きかけ、市場を創造してきた歴史でした。そのためには先行投資が大きくかかりましたが、それはむちゃな投資ではなく、サービスレベルが上がればビジネスは増えるという企図に基づくものでした。

 むちゃな投資の多くは、特に競合の動きを読み切れない場合(競合も同様の投資を行って過当競争に陥る)に起こりがちですが、ヤマト運輸の場合は、競合が反撃しにくいような戦い方を仕掛けたので、需要の増加分を自社に取り込むことができたと言えます。

『経営戦略の論理』の名言
『経営戦略の論理』の名言
画像のクリックで拡大表示
進化し続けるロングセラーテキスト

顧客のニーズをダイナミックに捉え、競争優位を構築し、資源・技術を利用蓄積し、人の心を動かす――。良い戦略のエッセンスを理解し、戦略策定に欠かせない構想力を磨き上げる。現場想像力が身に付く最強の書。

伊丹敬之著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)