日本を代表する経営学者、伊丹敬之氏の 『経営戦略の論理<第4版> ダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』 (日本経済新聞出版)では、不均衡ダイナミズムという概念が提唱されています。アップルは不均衡をあえて作り出し、成功してきました。本書を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。
不均衡を作り出す効果
『経営戦略の論理』では成功する戦略には5つの要因への適合が必要だとしていますが(連載第1回 「『経営戦略の論理』村田製作所 “斜め飛び” “初モノ”で飛躍」 )、成功戦略に必要なのは受動的な適合だけではありません。本書では不均衡ダイナミズムという概念が提唱されています。
自社から働きかける能動的な適合、さらには「見えざる資産」を活用したテコ的な適合というように、より高レベルの適合が重要になります。
特に情報という「見えざる資産」は学習を通じて蓄積していきます。学習を行う主体は人間ですから、人を動かすための心理的働きかけも戦略成功のカギになります。
本書以前の戦略論では不均衡は矛盾であり、非合理と扱いがちでした。適合というテーマを掲げた本書が不均衡という結論に至るのはやや不思議かもしれません。
顧客適合では消費者調査を綿密にしても今のニーズに応えるだけで、その商品を市場に投入する頃には時代遅れになりがちです。しかし、宅急便サービスのように潜在ニーズや未知のニーズを「先取り」できれば、市場の創造になり、不均衡を作り出せます(連載第2回 「『経営戦略の論理』ヤマト運輸が宅急便で探り当てた巨大鉱脈」 )。
不均衡を作り出すことは競合との差別化につながります。そのためには事業運営の方法(ビジネスシステム)も他社が模倣しにくいものに設計しなくてはいけません。新たなビジネスシステムはそれ自体がまた不均衡を生む可能性があります。
アップルは携帯型音楽プレーヤー「iPod」を出す際、音楽ダウンロードサービス「iTunes」を始めました。これはCD販売企業との間に大きな不均衡を生み出し、競合する電子機器メーカーとも圧倒的な差別化を実現しました。
「カニは己の甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、身の丈に合った戦略だけでは成長できません。あえて能力以上の挑戦をし、不均衡を作り出していくというのが、著者のいう不均衡ダイナミズムです。
大企業にはカニの甲羅の力学が強く働きがちですが、それを打破することが新たな成長に求められているのです。
3つの革新的な機能を備えたiPhone
『経営戦略の論理』が示している不均衡ダイナミズムの事例として別冊の 『ケースブック 経営戦略の論理<全面改訂版>』 (伊丹敬之、西野和美編著/日本経済新聞出版)で紹介されているのが、アップルです。アップルは1977年に法人を設立し、1984年にマッキントッシュというパソコンを発売してヒットさせましたが、それ以降も、ユニークな商品とサービスで新たな市場を切り開いてきました。
2001年10月、アップルはデジタル・オーディオ・プレーヤーのiPodを発表しました。これに先んじて同年1月にはiTunesという音楽再生管理ソフトウェアをリリースし、2003年4月にはiTunes Music Storeという音楽配信サービスを開始しました。以前はカセットテープやCD、MDなどのプレーヤーを携帯して音楽を聴くことが一般的でしたが、これをより小型化・大容量化し、使いやすくしたのがアップルのiPodとiTunesでした。
そのiPodが順調に成長を遂げていた2005年、アップルのCEO(最高経営責任者、当時)のスティーブ・ジョブズ氏は取締役会で、ある懸念を表明しました。デジタルカメラがカメラ付き携帯電話に押されているのと同様に、音楽プレーヤーも携帯電話に徹底的にやられてしまうのではないかと危惧したのです。同時にジョブズ氏は、携帯電話の使い勝手の悪さに不満を持っていました。出来の悪い音楽プレーヤーの市場にiPodが食い込めたように、出来の悪い携帯電話の市場にもアップルは十分に食い込めるのではないかと考えました。
アップルはマッキントッシュでパソコン市場のハードウェアとソフトウェアに大きな革新をもたらしましたし、ハードとソフトを融合させる技術や、先進的なデザイン、iTunesを通じたコンテンツ販売、アップルストアという店舗網、そして何より、多くのアップルファンという顧客層を擁しています。さらには「ジョブズ氏なら何かすごいことをやってくれるに違いない」という期待感も追い風になりえます。携帯電話市場を席巻できる可能性はありそうでした。
2007年1月、アップルは「タッチコントロール機能を持つワイド画面の携帯音楽プレーヤー」「革命的な携帯電話」「インターネット・コミュニケーション用の画期的な機器」という3つの革新的な新商品を発表しました。ただし、別々の製品としてではなく、iPhoneという1つの製品としてでした。
強みを持ち込んで「電話」の市場を一変
iPhoneが発売される以前にも、PDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)と呼ばれる電子手帳式の機器は存在していました。タッチパネル式のインターフェースで、メールなどの送受信が可能で、不便ながらもインターネットのサイトが見られるというものです。アップル自身もかつてジョン・スカリーCEO時代の1992年にNewtonというPDAを出して失敗していました。日本ではドコモのiモード(1999年発売)などがインターネットとメールの機能を備えていましたし、米国ではブラックベリー(1999年発売)やパーム(1996年発売)などがビジネスパーソンに利用されていました。
iPhoneが発表されてから約1年後の2008年第1四半期の米国スマートフォンのシェア(IDC調べ)は、ブラックベリー44.5%、パーム13.4%に対して、iPhoneは19.2%という上々の立ち上がりを見せました。この売れ行きに触発され、グーグルのOS(基本ソフト)であるアンドロイドを搭載したスマートフォンが2008年に投入されました。
iPhoneの登場以降、携帯電話は単なる電話ではなく、インターネットの閲覧やアプリの利用という、これまでパソコンが果たしてきた役割も担うようになりました。直感的な操作性(例えば、画面を早くスクロールさせたときに指を離してもしばらくは慣性で画面が動く)はアップルらしいユニークさですし、製品のデザインも同様にアップルらしく洗練されています。
iTunes Music Storeは、音楽だけでなく映画やゲームなどもダウンロード可能になったので、2006年にiTunes Storeに名称変更し、さらにiPhone発売以降の2008年にはアプリをダウンロードできるApp Storeが開設されました。
このように、iPhoneの成功には、アップルの持つ資産がかなり有効に転用されていることがわかります。日本の電機メーカーが、携帯電話の高機能化を目指して競争してきた「ガラパゴス・ケータイ」は、同じようなメーカー同士の同質的な競争でしたが、異質な経営資源を有するアップルが革新を引き起こしたことで、市場の様相は一変してしまったのです。
アップル流「自前主義」のすごみとは
もともと、パソコンメーカーとしてのアップルは、他社とは全く違うポジショニングを貫いてきた会社でした。他社がマイクロソフトのOSであるウィンドウズに依拠し、インテルのプロセッサを標準として互換性の極めて高い機種を次々と投入したのに対し、アップルは独自のプロセッサ、独自のOS、独自のアプリケーション・ソフトウェア(のちにウィンドウズ系との互換性を持たせるように転換)で勝負しました。このために、ハードウェアとソフトウェアの融合技術という独自の「見えざる資産」を蓄積できましたし、それゆえのユニークな操作性を実現できたのです。この強みはそのままiPhoneにも生かされています。
その一方で、製造に関しては、自前の工場は持っていません。例えば台湾の鴻海精密工業という世界第1位のEMS(エレクトロニクス・マニュファクチャリング・サービス)に生産を委託しているのですが、EMS企業は他のメーカーの生産も請け負っており、メーカー各社の好不況(勝ち負け)に応じて生産ラインを融通できるので、仮にアップルの機器が大増産することになっても対応可能ですし、逆に減産になったとしてもアップルが固定費を大きく抱える必要はないのです。
設計に関してはアップルが完全にコントロールをしているので、ハードとソフトの融合技術に関しては完全にアップルの管理下にとどめられます。また、部材メーカーとの共同開発もアップルが行っており、例えば「ゴリラガラス」というiPhoneの画面のガラスはコーニングがもともと開発していたものをジョブズが半年で量産するように依頼して実現したものです。
アプリに関しては、アップル以外の開発者であっても、アップルの定める厳格なルールと審査に従えばApp Storeに出品できます。有料アプリの場合は、代金の3割をアップルがとり、7割を開発者がとるという取り決めを作りました。これによって、早期に多くのアプリが供給されるように仕向けたのです。グーグルのアンドロイドも同様の仕組みで追随しましたが、審査の厳格さはむしろ緩く、アップルのほうがセキュリティ上のコントロールがよく利いていると言われています。
このように、アップルは、重要な「見えざる資産」と自社が考えるハード・ソフトの設計技術、アプリの審査基準などは完全に自社の管理下に置いていますが、ハードの製造、アプリの開発に関しては、外部に大きく依存するという、ユニークな自前主義をとっています。
テコを最大限に使う
『経営戦略の論理』では、5つの戦略的適合の観点から戦略を分析しています。アップルの事例もまた、その枠組みにあてはめてみましょう。
顧客適合に関しては、マッキントッシュ時代に一般ビジネスマン(ウィンドウズ・パソコンの利用者)をあえて追わず、デザインや操作性を重視する層に絞っていました。その層がiPodに広がり、iPodの操作性を知っていた層が初期のiPhoneユーザーになったと言えます。また、携帯電話という「社会性の高い」(クルマや腕時計のように、他人に見せびらかすことができる)商品は、先進ユーザーから一般ユーザーへという普及が期待しやすい特徴があります。
競争適合に関しては、独自路線を貫くことで、同質的競争を徹底的に避けてきたと言えます。他の電子機器メーカーの多くが過当競争に追い込まれたのとは対照的です。
技術適合に関しては、デザイン・設計、ハードとソフトの融合技術、アプリの審査などのノウハウ(見えざる資産)は自社の管理下に置いており、それをパソコン、音楽プレーヤー、携帯電話、タブレット(iPad)へと次々に転用してきました。
資源適合に関しては、iTunesというダウンロードサービスや、アップルストアという専売の小売網を擁し、これもまたパソコン、音楽プレーヤー、携帯電話、タブレットへと活用してきました。
心理適合に関しては、スティーブ・ジョブズ氏というカリスマ経営者が、常に革新を巻き起こし、組織を引っ張ってきました。身の丈には決して安住せず、かといってむちゃな投資をするのでもなく、「見えざる資産」をうまく転用しながら、ストレッチをかけ続けてきたと言えます。
アップルもまた、著者のいうダイナミック・シナジー(テコ的な資源適合の一種)にあてはまっています。過去の戦略で蓄積された「見えざる資産」を、次世代の製品投入時にうまく転用してきたのです。一方、有形的な資産にはあまりこだわらず、製造はほぼ外部委託してきましたが、この点は「ものづくり」(すなわち自社系の工場)に強くこだわりを持つ日本メーカーとは対極的です。
ジョブズ氏は、(有形的な資産への)むちゃな投資はしませんでしたが、部下にむちゃな要求を多くしたことで知られています。不均衡をあえて作り出すことで、身の丈での安住を許さず、組織のダイナミズムを駆り立ててきたのです。ジョブズ氏亡き後のアップルが同じような成長パターンをとれるかどうかは、この点にかかっているのかもしれません。
顧客のニーズをダイナミックに捉え、競争優位を構築し、資源・技術を利用蓄積し、人の心を動かす――。良い戦略のエッセンスを理解し、戦略策定に欠かせない構想力を磨き上げる。現場想像力が身に付く最強の書。
伊丹敬之著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)