日本を代表する経営学者、伊丹敬之氏の名著 『経営戦略の論理<第4版> ダイナミック適合と不均衡ダイナミズム』 (日本経済新聞出版)において、ケーススタディの1つとして取り上げられているのが東レです。東レは繊維メーカーという基盤を重視したことで、多様な先端技術への広がりを獲得しました。本書を岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

真の相乗効果とは

 成功する戦略に必要な5つの適合(連載第1回 「『経営戦略の論理』村田製作所 “斜め飛び” “初モノ”で飛躍」 参照)のうち、資源、技術、心理が内的な要因です。ここでは資源適合を見てみましょう。

 顧客、競争という外部要因に適合できたとしても、それを継続的なものにするには企業内部の要因とも適合しなければなりません。必要な経営資源を維持、獲得できるか、技術を望ましい形に進化できるか、などの課題があるのです。

 経営資源とはヒト、モノ、カネと「見えざる資産」たる情報です。戦略の実行に必要な資源の確保は最低限の要件ですが、特にノウハウなど「見えざる資産」は自社で十分と思っていても実は不足していたということもありえます。

 一方、自社で思う以上にあるが活用されていない場合もありえます。経営資源は利用しつくすという観点が重要です。

 より高いレベルのテコ的な適合では、戦略を実行して得られた資源をさらに活用するというサイクルが考えられます。例えば、相乗効果(シナジー)とは、ある事業で獲得した資源を他事業がうまく「ただ乗り」している状態を指します。ただし、モノやカネという資源の場合、ある事業で空いた生産能力を他事業に回すことは相乗効果ではなく、相補効果と著者は呼んでいます。

 真の相乗効果とは、「見えざる資産」を他事業に転用できる場合です。複数の既存事業がノウハウを共用していればこそ、1+1=3という関係が実現可能です。

 この「ただ乗り」関係は、現在の事業と将来の事業でも成り立ちえます。これを著者はダイナミック・シナジーと呼んでいます。カシオ計算機は機械式計算機から電卓に展開し、そこで得た大規模集積回路(LSI)の設計ノウハウをテコに電子機器ビジネスに展開しました。現在は足りないかもしれない資源を戦略実行の過程で獲得し、増大させ、それをテコに新たな成長に進むというのが、ダイナミックな戦略的適合なのです。

繊維を成長産業に再定義した東レ

 『経営戦略の論理』が示す5つの戦略的適合のうち、資源適合の事例として別冊の 『ケースブック 経営戦略の論理<全面改訂版>』 (伊丹敬之、西野和美編著/日本経済新聞出版)で紹介されているのが、東レです。東レは繊維メーカーという基盤を重視したことによって、多様な先端技術への広がりを獲得することに成功した企業です。

『経営戦略の論理』では、東レをケーススタディとして取り上げている(写真/shutterstock)
『経営戦略の論理』では、東レをケーススタディとして取り上げている(写真/shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 東レはもともと、1926年に創業したレーヨン(人造絹糸)のメーカーですが、戦後は合成繊維への進出を図り、米国デュポンに特許料を払って1951年にナイロン繊維の事業化を果たしました。

 1955年にはナイロン繊維の売り上げがレーヨンを上回るようになり、高分子化学の知識や生産技術が社内に蓄積されるようになりました。続いて、1957年には英国ICIと提携してポリエステルの技術を導入し、さらにアクリルを加えて合成繊維の3分野を押さえました。

 しかし、繊維の国内市場は飽和が予見されたため、いち早く海外輸出に展開を始め、さらに他分野への多角化も志向しました。実際、1970年代には繊維事業が落ち込みを見せましたが、それを補う伸びを示したのが、プラスティック(樹脂事業とフィルム事業)でした。

 樹脂事業に関しては、ナイロン繊維で得た高分子化学の知識と生産技術、原材料調達の強みを生かしつつ、押出成型などの加工技術を外部から導入して用途開発を進め、顧客に提案しながら、市場を作り出したのです。フィルム事業に関しても、ポリエステル繊維と同時に導入したフィルム技術をベースに拡大し、のちにビデオテープや、液晶ディスプレー用光学フィルムなどに用途を拡大していきました。

 1970年代の繊維不況下にあっても、東レはフィルム事業の好調もあって堅調な業績でしたが、旭化成や帝人はむしろ脱繊維路線による多角化(医薬、食品、建材・住宅など)を推し進め、経常利益で東レを追い越しました。東レも1985年の長期経営ビジョンで「非繊維比率60%への拡大」という脱繊維路線を掲げましたが、翌年以降の円高不況を受けて利益が低下し、繊維事業は56億円の赤字を出すまでに落ち込みました。

 そのようななか、1987年に就任した前田勝之助社長(当時)は、路線を大きく転換し、「繊維産業は成長産業」「繊維は東レの基幹事業」と再定義して経営改革に乗り出しました。ゴルフ場やホテルへの投資は中止し、国内工場の近代化投資を行って、繊維の多品種多様化に対応できる設備へと切り替えを行ったのです。

5人の社長が赤字に耐えた炭素繊維事業

 繊維事業の改革に成功した東レは、「有機合成、高分子化学をベースにした総合化学会社」として、5つの戦略的事業分野を選択しました。それらは、電子材料、複合材料、医薬・ヘルスケア・ファインケミカル、情報・サービス、アプリケーション・イノベーション・ビジネス(不織布、高性能クリーナー)です。「東レの繊維事業は総売上の70%を占め、技術、生産ノウハウなどの貴重な経営資源を豊富に持っている。これを有効活用することこそ経営者のやるべきこと」と前田社長(当時)は語っています。

 このときに選択された戦略的事業分野の代表例が、のちに大きな収益貢献を果たす炭素繊維事業ですが、榊原定征会長(当時)が「5人の社長が赤字に耐えた」と語るほど、多くの困難に直面し、研究開始から50年もかかって収益化した事業です。この分野には一時は欧米の大手化学会社なども多く参入しましたが、競争が厳しくなったためにほとんどが撤退し、東レと東邦テナックス、三菱レイヨンの3社で75%(PAN系炭素繊維の生産能力シェア)を占めています。

 東レの炭素繊維の歴史は1967年にさかのぼります。重合過程で用いる添加剤HEN(ヒドロキシエチルアクリロニトリル)を合成することに成功し、これを用いて1971年に世界で初めて炭素繊維を工業的に実用化しました。しかし、この当時は炭素繊維を用いる市場がまだなかったため、東レが自ら、釣り竿やゴルフクラブなどの用途を開発し、1975年には航空機の二次構造材に採用されることになりました。その後に他社が参入して競争が激化しましたが、1982年にフランスのエルフとペシネーとの合弁会社を設立(1987年にエルフは合弁から撤退)、1989年にはこの合弁会社を通じてエアバスの航空機の一次構造材に独占供給できるようになりました。1990年にはボーイング777の一次構造プリプレグにも採用されました。

東レの炭素繊維は航空機に使用されるようになった(写真/shutterstock)
東レの炭素繊維は航空機に使用されるようになった(写真/shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 その後、ボーイングとは2006〜21年の独占供給契約(総額60億ドル分)を結びましたが、2014年11月にその契約をさらに10年延長し、その10年の供給総額が1兆円を超えるということで大きな話題になりました。一方のエアバスとも、2010〜24年の長期供給基本契約を締結しており、炭素繊維は大きく売り上げに貢献することになりました。

繊維が生んだ「飯の種」

 1990年代のバブル崩壊、97年のアジア通貨危機、2000年のITバブル崩壊などの困難な時期を経て、2002年に就任した榊原定征社長(当時)も、やはり「繊維は成長産業、繊維は中核産業」と位置付けて本社資源を繊維に投入する姿勢を明確にし、繊維事業を短期間で黒字に回復させました。「そもそも炭素繊維だって繊維です。フィルム、水処理、海水淡水化装置も元の技術は繊維。繊維は大変なハイテクだ。繊維から派生したいろいろな製品で今われわれは飯を食っているんです」と、2007年のインタビューに榊原社長(当時)は答えています。

 衣料品向けの繊維において、この頃に取り組みが加速したのがファーストリテイリングのユニクロとの共同開発です。ユニクロとの取引は1999年に東レがジャンパー向けの素材を提供したことに始まり、2000年には社内にユニクロとの取引を扱う専門部署「GO推進室(グローバル・オペレーション)」を設置しました。そして「ヒートテック」「シルキードライ」などのヒット商品を開発したのです。ヒートテックは素材調達から布地生産まで東レが担っているのですが、大量の供給を可能にする原料の調達力と、4種類の糸を均一に紡織する技術力を持つ東レでないと対応できなかったと言われています。

 日本の衣料品市場自体は縮小しており、旭化成と三菱レイヨンはポリエステル長繊維の生産から撤退し、帝人も同事業の国内生産の撤退を発表しました。こうしたなか、ナイロン、ポリエステル、アクリルの三大合成繊維を国内で生産できるのは東レだけとなりました。

 2010年に就任した日覺昭廣社長もまた「液晶パネル用フィルムも炭素繊維も水処理用の膜も、すべて繊維事業で培った技術が基になっている」「繊維事業で勝つには、他社にない新しい素材が不可欠。ユニクロとの共同開発で成功したヒートテックがいい例だ。こうした高機能素材の研究開発拠点として、国内に生産工場を維持する必要がある」と語っています。情報・通信・エレクトロニクスの分野では、ポリエステルフィルムをもとにして液晶ディスプレーの部材が使用されていますし、自動車分野では、ポリプロピレンフィルムをもとにしたハイブリッドカー向けのコンデンサフィルムでトップシェアを占めています。

 繊維で培った技術と、調達、生産、開発などの経営資源、そして顧客とともに用途開発を推し進める成功パターン。逆説的ではありますが、繊維に依拠する強みがあったからこそ、今の「先端材料の東レ」が成り立っているのです。

用途開発を重視してストレッチ

 『経営戦略の論理』では、5つの戦略的適合の観点から戦略を分析しています。ここで東レの事例を、その枠組みにあてはめてみましょう。

 顧客適合に関しては、大口顧客と協働して新たな商品や用途を開発することが、東レの勝ちパターンの特徴の1つです。ニーズに受動的に対応するのではなく、ニーズを先取りするための共同開発を能動的に行っているのです。ボーイングやユニクロなどと最先端の素材を開発することは、「見えざる資産」の獲得にも大きく貢献しています。

 競争適合に関しては、帝人や旭化成(炭素繊維においては欧米勢)が見切りをつけるほどの不採算事業にもあえて残り、ライバルの少なくなった市場で残存者利益を得ようとしています。

 技術適合に関しては、繊維で得た技術やノウハウ(見えざる資産)を先端素材分野に応用するというパターンが、能動的な技術適合にあたります。そのためにあえて「繊維は中核産業」という発言を歴代トップがすることで意識的にメッセージを発信してきたと言えるでしょう。

 心理適合に関しては、このような歴代トップのメッセージや、顧客との共同による用途開発による成功パターンがあったからこそ、炭素繊維などの困難なチャレンジに挑み続けられたと見ることができ、これがテコ的な心理適合にあたります。

 資源適合に関しては、著者のいうダイナミック・シナジー(テコ的な資源適合の一種)にあてはまっています。繊維で培った技術(高分子化学や、生産加工の知識)や原材料調達力だけではなく、顧客企業とともに用途開発に注力するという組織文化があったために、衣料品だけでなく、情報・通信・エレクトロニクス、自動車、航空機といった業界における知識(見えざる資産)が社内に蓄積してきたと見ることができます。普通の素材メーカーであれば、自動車メーカーなどからの依頼を受けてから、当該素材を受け持つ部門が受動的に対応するところですが、東レの場合は従来型素材の時代からの協働を通じて、その用途に求められる機能は何かを理解していて、新素材の用途開発の提案も初期段階から能動的に行えるようになるわけです。

 用途の側に軸足を置くということは、新たなニーズに対応する素材や技術を能動的に探索・開発せざるをえなくなることであり、ストレッチがかかります。逆に自社の素材の側に軸足を置いていると、その素材が適していると判明している用途へのバイアスがかかり、身の丈の成長にとどまってしまう危険性があります。このように、ストレッチがかかることで成長していくことが、著者の言う不均衡ダイナミズムと言えるでしょう。

『経営戦略の論理』の名言
『経営戦略の論理』の名言
画像のクリックで拡大表示
進化し続けるロングセラーテキスト

顧客のニーズをダイナミックに捉え、競争優位を構築し、資源・技術を利用蓄積し、人の心を動かす――。良い戦略のエッセンスを理解し、戦略策定に欠かせない構想力を磨き上げる。現場想像力が身に付く最強の書。

伊丹敬之著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)