1950年代以降、日本の歌謡曲は、洋楽の影響を受けつつ枝分かれしながら独自のポップカルチャーとして進化した。令和の若者もひきつけるその魅力とは? 豊富な写真やイラスト、マンガで激動の100年を振り返り、現在や未来につながる原点を明らかにする日経ムック『昭和100年 令和に活きる日本の強さ』から抜粋・再構成した。
ギター・マガジン・レイドバック編集長
リットーミュージックに入社後、約17年間ギター・マガジン編集長を務め、2019年より現職。幅広い層のギターファンに向けた企画・編集を手掛けている。ギター歴30年超。
戦後、米国の影響を強く受け発展
戦後『リンゴの唄』で幕を開けた日本の歌謡史。進駐軍が持ち込んだハワイアン、ジャズ、カントリーなどの影響を受けて歌謡曲の原型が形づくられた。ロカビリーブームを経て、1960年代にはベンチャーズやビートルズが人気を博し、日本ではエレキ歌謡が流行。多くの女性ファンをひきつけたGS(グループサウンズ)が男性アイドルの礎となり、郷ひろみら「新御三家」、ジャニーズの「たのきんトリオ」、チェッカーズへとつながっていく。
また、「三人娘」(美空ひばり・雪村いづみ・江利チエミ)から始まったとされる女性アイドルの歴史は、元祖国民的アイドル・天地真理のデビューで一大転換期を迎えた。70年代後半から80年代にかけて隆盛したアイドル歌謡に並行して、シンガーソングライターが活躍し始め、平成のバンドブームまで日本の音楽シーンを彩っていく。
「基本はモノマネなんですよね。米英の流行をアレンジにどう取り入れるかというのが、昭和の歌謡曲の本質だった気がします」。そう語るのは、音楽ジャーナリストとして昭和、平成、令和にかけて音楽シーンを俯瞰(ふかん)してきた野口広之氏。洋楽好きはあまり邦楽を聴かない傾向があるなか、分け隔てなく貪欲(どんよく)に聴き込んできた。子どもの頃の忘れられない歌謡曲といえば、アグネス・チャンの『ひなげしの花』だそう。
「女性アイドルの流れが明確になるのは70年代に入ってから。ピンク・レディーが席巻し、山口百恵が引退すると、入れ替わるように松田聖子が出てきて、中森明菜と続く。市場が最も盛り上がったのは80年代ですね。小泉今日子ら『花の82年組』が出て、その後におニャン子クラブなどが登場する。一方、男性アイドルの流れを見ると、ザ・タイガースなどGSの存在は外せません。特に印象的なのは、“失神バンド”と呼ばれたオックス。見ていた女の子だけでなく、メンバー自身も失神するという(笑)名物バンドでした」
野口氏が「忘れられない男性アイドル」と挙げたのが、Charだ。
「Charはもともとバリバリのロックバンドをやっていたんですけど、76年のデビュー後まもなく事務所の方針でアイドル路線に転向しました。あのルックスですから、女の子にものすごく人気があって。ギター少年たちからも『なんだ、このカッコよくてギターがめちゃくちゃうまい人は!』と憧れの存在でした。阿久悠作詞の『気絶するほど悩ましい』っていうヒット曲があって、『平凡』『明星』誌の常連。でも完全に独立した、どの流れにも属さないアイドルです。これは、アイドル史を語る際につい抜けてしまう視点なんですが、本当にすごかったです」
セクシー系歌手のルーツは戦前の芸者歌手
青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』、山本リンダの『どうにもとまらない』…戦前戦後を通じて昭和の歌謡界には、独特のお色気路線があった。『 にっぽんセクシー歌謡史 』(馬飼野元宏著/リットーミュージック)は、セクシー系歌手とそのルーツに着目したユニークな一冊で、野口氏が編集を手掛けている。
「起源は昭和初期のお座敷文化にあるんですよ。戦前は芸者がレコードに歌を吹き込んでいて、人気があったんですよね。その流れがムード歌謡につながっています。青江三奈、山本リンダ、夏木マリときて、ピンク・レディーもいわばその系譜ですね。ベッド・インという昭和歌謡を歌うアイドルユニットがいるように、この流れは現代にも受け継がれています。倖田來未もこの線上にいると思います」
「自作自演の人たち」が日本の音楽シーンを変えた
作家が歌手に曲を提供するシステムが基本だった歌謡界に、1970年代になると「シンガーソングライター」が登場し始める。フォークソングを歌った吉田拓郎や井上陽水らがいる一方で、ユーミンや山下達郎、大瀧詠一らの音楽はニューミュージックと呼ばれた。
「いわば、自作自演の人たちですね。やがて彼らは、アイドルたちに楽曲提供をするようになった。例えば近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』は、山下達郎作曲。山下達郎といえばKinKi Kidsですが、ジャニーズとのつながりは早くからあったんですよね。また作詞家でいうと、はっぴいえんどのドラマーから転身した松本隆の存在は大きい。太田裕美、松田聖子など、たくさんのヒット曲を手掛けました」
80年代に入ると洋楽ブームが巻き起こり、ミュージックビデオが人気に。日本では自作自演の定着が、その後バンドブームに火をつける。昭和最後の年、「イカ天」が放送開始。音楽シーンの中心は、平成の幕開けとともにアイドル歌謡からバンドミュージックへと移っていった。
昭和の歌謡曲はなぜ令和の若者を魅了するのか
令和の若者たちは、昭和の歌謡曲を実によく知っている。親の影響やCMソングとして使われることもあるが、主な要因は「サブスク」とYouTubeだと野口氏は言う。
「聴いたことのない音楽というのは、彼らにとって新譜と同じ。現在も活躍するアーティストが作ったものも多くて、それらを掘っていくと、『意外と昭和の曲っていいな』となるんじゃないですか。曲は間違いなくいいものが多いですし。これは、レトロな街並みや喫茶店が好きだということと同じ現象だと思うんですよね。YouTubeなどネットで日本のシティポップが世界に広まったことも大きいでしょうね」
かつて昭和世代が明治・大正の雰囲気に憧れたように、令和の若者たちが抱く昭和のイメージは、懐かしく、豊かだ。時代とともに変化しながらも、良質な音楽は、世代を超えて愛され続ける。
取材・文/山野井春絵 イラスト/マンガデザイナーズラボ
日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/1980円(税込み)









