昭和40年代の米国で生を受け、日本では昭和50年代末に芽生えた「インターネット」。基盤構築に尽力したのは、社会の発展に役立ちたいと願う理系学生や研究者たちだった。豊富な写真やイラスト、マンガで激動の100年を振り返り、現在や未来につながる原点を明らかにする日経ムック『昭和100年 令和に活きる日本の強さ』から抜粋・再構成した。
慶応義塾大学名誉教授
工学博士。東京工業大学総合情報処理センター助手となった昭和59年(1984)、日本初の大学間ネットワーク「JUNET」を設立。インターネット網の整備と普及に努め、初期インターネットを日本語を含む多言語対応に導いた「日本のインターネットの父」。近著に『 インターネット文明 』(岩波新書)。(写真:近藤豊)
インターネットの2つの源流
現代の暮らしに不可欠な情報インフラ・インターネット。日本でこの言葉が人々の口にのぼるようになったのは、Windows 95が発売され、「インターネット元年」が宣言された平成7年(1995)のこと。
「ただWindows 95は、インターネットのウェブサイトを閲覧する機能までが付属した初のパッケージソフトだったにすぎません。本来の『インターネット元年』は、インターネットの2つの源流が偶然にも数カ月違いで生まれた昭和44年(1969)と考えるのが妥当です」。初期インターネットを日本語を含む多言語対応に導く一方、日本初の電子メールネットワーク「JUNET」を設立。インターネット構築に早くから携わった日本人として知られる村井純氏は言う。
「インターネットの2つの源流」の1つが「UNIX」。「米国の通信研究所・ベル研究所で生まれた、人間のために計算以上のサポートをするオペレーティングシステムです」。もう1つが、ほぼ同時期にカリフォルニア大学ロサンゼルス校など米国内の大学と研究所の4拠点を結んで始まったパケット交換ネットワーク構築プロジェクト「ARPANET」だ。
「両者は70年代、独自に発展。80年代に、カリフォルニア大学バークレー校で『合体』します。これが本当のインターネットの誕生です。大学生まれだからこそ、世界の学生や研究者がネットワークの開発を自由に行えるようになり、世界中の大学や研究機関が相互接続され、巨大ネットワークに成長。『複数のネットワークをつなぐこと』を意味するinternetworkingという言葉が生まれ、それを略したThe Internetの呼び名が定着しました」
バケツリレーでデータを交換
日本のインターネットの始まりは昭和59年(1984)。東京工業大学助手だった29歳の村井氏が、東京工業大、慶応大、東京大、北海道大、九州大の5拠点をモデムでつないだJUNETだ。
「当時、電話回線に電話機以外をつなぐのは違法。同僚が帰った夜中、電話線を抜いてモデムを差し込み、ダイヤルアップで接続しました。遠隔地への高額な電話代をチャラにしてくれた救世主は、無料で電話をかける特権を持っていた旧電電公社と旧KDD研究所の研究員。それぞれの研究所から遠隔地に電話をかけ、5拠点をバケツリレーしてデータを交換。米国のARPANETとつながれたのもKDDのおかげです。最初期の日本のインターネットは、電話会社の研究所を巻き込んだ“通信費タダ乗り”に支えられていたのです」
では、学生たちがJUNETでしたかったことは何か。「自作ソフトウエアの投稿です。世界中の仲間に試してもらい、フィードバックを受けて改良する。1銭の得にならなくても、新しい何かが生まれ、社会の発展につながるのがうれしい。それが技術屋というものです」
電気通信事業法が施行され、モデムを合法的に電話回線に接続できるようになった昭和60年(1985)以降、JUNETに相互接続を希望する組織が続出。インターネットを営利目的に使いたいという声も次々と寄せられた。そこで一般家庭や企業にインターネットへの接続基盤を提供する、日本初のインターネットサービスプロバイダー「IIJ(インターネットイニシアティブ)」を、村井氏らが私財を投じ平成4年(1992)に設立。3年後のWindows 95の発売を機に、日本のインターネットユーザーは爆発的に増加した。
以来30年、インターネットは日進月歩の進化を遂げている。当初、電話回線によるダイヤルアップが主流だった通信環境は、ADSL(非対称デジタル加入者線)、さらに光ファイバーを利用した光回線にバージョンアップ。サービス内容も激変した。
平成15年(2003)ごろ、一般のインターネットユーザーが意見やアイデアを簡単に投稿できるブログが登場。容量の大きいコンテンツを閲覧・投稿できる環境が整った平成17年(2005)前後から、動画共有サービスもスタートした。さらに平成20年(2008)にはスマートフォンが発売。モバイル端末からのインターネット利用が増えるにつれ、SNS(交流サイト)、オンライン・ソーシャルゲーム、動画サイトなどの利用時間は拡大の一途をたどっている。
「インターネットの歴史に残る事象やサービスは、国難級の危機を背景に、起きたり、開発されたりしたものが多い」と村井氏。例えば平成7年(1995)に発生した阪神・淡路大震災を受け、大学や研究機関は安否情報をインターネットで初めて発信。パソコン通信のニフティサーブは、救援物資の流通円滑化などを目的に「震災ボランティアフォーラム」を震災発生のわずか9日後に開設した。また被災地の通信インフラが大打撃を受け、安否確認ができない事態が多発した平成23年(2011)の東日本大震災を契機に誕生したのが、電話回線を使わないメッセージアプリのLINEだ。
そして世界中で外出自粛が求められた令和2年(2020)に始まる新型コロナウイルス禍においては、テレビ電話が急激に普及した。「ふつうなら、テレビ電話を使いこなすのが一番遅くなりそうな高齢者施設で暮らす方々が、真っ先にZoomを使うという、目を疑うような変化も起きました」
人類が初めて手にした“グローバル空間”
誰もが肌身離さず握りしめているスマートフォンは、この先数年でウエアラブルタイプのデバイスにとって代わられるだろうと村井氏は予測する。
「特に伸びが期待されるのがスマートグラス市場。日本では未発売ですが、レンズに内蔵されたカメラが撮影した映像をAI(人工知能)が認識し、音声で説明する視覚障害者向けアイウエアは米国で商品化されています。2年前、それをかけた全盲の友人と再会。『純は今日、青いシャツを着ているのね』と言われ、仰天しました。今後、健常者向けにも、道案内や作業手順の支援のほか、名前が思い出せない目の前の友人の名をささやいてくれる機能を持つ眼鏡などが発売されることでしょう。そうした未来が待っているなら、年を取るのが怖くなくなりそうですよね(笑)」
情報検索、SNSの視聴、ゲームなど、できることが多いだけに忘れがちだが、本来インターネットという基盤に備わっているのは、地球上のあらゆる人とデータをやりとりする仕組みだ。そんなインターネットを村井氏は「国や民族という縛りに左右されず、誰とでも瞬時につながれる“グローバル空間”」と呼ぶ。
「これまで地球には国や民族という概念を背負った“インターナショナル空間”しかありませんでした。そこにあらゆる属性を取り払った自由なグローバル空間を創出したことがインターネットの最大の功績です」
「つながりたい」「役に立ちたい」の一心で半世紀前の“技術屋”たちが構築した巨大ネットワークを、どう人類の幸福に生かすのか。その問いは私たち一人ひとりに向けられている。
取材・文/籏智優子
日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/1980円(税込み)



