戦後、ベストセラーが中流層の教養と感性を育み、週刊誌が通勤サラリーマンや若者の日常を彩った。単行本と雑誌は両輪となって日本社会の知的基盤を形づくったのだ。戦後の単行本・雑誌の歴史を解説する。豊富な写真やイラスト、マンガで激動の100年を振り返り、現在や未来につながる原点を明らかにする日経ムック『昭和100年 令和に活きる日本の強さ』から抜粋・再構成した。

【うかがった人】
横手拓治
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横手拓治(よこて・たくじ)
編集者、松蔭大学コミュニケーション文化学部教授
千葉大学人文学部卒業後、牧野武朗に編集を学ぶ。中央公論社・中央公論新社などで37年にわたり編集者を務め、中公新書ラクレや中公選書の創刊編集長を担当。淑徳大学教授などを経て現職。著書に、筆名・澤村修治で『 ベストセラー全史 現代篇 』(筑摩選書)、『 ベストセラー全史 近代篇 』(同)、『 日本マンガ全史 』(平凡社新書)ほか。博士(文学)。(写真:岩下洋介)

戦争が終わり、出版が急激に活発に

 「第2次大戦終了後、出版業は右肩上がりの成長をしていきます。出版のための技術やインフラなどの基盤は、大正・昭和初期を通じてすでに確立され、それが戦争でいったん停滞しますが、平和な世の中になり、その基本のノウハウをもとに出版活動が急激に活発になっていきます」と話す、横手拓治氏。そもそも活字好きという日本人の国民性も、戦後の出版界発展の一因だという。

 「江戸の出版人、蔦屋(つたや)重三郎が活躍した時代から、浮世絵にも本を読む庶民の姿が登場します。昭和の戦争中は出版統制で本が欠乏し、戦後に本が販売されたときには、人々が店の周りに行列をつくったほどでした」

 昭和30年代、高度経済成長期に豊かな中流層が読者層を厚くしていく。「多種多様な本が出て、中でも純愛路線の最高傑作といえるのが『 愛と死をみつめて 』(大島みち子、河野実/大和書房/昭和38年[1963])です。恋人同士の往復書簡集で、ドラマ化や映画化の影響もあり39年[1964]末に130万部に達しました」

軽装版で本格的なベストセラー時代に

 軽装版として始まったカッパ・ブックスが次々とベストセラーになったのもこの時期。『 にあんちゃん 十歳の少女の日記 』(安本末子/昭和33年[1958]。リンクは角川文庫版)が60万部、『 英語に強くなる本 教室では学べない秘法の公開 』(岩田一男/昭和36年[1961]。リンクはちくま文庫版)は100万部を達成した。

 「松本清張の『 砂の器 』(リンクは新潮文庫版の上巻)や『 影の地帯 』(リンクは新潮文庫版)は単行本で出した作品を新書判にして、ともに昭和36年(1961)の年間ベストセラートップ10に入りました」

 70年代後半からはテレセラーの時代が始まる。特に80年代にはタレント本や、テレビで取り上げられた話題の本がベストセラーの上位に。「山口百恵『 蒼い時 』(集英社文庫)、黒柳徹子『 窓ぎわのトットちゃん 』(講談社)、鈴木健二『 気くばりのすすめ 』(講談社文庫)などが大ヒット。以後、この手法は多くのベストセラーを生み出し、令和の今も続いています。隣にいて普通に話せるようなキャラクターのタレントさんはベストセラーになりやすい気がします」

右上から順に以下の通り。『かもめのジョナサン』(リチャード・バック/五木寛之訳/新潮社)。1974年のベストセラー1位になった。『頭の体操』(多湖輝/光文社)。『若きいのちの日記』(大島みち子/大和書房)は『愛と死をみつめて』の関連書としてヒットした。『群像』79年6月号(講談社)。村上春樹が群像新人文学賞を受賞した『風の歌を聴け』を掲載。『英語に強くなる本』はカッパ・ブックスのベストセラー。61年刊(写真はちくま文庫の復刊)。『蒼い時』(山口百恵)。『愛と死をみつめて』は二人の3年間の往復書簡集(写真:岩下洋介)
右上から順に以下の通り。『かもめのジョナサン』(リチャード・バック/五木寛之訳/新潮社)。1974年のベストセラー1位になった。『頭の体操』(多湖輝/光文社)。『若きいのちの日記』(大島みち子/大和書房)は『愛と死をみつめて』の関連書としてヒットした。『群像』79年6月号(講談社)。村上春樹が群像新人文学賞を受賞した『風の歌を聴け』を掲載。『英語に強くなる本』はカッパ・ブックスのベストセラー。61年刊(写真はちくま文庫の復刊)。『蒼い時』(山口百恵)。『愛と死をみつめて』は二人の3年間の往復書簡集(写真:岩下洋介)
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様々なジャンルの雑誌の創刊が相次ぐ

 一方、雑誌は昭和31年[1956]の『週刊新潮』(新潮社)の創刊後、その成功を見て『週刊現代』(講談社)『週刊文春』(文藝春秋)と、大手出版社系の週刊誌が次々と登場。女性週刊誌も創刊ラッシュとなった。

 「週刊誌が競争を繰り広げながら発展していく時代になり、他の雑誌にも効果をもたらします。媒体数が増えることで、関わるライターやカメラマンなどスタッフが増えて、それが次の新しい企画を生み出していくことにもつながる。このようなことができたのは、郊外に住み、都心の会社に通う働き方が確立したことも一因でした。長距離通勤するサラリーマンが大量に生まれ、駅売りの雑誌や週刊誌の重要な購買層となったのです」

 1960年代半ば以降は『平凡パンチ』(平凡出版。現・マガジンハウス)を皮切りに若者向け雑誌が乱立。『POPEYE』(同)はヌード写真を使わずシティボーイのコンセプトを打ち出し、女性誌『an・an』(同)や『non-no』(集英社)は「アンノン族」を生み出した。

 「広告収入で黒字化させるというビジネスモデルはこれら雑誌の登場を機に確立していきました。その勢いのまま、80年には235もの新雑誌が生まれ、雑誌の成熟期を迎えます。『Sports Graphic Number』(文藝春秋)『写楽』(小学館)『25ans ヴァンサンカン』(婦人画報社。現・ハースト婦人画報社)など、従来にはなかったジャンルの創刊が相次いだことは、戦後の日本出版界における雑誌の発展がもたらした象徴的な出来事といえるでしょう。

 そのエネルギーは平成まで続き、出版全体の売り上げは96年にピークを迎えました。インターネットが浸透して個々の志向も細分化された今の時代に、大衆の心を動かす突き抜けたパワーを持った読み物が出てくるのか、期待して待ちたいと思います」

『平凡パンチ』64年創刊、平凡出版(現・マガジンハウス)。女性グラビアや車、ファッション情報を掲載(写真:近藤豊)
『平凡パンチ』64年創刊、平凡出版(現・マガジンハウス)。女性グラビアや車、ファッション情報を掲載(写真:近藤豊)
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『週刊プレイボーイ』66年創刊、集英社。『平凡パンチ』のライバル誌となった(写真:近藤豊)
『週刊プレイボーイ』66年創刊、集英社。『平凡パンチ』のライバル誌となった(写真:近藤豊)
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『Sports Graphic Number』80年創刊、文藝春秋。スポーツ雑誌の元祖(写真:喜多二三雄)
『Sports Graphic Number』80年創刊、文藝春秋。スポーツ雑誌の元祖(写真:喜多二三雄)
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『FOCUS』81年創刊、新潮社。文字は少なく写真を大きく扱う写真誌の草分け(写真:喜多二三雄)
『FOCUS』81年創刊、新潮社。文字は少なく写真を大きく扱う写真誌の草分け(写真:喜多二三雄)
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『Olive』82年創刊、平凡出版(同)。『POPEYE』の妹的存在として登場した女性向けファッション誌(写真:喜多二三雄)
『Olive』82年創刊、平凡出版(同)。『POPEYE』の妹的存在として登場した女性向けファッション誌(写真:喜多二三雄)
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『レタスクラブ』87年創刊、西武タイム(現在はKADOKAWAが刊行)。2025年で創刊38周年。生活便利マガジンの長寿誌(写真:喜多二三雄)
『レタスクラブ』87年創刊、西武タイム(現在はKADOKAWAが刊行)。2025年で創刊38周年。生活便利マガジンの長寿誌(写真:喜多二三雄)
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取材・文/牧野容子

音楽・アイドル、テレビ番組、映画、アニメ、マンガ、ファッション、ゲーム、携帯電話、インターネット、新幹線・高速道路、プロ野球、企業再編、規制緩和、ハラスメント…豊富な写真やイラスト、マンガで激動の100年を振り返り、現在や未来につながる原点を明らかにします。

日本経済新聞出版編/日本経済新聞出版/1980円(税込み)