『 言語学バーリ・トゥード 』がロングセラーになっている気鋭の言語学者で、作家の川添愛さんがお薦めするコミュニケーションや言葉についての本。2冊目は『語学の天才まで1億光年』(高野秀行/集英社インターナショナル)。世界の辺境を旅してきたノンフィクション作家の高野秀行さんは、これまで25以上の言語を学んだとのこと。本書では高野さんのユニークな語学習得法が紹介されています。
言語はゲームクリアのための「魔法の剣」
アフリカの奥地へ怪獣を探しに行ったり、タイ・ラオス・ミャンマー国境の“黄金の三角地帯”に住みついて現地の人と共にアヘンを作ったり。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」をモットーに世界中を探検し続けるノンフィクション作家の高野秀行さん。高野さんの探検に欠かせない言語の習得に焦点を当ててつづられたのが、『 語学の天才まで1億光年 』(集英社インターナショナル)です。
高野さんによれば、探検とはロールプレイングゲームみたいなもので、言語はそのゲームをクリアするのに欠かせない「魔法の剣」のようなものとのこと。そう言われるだけで、面倒臭いイメージしかない語学が、急に魅力的に思えてきます。
実際、これまで高野さんが学ばれた言語は25以上。もはや「言語学者」とお呼びしてもいいのではないかと、個人的には思っています。それどころか、先々の現場で学びながらネーティブの人々とコミュニケーションを取っているという意味では、言語学者以上に言葉の奥義のようなものをつかんでおられるかもしれません。
ただし、高野さんご自身は決して語学が好きではなかったとのこと。本書は、子ども時代の、英語の勉強の話から始まります。お父様が英語の先生だった関係で、家庭でもさまざまな教育を試されたのですが、ほとんど身に付かなかったそうです。理由は「地道な努力が心底苦手」だったから。
でも、それを逆手に取って、どうすれば楽に学べるかを考えます。例えば、教科書で使われている動詞の頻出度を調べ、そのうち上位10個だけを覚えることにしたり、さらにその順位を相撲の番付表のような一覧にしたり。そうすると、単語を“上から目線”で見られるようになり、面白がりながら自然に覚えることができたそうです。
語学が苦手という方は少なくないと思いますが、こういうちょっと視点の違う、しかも実践的な勉強方法はすごく参考になると思います。
「言語内序列」という不条理
私も言語学徒の1人ですが、この本には言葉について驚かされることがたくさんあります。例えば、高野さんが学生時代、アフリカのコンゴへ「ムベンベ」という謎の怪獣を探しに行こうと思い立ったときのこと。事前の準備として公用語のフランス語を学びますが、諸般の事情から現地の言葉であるリンガラ語も習得しようと思い立ちます。
東京で話者を探して学ぶ経緯も面白いのですが、そこで身に付けたカタコトのリンガラ語を現地で話すと、一躍人気者になったそうです。その理由は私たちにも想像できるでしょう。カタコトの日本語を一生懸命話す外国の方がいたら、それだけで親近感が湧くと思います。
ただ問題は、現地の人と親しくなり過ぎたこと。いつの間にかお金を貸してくれと言われたり、ホテルの部屋に勝手に出入りされるようになったり。高野さんによれば、これも言語が関係しているそうです。コミュニケーションには「うまく話せる人のほうが優位に立てる」という不条理な法則があり、カタコトの相手を子どものように見下してしまう傾向があり、高野さんはこれを「言語内序列」と呼んでいます。ある言語を使うことは、その言語の序列の中に組み込まれることを意味するわけです。
こういう傾向は、どの言語圏でも少なからずあるそうです。特に英語のようなメジャーな言語ほど激しいとか。話せない人を「なんで話せないの?」と、あからさまに見下したりするわけです。
ただし、同じメジャー言語でも、スペイン語圏にはそれがないらしい。スペイン本国でも中南米でも、話せないからと蔑まれることはなく、逆に話せるからと過剰にフレンドリーになることもない。おかげでストレスを感じることも少なかったそうです。こういうことは、津々浦々を旅した人でなければ知り得ないでしょう。
さらに面白いのが、言語観の違いです。日本人にとっては、まず国内の言語として日本語があり、海外の言葉として英語やフランス語、中国語や韓国語などがあるという感覚だと思います。しかしコンゴの人の言語観は、3層のピラミッド型。最上位に官庁などで使う公用語としてフランス語があり、その下に市場や生活の場で使うリンガラ語があり、その下に家族や親族の間で使う多数の民族語がある。彼らにとっては、これらのすべてが国内の言語であり、ただしその中に上下関係があるということなのです。
これは先の「言語内序列」にも関係していて、もし高野さんがフランス語だけを話していたら、決してバカにはされなかっただろうとのこと。なまじ現地の言葉を覚えたばかりに、思わぬ“副作用”に直面したわけです。
これはほんの一例で、言語観は世界の各地域によってそれぞれ違うそうです。これは私にとって目からウロコの話でした。こういうことを分かっていないと、外国人とのコミュニケーションは混乱するかもしれません。
言語ごとに違う「ノリ」
そしてもう一つ、それぞれの言語ごとに「ノリ」が違うという話も驚きでした。ここでいう「ノリ」とは、発音の仕方や口調、話すときの態度など。言語を学ぶときにも、またネーティブな人と仲良くなるためにも、これを意識することが決定的に重要なのだそうです。
例えば中国語の場合、語気が強く、腹から声を出し、遠慮や屈託がないとのこと。高野さんは、その発声を聞いただけで、「壮大な中国大陸が見えるようだ」と述べています。対照的なのがタイ語です。高音で、なよっとした感じとのこと。高野さんは中国からタイへ何度も移動していますが、そのたびにご自身の声も、怒声からなよなよした声に変わるそうです。
ちなみに中国語で難しいのは発音。しかし高野さんは、中国語での漢字の読み方と日本語での音読みとの間に、法則性があることを発見します。これにより、がぜん楽に学べるようになったとか。こうしてクリエーティビティを発揮しながら、楽しみながら学ぶ姿勢が素晴らしいと思います。高野さんは「1億光年」などと謙遜されていますが、もう十分「語学の天才」の領域に達しているのではないでしょうか。
最後は、「どの言語もみんな美しい」という話で締めくくられています。世界各地でさまざまな言語に触れてきた高野さんならではの見地であり、そう断言できることが素晴らしい。もっといろいろな言語を勉強してみたいなと思わずにはいられません。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝