私たちの生活の中には選択する機会があふれています。携帯電話の契約や保険、住宅ローンなど悩ましい個人の選択だけでなく、なかには地球温暖化や臓器提供者(ドナー)不足など大きな問題につながるような政府や自治体の選択もあります。果たしてその「選択」は本当に最適なのでしょうか? 行動経済学の研究でノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏と米ハーバード大学ロースクール教授のキャス・サンスティーン氏による著書 『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』 から一部を抜粋し、よりよい選択を「する」そして、よりよい選択を「させる」ための「ナッジ」の考え方を紹介します。1回目は、多忙な私たちを惑わせ、選択を誤らせる3つの「経験則」について。
「人間」には、最適な選択が難しすぎる
通常であれば、人間の脳は驚くほどよく機能する。もう何年も会っていない人でも誰だかわかるし、階段から転げ落ちずに走っておりられる。なかには12カ国語を操ったり、最先端のコンピューターを改良したり、相対性理論を生み出したりできる人もいる。それでも、錯覚やだまし絵にはついついだまされてしまうだろう。
だからといって、私たちが人間としてどこかまちがっているわけではない。人がいつ、どのように系統的にまちがうかがわかれば、人間の行動について理解を深められるのである。
ここでは、どうして人間の判断や意思決定が、最適化にもとづくモデルの予測から逸脱するのかをくわしく説明していく。
とはいえ、われわれは「人間は不合理だ」と言っているのではないし、人間はバカだなんて1ミリも考えていないということを強調しておきたい。むしろ問題は、「私たちはまちがえるものなのに、世の中が複雑すぎること」のほうだ。
誰もが陥ってしまう三つの認知バイアス
私たちは日々の問題に対処するときに、便利で役に立つ「経験則」を使う。
だが、その結果として、系統的なバイアスが生じてしまうおそれがある。この知見は、何十年も前に、われわれのヒーローである心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーがはじめて示したもので、心理学者の(その後、経済学者、弁護士、政策立案者など、大勢の人たちの)思考に対する考え方を変えた。2人の初期の研究では、「アンカリング」「利用可能性」「代表性」という三つの経験則、すなわちヒューリスティクスと、それぞれに関連するバイアスが明らかにされた。
一つ目の「アンカリング」とはアンカー(自分が知っている数字やこと)を出発点として、自分が適切だと思う方向に調整していくのである。ここまではよいのだが、その調整がたいてい不十分なので、バイアスが生じてしまう。
例えば、ある実験で、大学生に「あなたはどれだけ幸せですか」「あなたはどのくらいデートをしていますか」という二つの質問をした。この順番で質問したときは、二つの質問の相関はきわめて低かった(0.11)。しかし、順番を逆にして、デートの質問を先にしたところ、相関は0.62に跳ね上がった。
明らかに、学生はデートの質問に刺激されると、「デート・ヒューリスティック(経験則)」というべきアンカーを使って、自分がどれだけ幸せかという質問に答えている。「あー、いつ最後にデートしたか思い出せない! これはもう、みじめにちがいない」というわけだ。
大洪水のあとだけ「洪水保険加入者」が増える理由
二つ目の「利用可能性ヒューリスティック」とは人は事例をどれだけ簡単に思いつくかどうかで、リスクが現実のものとなる可能性がどれだけあるか評価するということだ。
例えば、人びとが自然災害に備える保険に入るかどうかは、最近の経験に強く影響される。洪水が起きると、洪水保険に新しく入る人が急増するが、その後は、鮮明な記憶が薄れるにしたがって、新規の加入数は徐々に減っていく。そして、洪水を経験した知り合いがいると、現実に洪水のリスクに直面しているかどうかに関係なく、洪水保険に入る人が多くなる傾向がある。このように、アクセシビリティ(入手のしやすさ)や顕著性(目立ちやすさ)は利用可能性と密接にかかわっており、この二つの要素も重要になる。
リスクの評価にバイアスがかかると、危機への備えや対応、ビジネスにおける選択、政策が決定される過程が歪められてしまいかねない。つまり、利用可能性バイアスがかかっているときには、ナッジを与えて、実際の発生確率にもとづいて判断する方向に引き戻すことができれば、私的な領域でも、公的な領域でも、もっとよい意思決定ができるようになるだろう。
これを簡単にいうと、人びとの危機意識を高めるにはうまくいかなかった出来事を思い出させるとよいし、人びとがもっと安心するようにするには、すべてが最高にうまくいった同じような状況を思い出させるとよい。
まちがいは私ではなく、頭の中のこびとが引き起こしている
三つ目の「代表性」は「類似性ヒューリスティック」と考えてよい。「AがカテゴリーBに属する可能性はどれだけあるか」を判断するときには、Bに対してもっているイメージや固定観念にAがどれくらい似ているか(つまり、AがどれくらいBを“代表”しているか)で、答えを出す。
ここでも、類似性と頻度にズレが生じると、バイアスが入り込むことがある。例えば、ある実験で、参加者は「リンダは31歳で独身、はっきりものをいう性格で、とても頭がよい。大学では心理学を専攻した。学生時代には差別や社会正義といった問題に深い関心をもち、反核デモにも参加していた」と説明を受けた。次に、リンダがいまなにをしているかについて選択肢が八つ示され、それをありそうなものから順番に並べていく。
実験では二つの答えが重要な意味をもっていた。「リンダはいま銀行の窓口係である」と「リンダはいま銀行の窓口係で、フェミニスト運動に熱心に取り組んでいる」だ。ほとんどの人は、リンダが銀行の窓口係になる可能性は、銀行の窓口係でフェミニスト運動に熱心に取り組むようになる可能性より低いとした。
よく考えると、これは明らかにまちがっている。フェミニストの銀行窓口係は、全員が銀行の窓口係なので、リンダがフェミニストの銀行窓口係になる可能性より、銀行の窓口係になる可能性のほうが高くなければいけない。
こうしたエラーが起きるのは、代表性ヒューリスティックで、リンダは「銀行の窓口係である」より「銀行の窓口係で、フェミニスト運動に熱心に取り組んでいる」のほうにはるかにマッチしているように思われるからだ。
スティーヴン・ジェイ・グールドはかつてこう考察している。「私には(正しい答えが)わかっているが、それなのに、私の頭のなかでは小さなホムンクルス(訳注:脳のなかにいて脳の働きをつかさどると考えられていたこびと)が飛び跳ね続けて、私に向かってこう叫ぶ。『けれどリンダはただの銀行窓口係になりっこない。説明をよく読んでみろ!』」
ますます多忙な私たちが「正しい選択」をするためには
このように経験則は「人間は誰でも誤りを犯すのだ」ということを表す人間の特性の一つである。そこから浮かび上がってくるのは、複雑な世界に対処しようとする多忙な人間の姿だ。
自分がしなければいけないあらゆる選択について、深くじっくりと考える余裕などない。だから人は適切な「経験則」を使う。たいていはそれでうまくいくが、そのせいで道に迷うこともある。判断がむずかしいときや不慣れな状況ではとくにそうだ。みんな忙しく、注意力にはかぎりがあるので、質問をそのまま受け入れてしまいやすい。言い表し方が変わると答えが変わるかどうか、確かめようとはしない。
そのようなときにわれわれの見解から導き出される結論は「人びとをナッジすることは可能である」ということだ。人生におけるきわめて重要な意思決定でさえ、人びとの選択は、標準的な経済学の枠組みでは予測がつかないような影響を受ける。だからこそ、その影響を受けないようにうながし、「ナッジ」でよりよい選択をすることができるのだ。
(訳:遠藤真美)
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