私たちの生活の中には選択する機会があふれています。携帯電話の契約や保険、住宅ローンなど悩ましい個人の選択だけでなく、なかには地球温暖化や臓器提供者(ドナー)不足など大きな問題につながるような政府や自治体の選択もあります。果たしてその「選択」は本当に最適なのでしょうか? 行動経済学の研究でノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏と米ハーバード大学ロースクール教授のキャス・サンスティーン氏による著書 『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』 から一部を抜粋し、よりよい選択を「する」そして、よりよい選択を「させる」ための「ナッジ」の考え方を紹介します。2回目は、「ナッジは誘惑をコントロールするのに役に立つ」ということについて。

結局「誘惑」をはねのけることができない人間のさが

 ナッジの価値を理解するには、アダムとイブの時代からある「誘惑」の概念をくわしく説明する必要がある。あるものが「誘惑的」であるとは、どういうことなのだろう。

 セイラーはワインに目がなく、特別なワインを小さなグラスであと1杯だけ飲みたいという誘惑にどうしても逆らえない。サンスティーンはワインは嫌いだが、ダイエットコークは浴びるほど飲む。このように誘惑を定義するのはむずかしく、なにが誘惑であるかは、人によってまったくちがう。そして、重要な事実は、人の興奮状態は時間とともに変わる、ということである。

 話を簡単にするため、興奮している「熱い」状態と、落ち着いている「冷たい」状態という両極端な時だけを考えることにする。サリーはとてもお腹がすいていて、おいしそうな匂(にお)いがキッチンから漂(ただよ)ってくる。そんなときにはサリーは熱い状態にあるといえる。土曜日のディナーではどれくらい食べようかと、火曜日に漠然と考えているときには、サリーは冷たい状態にある。

 同じように火曜日の時点ではサラダを食べようと考えていたのに、土曜日の夕方になるとそれだけでは物足りなく思えてきて、ピザを追加したほうがよさそうな気がしてくる。われわれは、熱い状態にあると食べる量が増えてしまうような場合に、あるものが「誘惑的」であるとしている。だからといって、冷たい状態でなされた意思決定のほうがいつもよいわけではない。

 それでも、熱い状態にあるとたくさんの問題に陥りがちなのは確かだ。ほとんどの人は誘惑というものがあることをわかっていて、それを克服するための手だてをとる。

「未来の自分」を過信するな! コミットメント戦略の効果

 古典的な例が、ユリシーズの話である。ユリシーズの船は、歌声で船乗りを惑わし、船を難破させる妖精セイレーンがいる島の横を通らなければいけなくなる。そこでユリシーズは、冷たい状態にあるあいだに船員たちに蝋(ろう)で耳栓(みみせん)をさせて、歌声に誘い込まれないようにした。さらに、自分の体をマストに縛りつけるように船員に命じ、セイレーンの歌が聞こえて熱い状態になっても、船を近づけようとする誘惑に屈しないようにした。

 これが、「コミットメント戦略」の例である。誘惑に屈するリスクが前もって予測できて、その誘惑をとり除くことができるなら、コミットメント戦略はうまくいく。しかし多くの状況では、私たちは興奮がおよぼす影響を低く見積もるので、コミットメント戦略をとらない。

 これは行動経済学者のジョージ・ローウェンスタインが「ホット─コールド・エンパシーギャップ」と呼ぶものである。人は興奮しているときにはちがう行動をとることがわかっていても、その効果の強さを小さく見積もる。冷たい状態(“コールド”な状態)では、興奮の「影響下」にある熱い状態(“ホット”な状態)のときに自分たちの欲求や行動がどれくらい変わるかなど、想像もしない。そのため、文脈が選択にどのような影響を与えるかについて深く考えず、そうした無邪気さが行動に反映される。

 つまり、人には、先を見通す力のある「計画者」と、目先のことしか考えない「実行者」という、半ば独立した二つの自分がいると考えるとわかりやすくなるだろう。

「計画通り」vs.「その場の欲望」 どっちが勝つか

 人は少なくとも自分にはだめなところがあると気づいているため、外部の助けを借りようとする。買い物リストをつくったり、目覚まし時計を買うこともそうだし、友人に頼んで、デザートに手を出しそうになったら止めてもらったり、禁煙に協力してもらったりする。

 こうしたケースでは、計画者は実行者の行動をコントロールする手だてをとっており、実行者が直面するインセンティブを変えようとすることが多い。残念ながら、実行者を手なずけるのはなかなかむずかしく、計画者がどんなに努力しても台無しになることもある。

 目覚まし時計がそのよい例だ(スマホのアラームだって例外ではない)。楽観的な計画者は、1日に目一杯働けるように、アラームを午前6時15分にセットするが、寝ぼけている実行者はアラームを止めて、9時まで二度寝する。ここから計画者と実行者の熾烈(しれつ)なバトルが始まることもある。

ダイエットがしたいなら、「仲間内で賭け」をしろ

 言うことをきかない実行者をコントロールするために計画者が使える戦略はたくさんあるが、第三者の助けを仰げるときもある。日常生活における戦略の一つは、「仲間内で賭けをすること」だ。

 ジョン・ロマリスとディーン・カーランの2人の経済学者は、減量するために独創的な取り決めをした。2人が大学院で経済学を学んでいたとき、どちらもどんどん太っていることに気づいた。就職活動に入ると食事面接でワインと料理をごちそうしてもらえるだろうから、もっと太るのではないかと心配になった。

 そこで2人は協定を結んだ。9カ月間で13キロやせることで合意したのだ。どちらかが失敗したら、相手に1万ドル支払わなければいけない。2人にとっては大金だ。はたして賭けは大成功を収めた。2人とも目標を達成したのである。

 2人は次に、体重をキープするという、さらにむずかしい問題と対峙(たいじ)する。今度は、「1日前に通知すれば、いつでも体重を測定するよう求めることができる」というルールを採用した。どちらか1人が目標体重を超えていたら、あらかじめ取り決めた金額を相手に支払わなければならない。

 4年間で何度か計量が行われたが、どちらか一方が目標体重を超えたのは1回だけだった(罰金はその場で全額支払われた)。

 このように、ナッジは言うことをきかない実行者をコントロールするために個人が自分をうながすだけではなく、第三者からうながされることで誘惑に打ち勝つしかけになる。そして、それは官民の機関が第三者として、どのような手助けができるかを検討するきっかけにもつながるのである。

(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

(訳:遠藤真美)

「よりよい選択」を後押しする「使える」経済学

サブスクリプション(定額課金)サービスを解約し忘れた、高い保険料を払い続けている……あなたのその選択、本当に最適ですか? 選択をまちがうと生じる“損”はナッジの活用で防げます。
ナッジの第一人者でノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授の代表作『実践 行動経済学』が、「最新の話題」を盛り込み、より「役に立つ」かたちになってリニューアル!
「行動経済学」最高の入門書で人生にナッジを取り入れよう。

リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン(著)、遠藤真美(訳)/日経BP/2530円(税込み)