「老化は避けられない運命ではない」――そう語るのは、オートファジー研究の第一人者、吉森保氏だ。アマゾン創業者ジェフ・ベゾス氏が数百億円規模で投資するなど、世界中で老化研究への関心が高まる中、吉森氏の新著『私たちは意外に近いうちに老いなくなる』が話題を呼んでいる。細胞のメカニズムが分かれば、老化を制御できるのか。そして「意外に近いうちに」とは、実際どれほど近い未来なのか。書評家で『見えない死神――原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)の著者・東えりか氏が、自身の体験も交えながら吉森氏に話を聞いた。
「老いなくなる」のはどれほど近い未来なのか
東 えりか(以下東) 今日は吉森先生の新刊『 私たちは意外に近いうちに老いなくなる 』(日経BP)と、私の『 見えない死神――原発不明がん、百六十日の記録 』(集英社)が刊行され、生命や老化をテーマにした対談ということですが、先生の新刊、タイトルがすごいですよね。『意外に近いうちに老いなくなる』。本当にそんなことが可能なのか、それとも私たちの世代はもう手遅れなのか、すごく気になります。
先生も私も同年齢で67歳ですが、体のあちこちに小さな不調が出始める時期ですよね。先日、目に白い点ができたので、眼科に行ったら、「これは加齢です」って言われて。そうか、加齢かと思う半面、「加齢」ですんじゃうの? とも思うんです。
書評家
吉森 保(以下吉森) その気持ちはもっともで、医者の中には面倒くさいので全部加齢のせいにしてしまう人もいるかもしれませんね。でも、今の生命科学は「そうじゃないだろ」という流れが起きています。
東 ということは、老化は自然なことではなくて、止められるってことですか?
吉森 はい。老化を止める、つまり、病気にならずに健康に長く生きられないかを真面目に考えています。世界中で老化研究への投資が過熱していて、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏やChatGPTを開発したオープンAIのサム・アルトマン氏も数百億円規模で老化に抗う薬の開発に投資しています。
というのも、日本人の場合、平均寿命と健康寿命に約10年の差があって、人生最後の10年を介護が必要だったり病気を抱えたりして過ごす人が多い。この問題を解決できれば社会的インパクトが大きいからです。生成AIの次は老化研究だといわれるほど、この分野が注目を集めているんです。
東 正直、そんなこと可能なのかなと思う一方で、実際、老いない生き物も存在するわけですもんね。
吉森 そう。実は生き物にとって、老化は避けられないものではないんです。例えば、この本にも出てくるハダカデバネズミが分かりやすい例ですね。アフリカに住む体長10センチくらいの体毛のないネズミなのですが、これが老いない。
東 死亡率が年を取っても変わらないというのがちょっと衝撃的でした。
吉森 普通の動物は年を取るほど死ぬ確率が上がります。これを私たちは「老化」と呼んでいるのですが、ハダカデバネズミは30歳になっても1歳のときと死亡率が変わりません。つまり老化しないんです。しかも寿命が30年以上。普通のネズミは2、3年ですから、10倍以上長生きします。そういう生き物が存在するということは、老化は避けられないものではないということなんです。
東 普通は老化するのに、ハダカデバネズミだけ老化しないって、不思議ですよね。
吉森 物理学者のシュレーディンガーがいうように、生物はエントロピーに逆らう存在です。エントロピーは、簡単に言うと「放っておくと物は乱雑になる」法則です。部屋は散らかるし、機械は壊れる。でも生物は違います。細胞が毎日せっせと掃除して、壊れたものを修理して、秩序を保っています。
特に私の専門であるオートファジーが分かりやすい例です。オートファジーは日々細胞内の部品を少しずつ分解して、新しい部品に作り直して再利用する、細胞内のリサイクルシステムです。細胞って本当によくできているんですよ。ですから、細胞の研究をしていると、いかに細胞がうまくできているかがどんどん明らかになるので、この仕組みがうまく機能し続ければ「老化しない=病気にもなりにくいはず」と思うんですね。ですから、ハダカデバネズミが老いなくても別に不思議ではないんです。むしろ、私や一部の生命科学者は老化する生物はわざわざ老化している、老化を選んでいると考えています。
一気に変化があるかもしれないのが生命科学の世界
東 「わざと老化している」という考え方は専門外の人間からすると新鮮です。その仮説にのっとれば、例えばオートファジーを活性化できれば、老化をある程度コントロールできるということですか?
吉森 そうなります。実際、私たちの研究では、線虫、ショウジョウバエ、マウスといった動物でオートファジーを活性化させると、寿命が延びたり加齢に伴う病気が改善したりすることが確認されています。動物で効果があるなら、人間でも可能性が大きいはずですから。
東 日々の暮らしでもオートファジーは活性化できるんですよね。
吉森 食事では納豆や味噌などの大豆発酵食品、適度な有酸素運動、質の良い睡眠などが効果的です。そして面白い発見があって、徳島の阿波番茶という発酵茶の濃縮エキス、これがオートファジーを活性化することが分かったんです。
ただ、オートファジーの活性化が人間でどこまで効くかはまだ検証段階です。そこで、実際に人で効果が出るか調べようと、Xプライズというコンテストに参加しています。Xプライズは、アメリカの財団が主催する賞金付きコンテストで、「人間を実際に10歳若返らせたチームに1億ドルの賞金を出す」という人類史上初の試みです。世界中から700以上の応募があって、今は40チームまで絞られています。私のチームも残っています。
東 若返るって有史以来の野望ですよね。始皇帝の時代からそういう願望はありましたし。本当に人類史上初の試みですね。ところで、オートファジーはがんにも関係するんですか?
吉森 これがちょっとややこしいんですが、がん細胞はもともとは自分の細胞が変異した細胞です。オートファジーは全ての細胞に備わっていて、その細胞の生存を維持しようとします。ですから、がん細胞でオートファジーが働くと、がん細胞を助けてしまうので、「オートファジーを止めたらがんが死ぬ」という仮説があります。
実際、アメリカで治験レベルまで進んだんですが、あんまりうまくいきませんでした。私たちの実験では、肝臓がんの場合はオートファジーを過剰に働かせると、がん細胞は死にました。つまり、がんにとってオートファジーは上げることで死ぬ可能性も高い。
また、がん免疫というものがあります。体の免疫細胞ががんを攻撃するのですが、免疫細胞のオートファジーは上げたほうがいいことが分かっています。ですから、私はがんの患者さんでも場合によってはオートファジーを上げたほうがいいと考えています。
東 タイトルの「意外に近いうちに」は実際、どのくらい近い未来なんでしょうか。
吉森 多くの人に聞かれます。真剣に答えようとすればするほど「10年後には老化は止められる」のように断定できないというのが本音です。ただ、おそらく、みなさんが思っているより早いと思いますよ。
東 「意外に」というのがいいですよね。考えてみればテクノロジーって気づいたら定着していますから。
吉森 そうなんです。生成AIの普及もあっという間でしたよね。生命科学やAIの分野は、リニアに発展するのではなく、一気に広がります。だから予想できない。
東 そう考えると、老化を制御できる未来も思ったより早く来るかもしれませんね。
吉森 決してSFの世界ではないんです。老いの一部は制御できる――そんな未来に向けて、研究を続けています。
取材・文/栗下直也、構成/中野亜海(日経BOOKSユニット第1編集部)、市川史樹(日経BOOKプラス編集)
吉森保著、日経BP、1980円(税込み)





