前回 、「老いなくなる時代」の到来が社会をどう変えるかを語り合った孫泰蔵氏と吉森保氏。後編では、孫氏が自著でつづった「人はなぜ死にたくないのか」という問いを入り口に、老化研究とAIの交差点、そしてゲノム編集が切り開く食と環境の未来へと対話が広がっていく。連続起業家の孫泰蔵氏と、オートファジー研究の第一人者で『 私たちは意外に近いうちに老いなくなる 』(日経BP)の著者である吉森保・大阪大学名誉教授が語り合った。今回はその後編をお送りする。

人はなぜ死にたくないのか

孫泰蔵さん(以下、孫) 実は自分の本『 冒険の書 AI時代のアンラーニング 』(日経BP)の最後のほうで、「人はなぜ死にたくないのか」を少し書いたんです。そのとき頭にあったのが映画『ラストサムライ』で、渡辺謙さんが最期に「完璧な人生だった」というようなセリフを言って死ぬ場面です。あれを見た時に、すごいなと思う一方で、自分には絶対に言えないなと感じた。

 人はなぜ死にたくないのか。もちろん生物としての本能もあるとは思いますが、突き詰めると「まだ志半ばで何も成し遂げていない」「家族がまだ不安定で独り立ちしていない」など、死ぬ準備が整っていないまま死ぬことへの恐れが根っこにあるのかなと。

孫泰蔵(そん・たいぞう)
連続起業家。1996年、大学在学中に起業して以来、一貫してインターネット関連のテック・スタートアップの立ち上げに従事。2009年に「アジアにシリコンバレーのようなスタートアップのエコシステムをつくる」というビジョンを掲げ、スタートアップ・アクセラレーターであるMOVIDA JAPANを創業。2014年にはソーシャル・インパクトの創出を使命とするMistletoeをスタートさせ、世界の社会課題を解決しうるスタートアップの支援を通じて後進起業家の育成とエコシステムの発展に尽力。そして2016年、子どもに創造的な学びの環境を提供するグローバル・コミュニティであるVIVITAを創業し、良い未来をつくり出すための社会的なミッションを持つ事業を手がけるなど、その活動は多岐にわたり広がりを見せている。著書に『冒険の書』(日経BP)。

吉森保さん(以下、吉森) そのとおりだと思います。

 でも考えているうちに気づいたんですね。そもそも自分一人の人生で何かを完結させようなんて、無理な話なんですよね。自分が取り組んでいたことは、きっと後の誰かが引き継いで、さらに先へ進めてくれる。

 ある詩人が「大きな弧を思い描きなさい。自分はその弧のごく一部にすぎないけれど、きっと誰かがその弧を伸ばしてくれるはずだ」と書いていて、まさにそうだなと。そう思えたら、たとえ志半ばで終わっても悔いはないんじゃないか。そういう結論に至りました。

吉森 われわれ科学者の世界では、ニュートンの「巨人の肩の上に立つ」という言葉が使われますよね。先人の積み重ねの上に立っているという意味ですが、私は別の例えでよく考えていて、科学というのはサグラダファミリアみたいなものだと思っています。自分ができるのはレンガを一個積むことくらい。

 でも何世代にもわたって積み続けた結果、壮大な大聖堂が出来上がっていく。科学の全体像は誰にも見えないけれど、実はそういう巨大な建造物なんですよね。

吉森 保(よしもり・たもつ)
1996年オートファジー研究のパイオニア大隅良典博士(2016年ノーベル生理学・医学賞受賞)が国立基礎生物学研究所にラボを立ち上げたときに助教授として参加。大阪大学大学院医学系研究科および生命機能研究科教授などを経て、大阪大学名誉教授、同医学系研究科特任教授。著書に『ライフサイエンス 長生きせざるをえない時代の生命科学講義』(日経BP)、『生命を守るしくみ オートファジー ――老化、寿命、病気を左右する精巧なメカニズム』(ブルーバックス)がある。

ChatGPTは「大変ですね」と言うが、共感していない

 その科学の積み重ねを一気に加速させるかもしれないのがAIですね。2025年の後半あたりから、AIの世界でものすごい地殻変動が起き始めています。GoogleやOpenAI、Metaといった大手のトップ研究者たちが、今の大規模言語モデルの延長線上には限界があると見切りをつけて、続々と辞めて自分で会社をつくり始めているんです。

吉森 今の仕組みではダメだということですか。

 具体的な例でいうと、ChatGPTに「昨日財布を落として散々だったよ」と言うと、「それは大変でしたね」と返ってきますよね。

 でも、人間のように感情を持って理解しているわけではありませんよね。AIは財布を落としたこともないし、免許証やマイナンバーを再発行する羽目になる絶望感なんて知りようがない。インターネット上のありとあらゆる文章を学習した結果、「こういう場面では大体こう返すものだ」というパターンを見つけて、もっともらしい言葉を返しているだけです。

吉森 共感しているわけではないですからね。人間の脳には、相手の感情に自動的に反応するミラーニューロンという神経細胞があって、他人の痛みや喜びを自分のことのように感じ取れますが、AIにはそれがありません。

 そうなんです。では本当に共感できるAIをつくるにはどうすればいいか。人間と同じように日常を過ごさせて、財布を落として途方に暮れるとか、電車に乗り遅れて怒られるとか、そういう経験を積ませるしかない。

 それが「ワールドモデル」と呼ばれる新しいアプローチです。コンピューターの中に仮想世界を丸ごとつくって、そこでAIに数千万人分もの人生を疑似体験させる取り組みを一部の人が始めています。

吉森 それ、できそうなんですか。

 まずは物理空間のシミュレーションから始まっています。ボールを落とすとボトッと落ちる、コーヒーカップにぶつかるとこぼれる。そういう物理法則を再現した仮想空間の中で、ロボットに自分で試行錯誤させます。

 この次世代AIの研究には、詳細な事業計画書もない段階で何百億円というお金が集まっています。いかに期待されているかが分かります。

吉森 物理空間をシミュレートできるなら、体内の環境にも応用できないかと当然考えますよね。実際、囲碁のAIで有名になったDeepMindが、今度はタンパク質の立体構造を予測するAIをつくって、それが驚異的な精度を出しています。分子レベルのシミュレーションはすでに現実になっていて、細胞の動きを再現する研究も始まっています。

 ただ、生物学にはずっと「創発」という難題があります。個々の部品はよく分かっているのに、それが集まると部品の足し算では説明できない現象が起こる。生物学ではこれを「創発」と呼びます。たとえば神経細胞の一つひとつの仕組みはかなり解明されているのに、それが何百億と集まった脳がなぜ意識を持つのかは、いまだに誰も説明できない。AIがそこに迫れる日は来るのでしょうか。

 AIがいくら賢くなっても、学ぶためのデータがなければ始まりません。創発がどう起こっているか、その過程を捉えたデータ自体がまだ存在しないのが現状です。

 ただ、「そのデータをどうやって取るか」という問いが具体的に立てば、それを解く研究者はきっと現れるはずです。何が分からないかを理解すること自体が、大きな前進だと思います。

いつか創発の謎をAIが解明する日が来るかもしれない
いつか創発の謎をAIが解明する日が来るかもしれない

海の上でコシヒカリを育てる日がやってくる

 先生の本を読んで驚いたことの一つが、日本の研究者の層の厚さです。特に印象的だったのが「切れないはさみ」と表現されていた構造生物学の話で、ゲノム編集システムの「CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)」ではあえて切れないように改良して、遺伝子を壊さずに機能だけを調整する。こういう独創的な研究が日本から出ているのは、もっと知られていいと思いました。

吉森 ありがとうございます。アメリカでは今、老化研究に巨額の投資が集まっていますが、基礎研究では日本がかなりリードしているんです。それを伝えたいという思いも、この本をつくった動機の一つでした。

 実は私が投資しているプロジェクトに、まさにゲノム編集で面白いことをやっている若い研究者がいます。イギリス人とオランダ人の二人組で、あらゆる植物のゲノムを片っ端から解析して眺めるのが趣味という筋金入りのオタクです。

吉森 気持ちはわかりますよ。ゲノムを見るのはめちゃくちゃ面白いですから(笑)。

 ある時、マングローブのゲノムを眺めていて「これ、米に似てない?」と気づいたんですね。マングローブは海水と淡水が混じる場所で育つ植物で、塩を排出して真水だけを取り込む力があります。

 そのゲノムが米と似ているならば、同じ力を米に持たせられるんじゃないかと。私はデータを見せられても何が似ているのかさっぱり分からなかったんですが、実際にゲノム編集してみたら、塩水をかけても枯れない米ができてしまったんです。

吉森 塩害が世界的に問題になっていますから、とてつもなくインパクトがありますね。

 「なんでマングローブと米が似てるんだ」と聞いたら、彼らはこう言ったんです。「米の原生種は、もともと水辺に育っていたはず。それを人間が長年かけて陸上で育てやすいように品種改良してきた。だから今の米のゲノムにも、水辺の植物だった頃の痕跡が残っているんじゃないか」と。植物学者だったらマングローブと米を比べようとは思わない。ゲノムオタクだったからこそ見つけた発見ですよね。

 彼らには倫理基準があって、品種改良を重ねてできる範囲の遺伝子編集しかしないと決めています。何世代もかけて交配すれば自然に生まれ得るものを、編集でショートカットしている。実際、海水の約7割相当の塩分濃度でも生育が確認されている段階まで来ています。

ゲノム編集でできた米を海上で育てる構想を説明する孫さん
ゲノム編集でできた米を海上で育てる構想を説明する孫さん

吉森 最終的にはどこを目指しているのですか。

 海の上にいかだを浮かべて米を育てる構想です。沖合2〜3kmなら虫や鳥が飛んでこない。虫や鳥が飛んでこないので農薬もいらない。海水には養分が豊富で対流もあるから肥料もいらない。

吉森 無農薬・無肥料の米が海上で収穫できたら、革命的ですよ。品種にもこだわっているんですか?

 それが、彼らは普段米を食べないから品種に興味がないんですよ。「えーと、あれだよ、"Koshihikari"」と言われて、一瞬何のことか分からなかった(笑)。「コシヒカリなら日本人は絶対食べるよ」と言ったら、「そう?」みたいな反応で。

吉森 コシヒカリですか。それは日本人としてはたまらないですね。

 しかも、日本だけにとどまらない話になりそうです。パキスタンやバングラデシュからは塩害で痩せた土地の再生に使いたいと声がかかっています。米が育てば生態系が戻ってくるからです。

 さらにサウジアラビアなど中東からも引き合いがあって、彼らは米を食べませんが、砂漠に海水を引いて稲を育てれば、鳥や虫が来て緑が増え、温度が下がる。一種のテラフォーミング――人為的な環境再生ですね。

吉森 すごいスケールですね。

 砂漠に稲を植えるなんて不自然だと思われるかもしれません。でも、この話を聞いてから、のどかな田園風景の見え方も変わったんです。水田に稲だけをびっしり生やすのは、実は土の中の生態系を壊してしまう。里山が「自然と共存した風景」だといわれるけれど、本当にそうかなと思うようになったんですね。

吉森 そうなんですよ。もともと不自然なことをずっとしてきた延長に、私たちの文明がある。老化を止めることも含めて、何をもって自然の摂理と呼ぶのかは、考え直す価値があると思いますね。

 人間はすでに平均寿命を江戸時代の倍以上に延ばしていて、衛生や医療で散々介入してきたわけですから。科学もAIも進化の延長線上にあるもので、それもまた「自然」なんだと私は思います。

 老化の問題も、AIも、ゲノム編集も、全部絡み合っている。絡み合っているからこそ、一つが進むと全部が動き出す。わくわくしますよね。

吉森 わくわくしますね。対談の最初に「超高齢社会はディストピアか」という話をしましたが、こうして話していると、意外に明るい未来が見えてきますよね。

吉森保さん(左)と孫泰蔵さん(右)。「意外に明るい未来が見えてきます」(吉森さん)
吉森保さん(左)と孫泰蔵さん(右)。「意外に明るい未来が見えてきます」(吉森さん)

取材・文/栗下直也、構成/中野亜海(日経BOOKSユニット編集部)、市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子

これまでどんな権力者も、どんな大富豪も手に入れられなかった「老いない体」。はたして、私たちはそれを手に入れることができるのでしょうか。老化はさまざまな要素が複雑に関わり合う現象です。本書では、オートファジーの世界的権威である吉森先生がノーベル賞級の活躍を見せる研究者たちに直接取材し、それぞれの分野で明らかになってきた「老化の謎」と「健康長寿の最前線」を、分かりやすく紹介します。

吉森保著、日経BP、1980円(税込み)