ネズミと小人は巨大な迷路で大量のチーズを発見しましたが、ある日、チーズが突然消えてしまいます。しばらくその場に留まっていた小人は、チーズ探しに旅立ち、新たに大量のチーズを発見します。世界的ベストセラー『 チーズはどこへ消えた? 』(スペンサー・ジョンソン著/門田美鈴訳/扶桑社)から学べることを、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の森健太郎さんが解説。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

異なる意見に耳を傾ける

 『チーズはどこへ消えた?』では、C区画に大量にあったチーズが、ある日突然消えてしまいます。しばらくC区画に留まっていた小人のホーは、ある日、新たなチーズ探しに迷路へと旅立ちます。

 ホーは、あれだけ怖かった迷路でのチーズ探しが、楽しみになってきました。運命を自らの行動で切り開こうとする前向きな姿勢が、ホーを生き生きとさせます。

 ある日、ホーはこれまで見たことのない大量のチーズを見つけます。そこでは2匹のネズミが手を振っています。彼らはいち早くチーズ探しに出掛けていました。立派なチーズ腹を見るに、随分前からいるのでしょう。

 ホーは、チーズを堪能しながら振り返ります。C区画のチーズは今から思うと、毎日少しずつ減っていた。もう少し注意深くチーズの変化を日々観察していたら、「突然消えた」ことに戸惑うことはなかったはずだと反省します。これからは、毎日チーズの変化を観察して、変化に備えようと心に決めます。

 ただ、変化の観察は実際には極めて難しいのです。なぜなら、ジョエル・バーカーが著書『 パラダイムの魔力 』(仁平和夫訳/日経BP)で論じているように、「人間は自分が信じているものが見える」。つまり、常に自分の世界観の色眼鏡を通してしか、世の中を見ることができないからです。

 バーカーによると、トランプのカードに「黒のハート」を混ぜ、ほんの数秒間だけ見せて、何のカードかを当ててもらうと、多くの人は「スペード」と答えるそうです。

 私が大学を出てコンサルティングの門をたたいた数十年ほど前、入社研修の初日に最高経営責任者(CEO)からたたき込まれたのが、まさにこれでした。「人間は皆、一度自分の考え・仮説を形成すると、都合の悪い情報は目に入らなくなる。それを常に、常に意識して、異なる意見・情報にこそ、真摯に耳を傾けるように」

トランプに「黒のハート」を混ぜ、ほんの数秒間だけ見せて何のカードかを当ててもらうと、多くの人は「スペード」と答えるという(写真/shutterstock)
トランプに「黒のハート」を混ぜ、ほんの数秒間だけ見せて何のカードかを当ててもらうと、多くの人は「スペード」と答えるという(写真/shutterstock)
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 話を戻すと、変化のモニタリングは重要ですが、変わりたくない人には、変化は見えないのです。変化を捉えるには、進化し続けたいという自らの姿勢と、自分とは異なる世界に身を置く人との接点を持つことが不可欠と言えましょう。

知らぬ間に上っている「悪魔のはしご」

 大学卒業後すぐに入社したコンサルティング会社の、世界各国の新入社員を集めた新入社員研修でのCEOの訓示は、今でも鮮明に覚えています。

 一言目は(少し本題から脱線しますが)、「You are incompetent(君たちは、無能である)」。

 「一流大学を出ていたり、一流企業の出身だったりするかもしれないが、コンサルティングの世界では、そんなものは全く関係ない。ゼロからのスタートである。謙虚に、謙虚に、学ぶように」

 そして話を進めます。

 「将来、『自分は、有能かも』と思う時が来るかもしれません」「心に留めてほしい。そう思った時が、君たちの成長が止まる時である。『自分は無能で発展途上である』という、謙虚さを忘れないように」。その上で、我々人間がみな陥りがちで、ゆえに、コンサルタントとして特段の注意を払うように、と叩きこまれたのが、「Ladder of Inference」(推論・仮説のはしご)という概念です。

 「人間は様々な情報を広く収集して、解釈することで、自分の意見や仮説を形成する。ところが、一度自分の意見や仮説が形成されると、自分にとって都合のよい情報が目に留まり、都合の悪い情報は目に入らなくなってしまう。人間というのは、そういう生き物である。コンサルタントにとって、これは、決して陥ってはならないワナである」

 さて、ここでさらに1つ考えてみたいのが、その道を究めていけばいくほど、経験を積めば積むほど、色眼鏡のレンズが厚くなってしまうという点です。『パラダイムの魔力』で紹介されている次のチェスプレーヤーの実験が象徴的です。

意外にもろい!? チェス名人の記憶力

 ノーベル経済学賞を受賞したカーネギー・メロン大学のハーバート・サイモンと、同僚の心理学教授、ウィリアム・チェースとが共同で、1973年に次のような実験を行いました。

  • チェスのプレーヤーを計9人、被験者に選びました。そのうち3人は世界ランキング上位の名人、3人は中級者、残りの3人は初心者です。
  • ゲームの途中のチェス盤を5秒だけ見せて、同じようにコマを並べるようにと依頼します。

 実験の結果は、どうだったと思いますか?

 読者の皆さんのご想像の通り、名人の成績はすばらしく、3人の平均正解率は81%でした。わずか5秒しか時間が与えられなかったことを考えると、驚異的な記憶力です。一方の初心者は間違いが多く、平均正解率は33%でした。

 さて、ここからが実験の本番です。今度は、ゲームのルールを無視して、コンピューターによってランダムにコマを並べます。そして、1回目と同様に、そのチェス盤を5秒だけ見せて、同じようにコマを並べるようにと依頼しました。

 結果は、以下のどれだったと思いますか?

(1)名人の方が初心者よりも正解率が高かった
(2)名人も初心者も正解率は同じだった
(3)名人の方が初心者よりも正解率が低かった

 実験の結果は、なんと(3)でした。意外なことに、名人の正解率が大きく落ち、初心者よりも低くなってしまったのです。

 チェスにはルールがあるからこそ、名人はゲームの展開を推測し、信じられないほどの正確さでコマの位置を覚えることができる。ところが2回目は、チェスのルールが取り除かれたため、名人が鍛錬と実践によって長い期間かけて積み上げてきた精妙な認知力が、役に立たないものになってしまった。それどころか、逆に、チェスのルールという色眼鏡が邪魔をして、ランダムなチェス盤を素直に情報処理できず、初心者よりも正解率が低くなってしまう。

 つまり、ゲームのルールが変わってしまえば、その道を究めてきた人(や企業)であればあるほど、もろいということです。

チェスの名人は、ゲームのルールを無視してランダムに並べられたコマを記憶することが初心者よりできなかったという(写真/shutterstock)
チェスの名人は、ゲームのルールを無視してランダムに並べられたコマを記憶することが初心者よりできなかったという(写真/shutterstock)
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警告が罵倒に聞こえてしまう理由

 最後に、同じく『パラダイムの魔力』から逸話を1つ引用して、本連載を終わりたいと思います。

~ブタとブス~

 むかしむかし、山荘を持っている男がいた。毎週土曜日の朝になると、ポルシェを駆って山荘に向かう。見通しのきかないカーブやガードレールのない絶壁など、途中には危険な箇所がいくつもある。

 しかし、男は気にもかけていなかった。車の性能はすばらしいし、運転には自信があるし、目をつぶっても走れるほど道をよく知っていた。

 ある晴れた土曜日の朝、男はいつものようにポルシェを飛ばしていた。見通しのきかないカーブが近づくと、スピードを落とし、ギアを切り替え、200メートルほど先の急カーブにそなえ、ブレーキに足をおいた。そのとき、カーブの陰から車が1台、ハンドルを切り損ねたように飛び出してきた。崖から落ちると思った瞬間、道路すれすれに弧を描き、勢いあまって反対車線に入り、あわててハンドルを切りなおしたかと思うと、また反対車線に入ってくる。

 なんてことだ。男は急ブレーキを踏んだ。

 車は蛇行しながら接近してくる。ぶつかると思った瞬間、対向車は左にそれ、すれちがいざま、きれいな女性が窓から顔を突き出し、あらん限りの声で叫んだ。

 「ブタ!」

 ふざけるな。男はカッとなって、怒鳴り返した。

 「ブス!」

 「めちゃくちゃな運転をしているのは、どっちなんだ」。しかし、怒鳴り返して、少しは胸がスッとした。ああいう女には、ひとこと言ってやったほうがいい。

 そして、アクセルを踏み、急カーブを曲がった途端……ブタに衝突した。

 これはパラダイムのお話である。男は、ののしられたと思った。しかし、対向車の女性は、親切でああ言ってくれたのだ。その女性はもう少しで崖から落ちるところだったが、カーブを曲がったところにブタがいることを、わざわざ知らせてくれたのだ。それなのに、男は「パラダイム麻痺」におちいり、ののしられたと思った。そこで「ルール」に従い、ののしり返した。

 それで、ゲームは終わりだと思った。

 教訓──。次の10年間、見通しのきかないカーブにさしかかったとき、大声を発してくれる人がいるかもしれない。

 パラダイムが硬直していると、悪魔の声しか聞こえない。
 パラダイムがしなやかであれば、女神の声が聞こえてくる。
 繰り返し言うが、どちらの声が聞こえてくるかは、まったくあなた次第である。


『チーズはどこへ消えた?』の名言
『チーズはどこへ消えた?』の名言
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