「パーカーおじさん」に「ロックTシャツおばさん」、「ロマンティックおばさん」とネット上では中高年のファッションに関連したバズワードがときおり発生していますが……。健康社会学者・河合薫さんの新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち』より抜粋します。
おじさんらしさ、おばさんらしさ
2024年、「パーカーおじさん」なるワードが物議をかもし、有名実業家やらも参戦した反論の反論の反論が盛り上がりを見せた。SNSには「おじさん叩くのもいい加減にしてくれ」「どんな服を着ようと他人につべこべ言われる筋合いはない」と憤慨の声も殺到した。
しかし、発端となったコラムニスト・脚本家の27歳(当時)の女性から見れば「40歳近くになって、パーカーを着てるおじさんっておかしい」のだ。
私にも似たような経験がある。新人客室乗務員だった22歳の時、同期の彼が30代と知り「そんなおじさんと付き合ってるの? ありえない」と驚愕(きょうがく)した。お天気お姉さんだった時は「河合、俺、何歳に見える?」とベテランの男性スタッフに聞かれ、「40歳くらいですか?」と答え、60歳のスタッフを喜ばせた。
20代の私には「30代以上はみな同じ」。若いのは20代までで、30歳以上はおじさんであり、おばさんであり、お父さんであり、お母さんだった。
要するに、「年齢」とはそういうもの。
私たちは、生まれてからの年数である「年齢」という客観的な事実とは別に、個人的なイメージや、個人的な基準、さらには「この年齢ならこうあるべき」という「らしさ」の物差しを、曖昧かつざっくりと持っている。「パーカーおじさん」という言葉は、そのイメージとらしさと実際の服装がミスマッチを起こした結果に過ぎない。
そればかりか「40歳近くになって、パーカーを着てるおじさんっておかしい」という発言。これは、他者を批判することで、実は自分も世間の「らしさ」に縛られていることを暗に示している。
「この年で花柄着るとロマンティックおばさんになってしまうけど」「この年でロックTシャツは痛いかもしれないけど」と、ディスられる前に自分で予防線を張る「ロマンティックおばさん」や「ロックTシャツおばさん」の心理と根底は同じだ。

私たちが普段何気なく行っていることや考えていることの多くは、社会で共有されている「らしさ」というイメージの影響を受けている。
ただし、中高年に対するイメージの根底には、単なる「らしさ」の問題を超えた、より根深い社会課題が存在する。
それは、たとえば「働かないおじさん」といった嘲笑的な言葉を生んだ、「40代・50代は使えない」というステレオタイプだ。
社会が作り上げた中高年のステレオタイプ
イメージとステレオタイプは似て非なるものだ。その違いは「第一印象」と「レッテル」に例えることができる。
イメージは、簡単に変わる。たとえば、「気難しそう」という第一印象も、何度か話すうちに「実は誠実で優しい人だ」と新しい情報によって上書きされていく。
一方で、ステレオタイプは一度貼られると剥がれない「レッテル」となる。過去の経験やネガティブな複数のイメージが複雑に絡み合って形成されるため、人間の意識の深いところに刻み込まれてしまうのだ。たとえば、「アイツは仕事ができない」とレッテルを貼ると、どんないい結果を出しても「どうせズルしたんだろう」「誰かに助けてもらったんだろう」と決めつけてしまう。
このレッテル貼りは、個人の意欲や能力を無視した判断につながり、就職や昇進、社会参加など、あらゆる場面で悪影響を及ぼす。そして最もやっかいなのは、レッテル貼りは無意識に行われる場合が多いことだ。レッテルを貼られた人は世間に根付くステレオタイプ、すなわち他者からのまなざしに生きづらさを感じ、孤立や孤独に陥るリスクがあるのに、「貼った本人」は全く気づかない。
たかがパーカーおじさん、されどパーカーおじさん。
世界は「一人ひとりの個性や能力を尊重しましょう」と動いているのに、日本のおじさん・おばさんはなぜか「尊重される存在」から排除され、個人の意欲や能力、センスに関係なく、十把一絡(じっぱひとから)げでたたかれる存在になってしまったのだ。
河合薫著/日本経済新聞出版/1760円(税込)
