江戸文化研究家の田中優子さんが選ぶ「江戸と江戸時代を深く知るための本」。2冊目は、『江戸に学ぶエコ生活術』。日本在住のアメリカ人建築家が書いた『Just Enough』を翻訳したものです。多数のイラストを掲載し、江戸の循環型社会がどのようなものだったのかが、詳細に紹介されています。

循環型社会をイラストで解説

 江戸時代が循環型の社会だったことは、よく知られています。しかし、それを分かりやすく説明してくれる文献は多くありません。その数少ない1冊が『 江戸に学ぶエコ生活術 』(アズビー・ブラウン著/幾島幸子訳/CCCメディアハウス)です。10年以上前の刊行で、もともと英文で書かれたものの翻訳書ですが、江戸時代の社会の価値観を極めて精緻に描写しています。

 著者のアズビー・ブラウンさんは日本在住のアメリカ人建築家で、日本文化の研究者としても知られています。お仕事柄、イラストやスケッチが大変お得意で、この本にも随所に掲載されています。当時の道具や建物、リサイクルのシステムなどは、言葉の説明だけではイメージしにくいですが、イラストのおかげで大変分かりやすい。それも本書の大きな特徴でしょう。

『江戸に学ぶエコ生活術』(アズビー・ブラウン著/幾島幸子訳/CCCメディアハウス)
『江戸に学ぶエコ生活術』(アズビー・ブラウン著/幾島幸子訳/CCCメディアハウス)
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捨てるところがない稲

 例えば、農村の循環型の暮らしを説明するために、まず秋、夏、冬に森で採れる食材を紹介しています。それから燃料となる樹木、それを炭にする方法まですべてをスケッチ風のイラストで描いている。いかに当時の庶民が自然を破壊せず、調和しながら生活を営んだか、著者がその価値観に強く共感している様子がうかがえます。

 それから、稲作農業についても、地形を利用した灌漑(かんがい)のシステムや道具類、年間の作業プロセスを詳しく紹介しています。ここで面白いのは、農業が農業だけで完結せず、地域社会全体の循環の中核を担っていたこと。

 例えば、収穫後の稲は乾燥させてわらにし、わらじやみのや籠などに加工して生活全般で使います。使い古しても捨てるのではなく、最終的には堆肥や燃料となり、燃料は燃えて灰となり、染料や研磨剤として再利用される。あるいは、もみ殻やぬかも、行き着く先は堆肥です。つまり、生産物を余すところなく使い尽くすわけで、ゴミも出ません。これが循環の一つです。

 また、循環は農村だけで完結しません。都市部からふん尿を買い取り、発酵させて肥料として使っていました。そのあたりの事情も詳細に記しています。今日の感覚で言えば、下水処理にはお金を払うのが当たり前。しかし当時は、下水が有効利用されお金に代わったわけです。どちらが豊かで持続可能かは明らかでしょう。

 こういう仕組みが生まれたのは、幕府や藩が設計したわけでも、庶民のエコ意識が高かったわけでもありません。端的に言えば、経済合理性のなせる業です。もともと当時の庶民は、「かわや(川屋・厠)」の名の通り、川の上にトイレを置いていました。しかし、江戸のように人口が集中してくると、必然的に川の汚染も激しくなります。

 そこで1600年代半ば、幕府はかわや禁止令を出して川の上の設置を禁じます。人々は別の場所にトイレをつくるわけですが、川と違ってふん尿がたまります。そこに、もとよりふん尿を肥料に使っていた農民が目を付けて、買い取るようになるわけです。

詳細なイラストが本書の魅力
詳細なイラストが本書の魅力
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 彼らはそれを発酵処理して他の農民に高く売ることで、利益を得ました。だからその“原料”におカネを出してももとが取れたのです。やがて卸問屋を設立し、人足を雇ってかき集め、より多くの農民に売るというビジネスにまで発展しました。

 一方、江戸の住民にとっても、デメリットは何もありません。処理してくれて地域の衛生を保てる上、大家や商家や大名屋敷はおカネまでもらえる。誰に指示されたわけでもなく、まさにウィン-ウィンのシステムが自然発生的に機能していたのです。

家屋に関する記述はより詳しく

 あるいはゴミについても、循環システムが存在していました。当時のゴミといえば履き潰したわらじや紙類や布類などですが、やはりいずれも引き取る業者がいて、それぞれにリサイクルされていた。最終的には「灰買い」と呼ばれる、文字通り家庭の竈門(かまど)などから出る灰を買い取る業者までいました。灰にもいろいろ使い道があることは、先に述べた通りです。

 これらの一つ一つについて、丁寧にイラスト入りで紹介しています。当時の生活の知恵や工夫に驚かされるとともに、それを詳細に調べ上げた著者の姿勢にも敬服したくなります。

 それから建築家らしく、家屋の説明はより具体的。例えば茅葺(かやぶ)き屋根のつくり方や、木材、竹、土など建築材料の長所一覧など。まるで設計図のようで、この通りにつくれば再現できるような気さえします。

 また、湯屋(銭湯)の内部構造の解説も面白い。江戸時代に描かれた湯屋の絵画はたくさん残っていますが、この空間はどういう場所なのか、そこに置いてあるものは何か等々までは分かりません。それを細かく紹介してくれるわけです。

外国人の目線だからこその発見

 この本が生まれたのは、著者が建築家であるとともに外国人であるという要素も大きいと思います。とかく日本人の場合、学校教育のせいか、江戸時代に対して一種の先入観を持ちがちです。幕府が絶対的な権力を握り、鎖国政策のために社会は前近代的で、庶民は一様に貧しい。そんなイメージでしょうか。

 しかし、外国人なら先入観がありません。自身の専門分野の観点で当時の史資料に触れ、面白いと思えばフラットな目で探究していく。それが逆に、日本人にも新鮮に映るのではないでしょうか。

「外国人研究者の長所は先入観がないことです」と話す田中さん
「外国人研究者の長所は先入観がないことです」と話す田中さん
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 実際、日本の歴史や美術などに関心を持つ英語圏の研究者は少なくありません。例えば『大江戸視覚革命 十八世紀日本の西洋科学と民衆文化』(作品社)など多数の著書があるイギリス人のタイモン・スクリーチさんもその1人。日本近世の文化や美術の専門家で、もともとロンドン大学の教授だったのですが、現在は京都の国際日本文化研究センターで教授をされています。

 この本の視点も斬新で、江戸時代に西洋から入ってきた銅版画や解剖図、メガネ、望遠鏡などが、庶民の暮らしや感覚をどう変えたかというお話です。もともと研究論文なので表現は硬いですが、やはりイラストが満載なので、専門書としては比較的読みやすいと思います。

 それはともかく、『江戸に学ぶエコ生活術』に話を戻すと、農民の暮らし、町人の暮らし、武士の暮らしの3章構成で、絶妙に組み合わされた循環型社会の実態がリアルに分かります。一般に流布する先入観から解放してくれるという意味でも、まれな名著と言えるでしょう。

 ただ残念ながら、その大きなスケール感を、この日本語のタイトルでは表現できていない気がします。原題は「just enough:lessons in living green from traditional japan」、直訳すれば「足るを知る:伝統的な日本から学ぶ、自然の中で生きる方法」といった感じでしょうか。私たちはもはや当時の生活には戻れませんが、今の生活や自然環境との関わり方を見つめ直すヒントは多数得られると思います。

取材・文/島田栄昭 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝