江戸文化研究家の田中優子さんが選ぶ「江戸と江戸時代を深く知るための本」。3冊目は、『逝きし世の面影』。江戸時代を生きた人々が、どれだけ幸福で、美しく、魅力的だったのか。現代の日本人が失ってしまったものは何か。外国人が残した記録から探るロングセラーの名著です。
面影だけが残った「江戸文明」
幕末以降、日本には多くの外国人が訪れ、さまざまな記録を残しました。それをもとにして書かれたのが『 逝きし世の面影 』(渡辺京二著/平凡社ライブラリー)です。ただ単に文献を紹介しているだけではありません。近代史家である著者・渡辺京二さんの江戸時代への見方が、明確に打ち出されています。そのあたりが、名著と呼ばれるゆえんでしょう。
江戸時代を「江戸文明」と称したのは、渡辺さんが最初でした。「江戸文化」という言い方はよく聞きますが、当時の日本人が育んだのはそれだけではないと。市井(しせい)の美意識や循環型で高成長を遂げた経済構造などが、人々の生活に根ざしたひとまとまりの価値観を形成していた。だから「文明」であると説いたわけです。
ところが、明治に入ると西洋文明に押され、江戸文明はきれいさっぱり消滅します。今日も、例えば歌舞伎とか、城下町とか、江戸時代の名残をとどめたものはありますが、渡辺さんによれば、いずれも「欠片(かけら)にすぎない」とのこと。
では、江戸文明とはどういうものだったのか。それを外国人のまなざしを通して掘り起こそうというのが、この本の趣旨です。そういう思いは、書名からもうかがい知ることができるでしょう。約600ページもある大著ですが、大変読みやすいと思います。
明るさ、親切さ、好奇心
当時の外国人の見方は、近代化された西洋文明に視点を置いているという意味で、現代の日本人の見方と重ね合わせることができます。つまり、私たちが江戸文明を見たとき、何に驚いたり感心したりするかを疑似体験できる。そういう観点で読めば面白いと思います。
例えば「第2章 陽気な人びと」で、外国人が一様に驚きながら指摘するのは、行く先々で出会う市井の日本人の明るさ、親切さ、好奇心の旺盛さです。争ったり、異質な外国人を警戒したり、だましたりする様子は見られなかったとのこと。西洋と比較すれば決して物質的に豊かではありませんでしたが、精神的にはいかに豊かに暮らしていたかが分かります。その姿は、現代の日本人が読んでも驚くことでしょう。
また「第3章 簡素とゆたかさ」では、庶民の暮らしぶりが描かれています。それによると、例えば、長屋のような家に家具のようなものはほとんど何もなく、押し入れのようなスペースもなく、ただ片隅に布団が畳んで置いてあるだけ。しかし一様に清潔で、長屋の中には共同の水場もトイレもゴミ捨て場もある。食べものにも苦労している風ではないし、衣服も小ぎれい。つまり、貧しいながらも文化的な生活を送っていたらしいのです。
また、富者と貧者の線引きも曖昧で、双方とも質素な暮らしで満足していた。それだけ平等な社会だったということでしょう。産業革命以降、貧富の格差や分断が激しくなったヨーロッパに比べ、日本は明らかに異質でした。
あるいは、「第4章 親和と礼節」では礼儀正しさを、「第8章 裸体と性」では性に対してオープンなところを、「第10章 子どもの楽園」では子どもを崇拝するかのようにかわいがり、育てる様子などが描かれます。
もう一つ挙げるなら、「第11章 風景とコスモス」も面白い。景観への賛美がつづられますが、その対象は山や川といった自然だけではありません。田畑や家屋との調和、人々が生活のなかで自然を愛し、季節の移り変わりを楽しむ姿まで含まれます。
いずれの章も、外国人の驚きの声に満ちています。それはそのまま、現代の私たちの驚きとも重なるはずです。江戸時代の人々の生活ぶりや価値観がよく分かるという意味で、一級の文献と言えるでしょう。
江戸の人々に学ぶこと
ただ、最初にもお話しした通り、本書の問題意識はこうした「江戸文明」が消滅してしまったことにあります。
今でも、江戸時代に描かれた浮世絵や絵画などは多数残っています。それらを参照すれば、江戸文化がどういうものだったかはイメージしやすいでしょう。それに歴史書もあるので、幕府や社会がどういう仕組みで動いていたかも調べられます。しかし、いずれにせよ「分かる」だけで、文明として私たちに受け継がれているわけではない。現代の日本人の生活とは、ほぼ完全に切り離されています。
それは単に、江戸時代と現代だけの話ではありません。江戸時代の文化は、例えば、平安時代や鎌倉・室町の時代の文化を踏襲して形成されました。また、そこには、もっと前の日本文化や中国の文化・思想も含まれています。前の時代の文化に新しい要素を加えることで、それぞれの時代に合った文化が連綿と生まれ続けてきたわけです。その集大成が江戸文明でした。
それを象徴するのが、歌舞伎の演目の数でしょう。江戸時代には、無数の新作が作られました。過去の膨大な作品群をリメイクしたからです。ところが今は、はるかに少ない。江戸時代と断絶され、それ以前の作品が忘れ去られたから、もしくは作品として残ってはいても、もはや使う価値がないと思われているからです。文明が消滅するとは、ものを作る力が失われることを意味するわけです。
同じことは、輸入品についても言えます。「鎖国」のイメージが強い江戸時代ですが、実はアジアからもヨーロッパからも多くの物品が入ってきました。ただし、そのまま使ったり売ったりはしません。その輸入品をもとにして、自分たちにとって使い勝手がいいように“江戸版”に作り替えてしまうのが常。こうして外国のいい部分を取り込みながら、社会に合わせて新たな価値を生み出すところが、文明の力だと思います。
さて、今日の日本はどうでしょうか。独自の価値観という意味でも、クリエイティビティの観点でも、文明と呼べるものはずいぶん減っている気がします。今こそ、私たちはもっと江戸の人々から学ぶべきなのかもしれません。
取材・文/島田栄昭 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝