『暮しの手帖』の編集長を9年間務め、エッセイストとして人気の松浦弥太郎さんが、「ものの価値」とは何かについて語ります。『 価値あるもの 衣・食・住・旅 』から抜粋して再構成。第4回。

 小学五年生になって、念願だったリトルリーグの入団にチャレンジした。

 入団にはテストがあると聞いた僕は、父に特訓を頼んだ。

 「リトルは少年野球と何が違うんだ?」と父は聞いた。「リトルは硬球、少年野球は軟球。ぜんぜん違うんだ」と僕は答えた。

 次の日、父はどこかから硬球を手に入れてきて、「特訓を始めよう」と近くの公園に僕を連れていった。

 「プロが使っている硬球だ。これで練習をすればいいだろう」と父は言い、毎日キャッチボールで特訓をすることになった。革の硬球は硬く、ずっしりと重く、こんなボールで野球をするのかと僕はたじろいだ。

 わが家にはグローブがひとつしかなかった。父は軍手をグローブ代わりにして僕の球を受けてくれた。

 「ボールの縫い目に指を合わせて投げるんだ」と父は言い、足を高く上げて、僕にボールをまっすぐに投げた。ボールをグローブで受けると、手の平がしびれた。こんなのが頭にあたったら死ぬかもしれない。硬球は恐ろしいと思った。

 「ボールを怖がるな。怖がったらテストに落ちるぞ」と父は言い、毎日、手を抜くことなく強いボールを僕に投げた。

 最初は硬球が怖くて仕方がなかったが、しばらくすると段々と慣れてきて、投げるのも受けるのも恐怖心は無くなっていった。

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 数日後、僕はリトルリーグのテストに合格をした。テストは応募した他の少年とのキャッチボールだけだった。リトルリーグで使う硬球はサイズが小さくて投げやすいだけでなく、あまりに軽くて、拍子抜けしたのを覚えている。

 その後、リトルリーグの練習を見に来た父は、「ボールを怖がるな。よく見て、向かっていけば怖くはなくなる」と僕に言った。

 大人になった今、仕事をしながら、この言葉をよく思い出す。座右の銘になっている。日々、怖いことだらけだからだ。

写真/松浦弥太郎

松浦弥太郎さんの暮らしを彩る40のエッセイ

『暮しの手帖』の編集長を9年務め、エッセイストとして人気の著者が、「ものの価値」とは何かを、衣・食・住・旅の4つのテーマでつづりました。ブランドや値段のような指標ではなく、自分の価値観や暮らしに根ざしたものの見方、考え方とは。

松浦弥太郎(著)、日経BP、1760円(税込み)