「河野龍太郎の『成長の臨界』を考える」第1回は、社会保障政策をテーマに『福祉国家』(デイヴィッド・ガーランド著)を取り上げます。2000年代、少子高齢化が進む日本では、社会保障費が膨張。政府は消費税の増税を見送る代わりに、財源確保のため被用者の厚生年金保険料を大幅に引き上げました。しかし、その余波で企業は非正規雇用を増やし、完全雇用でも消費が低迷する原因となりました。我が国の社会保障政策の問題点を知る上で本書は大いに参考になります。
経済学だけでは対処できない
なぜ、日本は長期停滞に陥っているのか。どうすれば脱却できるのか。それが拙著 『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 (慶応義塾大学出版会)の最大のテーマです。
考えられる要因は多々あります。グローバル経済による貿易の影響。日本人の働き方が変わったことによる所得分配のゆがみの影響。社会保障制度が時代の変化に対応できていないこと。金融システムや公的債務、さらに地政学の問題もあります。
在野エコノミストの私が言うと語弊があるかもしれませんが、これらの問題は、経済学だけではとても対処できません。関係する専門領域があまりにも細かく分かれてしまっているからです。
そこで、経済学のみならず、グローバルな視点、歴史的な視点、政治的な視点も盛り込んで論じてみようというのが、本書の試みです。
2014年にノーベル経済学賞を受賞したフランスの経済学者ジャン・ティロールは、 『良き社会のための経済学』 (村井章子訳/日本経済新聞出版)の中で、19世紀末まで、経済学をはじめ政治学、心理学、社会学、法学、歴史学、文化人類学などはすべて1つの学問だったと説いています。
20世紀以降、専門化が進み、分岐していったわけですが、今日の複雑な世の中を読み解くには、これらの学問を再統合する必要があるとのこと。私もまったくその通りだと考えています。
だから『成長の臨界』では、折に触れて過去十数年の様々な分野の主要文献を議論の俎上(そじょう)に載せています。ここでは、本書のエッセンスを語りつつ、特に重要と思われる文献について紹介してみます。
もうけをため込んできた日本企業
「河野さんの言うことを聞かなくてよかった」。2020年春に新型コロナウイルス禍が広がった頃、複数の大企業経営者からそう言われました。長期停滞から脱する方策の1つとして、私はかねて企業が人的資本や無形資産に積極投資すべきだと訴えてきました。しかし、多くの企業はそれまでのもうけをため込むばかりで、これらの投資にも賃上げにも消極的でした。
そのおかげで、コロナ禍による売り上げ減に直面しても倒産しなかったし、それどころかリストラさえ避けられた、というわけです。
ではなぜ、企業は投資を控え続けたのでしょうか。その理由は単純です。1990年のバブル崩壊後、何度も大きな危機に見舞われるなか、リスクを取った経営者は損を出して退任し、リスクを取らなかった経営者ばかりが任期を全うできたからです。
つまり、何もしないほうが任期を全うできる。それが合理的と判断されたわけです。
しかし、これが成功体験として定着すると、日本の産業界が成長どころか衰退することは明らかでしょう。今はコロナ禍がようやく終息しつつあり、先送りされていた需要が期待できるかもしれません。ただそれが一巡すれば、長期停滞に舞い戻るだけです。この状況に警鐘を鳴らさなければという危機感も、本書を書く動機になりました。
福祉は成長の足かせではない
企業の消極姿勢は、企業だけに責任があるのではありません。背景には、政府の社会保障政策があります。そこで、まず参考になるのが、 『福祉国家 救貧法の時代からポスト工業社会へ』 (デイヴィッド・ガーランド著/小田透訳/白水社)です。
著者は世界的に著名な法社会学者で、本書では社会保障の歴史を論じています。19世紀以前、各地域にあった共同体には、困窮者を支援するメカニズムが組み込まれていました。時々の権力者は、それは統治のために不可欠であると認識していました。特に18世紀後半以降、社会が都市化、工業化、市場化し、レッセフェール(自由放任主義)が提唱された時代においても、国家は労働者を保護するメカニズムを徐々に整えていったと説いています。これが後に、国単位の社会保障制度として機能するようになりました。
ところが1980年代以降、高度成長の終焉(しゅうえん)や新自由主義の台頭、さらに財政健全化の要請により、社会保障は経済成長の足かせと見なされるようになりました。
グローバリゼーションやデジタル革命によって、雇用が不安定になり、家計の直面するリスクが大きくなったことに併せ、本来なら、国民を守る社会保障制度をグレードアップ(充実)すべきところを、むしろ各国とも劣化させてしまいました。
社会保険料引き上げが非正規雇用を増やす
本書は、そうした経緯を先進各国の事例で追いながら、実は福祉国家こそが近代的統治の根本であり、経済成長に欠かせないと結論づけていきます。日本については触れていませんが、数々の指摘は日本にもそのまま当てはまります。
2000年代、少子高齢化が進む日本では、高齢者向けの社会保障費が膨張しました。当時の小泉純一郎政権は、消費税の増税を見送りました。その代わりの財源を確保するため、最も取りやすいところに目を付けました。被用者の厚生年金保険料を大幅に引き上げたのです。
また2000年代は、膨らむ高齢者医療費の財源として、現役世代の健康保険組合から所得移転を強化しましたが、運営の厳しくなった健保組合は保険料の引き上げで対応しました。
現役世代の社会保険料の引き上げは、企業から見れば正規雇用の人件費の増加を意味します。その結果、企業は非正規雇用に頼るようになりました。一般に非正規雇用の増加は、グローバリゼーションによる競争激化によるものと説明されることが多いのですが、それだけではなかったのです。反発の多い増税を避け、最も取りやすいところから取ろうとした日本政府の選択が、少なからず影響しているのです。
消費税は「仕向け地課税」(製品やサービスを消費する国で課税すること)なので、国内から輸出する際には還付されます。したがって、消費税を増税しても、国際競争力には影響しません。高齢者の社会保障費の増加を消費税で賄っていれば、これほど非正規雇用は増えなかったと思われます。
非正規雇用の増加は、教育訓練を受けられない労働者の増加を意味するだけではありません。非正規雇用はセーフティーネットが十分ではないため、将来に不安を抱え、所得が増えても消費を増やそうとしません。
例えば2017年から19年にかけて、労働市場はバブル期以来の超人手不足で、非正規雇用の賃金も上がりましたが、消費は増えませんでした。彼らは不況になれば解雇されることが分かっているので、賃金が増えてもお金を使わず、貯蓄に回しました。これこそが、完全雇用が実現している日本において、なかなか消費が増えない背景です。
その後、コロナ禍で非正規雇用は削減され、結果的に彼らの判断の“正しさ”が証明されました。社会全体でリスクを分担できず、最も弱い人にダメージが集中する社会は、完全雇用においても消費を増やすことができないということです。これを今回の教訓として、福祉政策のあり方を見直すべきでしょう。社会保障制度の歴史的な経緯や理論的な価値を知る上で、『福祉国家』は格好の啓蒙書です。
文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子