「河野龍太郎の『成長の臨界』を考える」第2回は、コーポレート・ガバナンスをテーマに『中二階の原理』(伊丹敬之著)を取り上げます。本書は、世界標準の基本原理を「二階」、人々が位置する社会や現場を「一階」と定義。一階の社会にいきなり二階の原理を導入すると、様々な混乱やあつれきが生じます。そこで、日本人はそれを中和するために様々な補完的原理を組み込んできました。今の日本企業の問題は、この「中二階の原理」をないがしろにしてしまったところにあります。

「株主重視経営」の弊害

 なぜ日本は長期停滞から抜け出せないのか。第1回 「河野龍太郎 社会保障改革が非正規雇用を増やした」 では、政府による社会保障の観点を取り上げましたが、今回は、コーポレート・ガバナンス改革について考えていきます。

 バブル崩壊後の1990年代、日本企業は三大過剰(過剰雇用・過剰債務・過剰設備)の問題を抱えていました。しかし、2003年、りそな銀行の一時国有化と公的資金の投入で金融システムが安定化したところで、解消へ向かいます。2005年ごろには過剰問題は解消していました。

 ところが、企業はその後も費用削減を止めず、これ以上ぜい肉をそぎ落とすことができないほどの筋肉質になっていきました。第1回でも触れたように、非正規雇用を増やすとともに、正規雇用者への人的投資も抑制しました。

 最近は「リスキリング」という言葉をよく聞きます。要するに新たな仕事に必要なスキルを学び直すことです。かつて、日本企業といえば手厚いOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が特徴でした。日々の実務を通じ、上司や先輩が新参者に仕事の極意を教え、鍛え上げていきました。

 しかし、昨今の現場では、人手不足のため、そのような余裕を失ってしまいました。以前からOFF-JT(実務を離れて行う教育・研修)は盛んではありませんでしたが、今はますます減っています。つまり正規社員として職場に入ったとしても、人的資本の蓄積が乏しく、生産性が発揮できません。

 団塊の世代が定年を迎えた2010年代、人手不足はより深刻になりましたが、技術の伝承が進まなかったのです。その頃、企業の不祥事や工場における事故が相次いでいることは、無関係ではないと思います。リスキリングの必要性が叫ばれているのは、その裏返しともいえます。

「日本企業は人への投資を怠ってきました」と話す河野さん
「日本企業は人への投資を怠ってきました」と話す河野さん
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 ここには企業経営の矛盾があります。社員は人的資本が蓄積されていないから、生産性が高まらず、会社はコストカットによってもうけるしかない。しかし、それは社員の貢献ではないから、経営者は賃上げをせず、さらにコストカットにまい進しようと考える。結局、社員は疲弊するだけで、スキルも見返りも得られない。そんな悪循環が続いているのです。

 その背景には株主重視の経営があります。株主の付託を受けている経営者としては、なるべく短期間に利益を出す必要に迫られています。一昔前の日本企業には、株主のプレッシャーを遮断し、中長期的な視点で経営を行えるメカニズムが組み込まれていました。ところが、一連のコーポレート・ガバナンス改革によって、それらは取り除かれてしまいました。これが今日の企業経営の大きな問題です。

日本語も天皇も「中二階の原理」

 拙著 『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 (慶応義塾大学出版会)を書いた後、こうした問題意識にストレートに答えてくれる本に出合いました。それは経営学の大家である伊丹敬之氏による 『中二階の原理 日本を支える社会システム』 (日本経済新聞出版)です。まさに「我が意を得たり」の思いでした。

『中二階の原理』(伊丹敬之著/日本経済新聞出版)
『中二階の原理』(伊丹敬之著/日本経済新聞出版)
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 本書では、世界標準の基本原理を「二階」とし、その原理の下で生きる人々が位置する社会や現場を「一階」と定義します。一階の社会にいきなり二階の原理を導入すると、様々な混乱やあつれきが生じます。しかし歴史を振り返ると、日本人はそれを中和するために様々な補完的原理を組み込んできました。伊丹氏は、それを「中二階」と名づけています。

 中二階の象徴的な例として挙げられているのが、日本語です。文字を持たない社会(一階)に中国から漢字(二階)がもたらされましたが、それだけでは使い勝手が悪い。漢字を基に仮名を発明し、「漢字仮名交じり文」という、表意文字と表音文字の両方を使って言語表記する、類いまれな言語体系を生み出しました。

 時々の政治権力とは別次元の「権威」である天皇制や、明治維新後の「和魂洋才」も同様です。さらに戦後の日本企業は、短期的な利益を犠牲にしてでも利益の源泉となる中核的な雇用を守るなど、長期的な視点での経営を貫いてきました。私の解釈では、組織の強みなど変えてはいけないものを中二階に堅持することで、環境の変化に合わせ、企業変革を可能としてきた、ということです。

すべてのステークホルダーが大切

 ところが、昨今はグローバリズムの進展により、「中二階」が軽視されるようになりました。その典型が、米国型の資本主義の導入です。確かに米国では、新たな技術を取得する際、技術を持つ人材を外部から雇ったり、企業を買収したりすることが可能です。

 しかし、そもそも日本では外部労働市場やM&A市場は十分に整っていません。これまでは時間をかけて自前で人材を育て、新技術を生み出してきました。そんな中で、「短期に利益を上げよ」という株主の圧力が強まれば、長期的な投資はおろそかになり、経費削減にまい進するしかありません。その結果、強みだったはずの「中二階」を自ら傷つけてしまったのではないか。これが本書の大きな問題意識です。

 約20年前、コーポレート・ガバナンス改革が始まった頃から、私は、「株主も大事だがその他のステークホルダーも同様に大事」と言い続けてきました。社会システムは、労働市場、資本市場、社会保障制度、財政制度、教育制度のあらゆるものが相互に影響し合っており、どこか1つだけ、外から新しいものを輸入してきても、機能不全を引き起こすのです。制度的な補完性の視点が必要で、それを軽視した改革はうまくいきません。

 『成長の臨界』でもこの点を強調しましたが、伊丹氏の論考に触れて、その思いをいっそう強くしました。

文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子

企業を観察し続けた経営学の泰斗による迫真の日本論

かな文字、人本主義、そして天皇制――。この国の社会空間を豊かにしてきた「中二階」とは何か。そして、どんな働きをするのか。経営、経済、文化、社会など多様な側面から、歴史的視点も交え解説する。

伊丹敬之著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)