「河野龍太郎の『成長の臨界』を考える」第5回は、グローバル資本主義をテーマに『資本主義だけ残った』(ブランコ・ミラノヴィッチ著)と『グローバル・グリーン・ニューディール』(ジェレミー・リフキン著)の2冊を取り上げます。米国の資本主義も中国の資本主義も、格差と腐敗という共通の病巣を抱え、「成長の臨界」にぶつかっています。打開の鍵は地域コミュニティーにあります。

米中に共通する課題

 米中対立が激化して以降、西側では、「中国=悪の帝国」というイメージが強くなりました。確かに巨大テック企業の活動を抑制したり、教育産業に介入したり、強権的な政策を次々と打ち出しているように見えます。習近平体制は異例の3期目に突入し、いよいよ権威主義が強まったと批判的に報じられています。

 しかし、その姿は米国主導のグローバル資本主義と何ら変わらないのではないか。そう問いかけるのが 『資本主義だけ残った 世界を制するシステムの未来』 (ブランコ・ミラノヴィッチ著/西川美樹訳/みすず書房)です。

『資本主義だけ残った』(ブランコ・ミラノヴィッチ著/西川美樹訳/みすず書房)
『資本主義だけ残った』(ブランコ・ミラノヴィッチ著/西川美樹訳/みすず書房)
画像のクリックで拡大表示

 著者は経済格差を分析する著名な研究者。前著 『大不平等 エレファントカーブが予測する未来』 (立木勝訳/みすず書房)では、経済のグローバル化によって意図せずして結託した先進国の富裕層と新興国の中間層が勝者となり、先進国の中間層が没落する実態を看破しました。

 今作では、やはりグローバル化によって米国では「社会民主主義的資本主義」が「リベラル能力資本主義」に取って代わられ、中国の「権威主義的資本主義」とともに双子のモンスターになって格差と腐敗を生んだと指摘します。

 タイトルに込められた意味は「資本主義が勝った」ということではなく、米中いずれの資本主義も共通の深刻な課題を抱えているということです。

格差が固定化する理由

 かつて巨大テック企業といえば、イノベーションの先導役と思われていました。ところがいつの間にか、イノベーションを阻害する側に回ってしまいました。潤沢な資金力を背景に、自身の独占的地位が覆される前に新技術を持つ企業を買収して闇に葬るようなケースも見られます。

 米国では企業献金は青天井なので、政治的にもなかなか抑制されません。つまり米国は中国を批判できる立場にはなく、どちらも経済成長や経済厚生を阻害する状況を生んでいるわけです。

 また、昨今の富裕層は資産所得だけではなく、多額の労働所得も稼ぎ出す傾向が顕著です。そして、同類婚の増加により、富はますます集中します。彼らは自らの高所得の源泉が高い教育にあることを知っているので、子どもへの教育費を惜しみません。この循環によって所得格差は教育格差を生じさせ、社会階層が固定化されます。

 米国では、高い教育が受けられる地域に高所得者が移転する「孟母三遷」が観測されます。これが社会の分断をもたらすことは、言うまでもありません。

「巨大企業が成長を阻害しています」と話す河野さん
「巨大企業が成長を阻害しています」と話す河野さん
画像のクリックで拡大表示

 中国にも巨大テック企業の独占や格差、腐敗の問題だけでなく、教育格差の固定化の問題があります。だから教育産業への介入を行ったのです。ただし、中国は法よりも官僚が支配する国であり、仮に問題意識が適切だとしても権威主義には常に危うさが付きまといます。

 一方、グローバル資本主義と自由主義を標榜する米国の場合は、別の難しさがあります。イノベーションの果実が、消費性向の低い一部の富裕層に集中する結果、経済の好循環の作動がかなり前から難しくなっています。ジョー・バイデン政権は種々の再分配政策によって軌道修正を図ろうとはしていますが、中間選挙で下院の多数を失った今、もはや再分配政策を進めることは不可能になりました。格差と腐敗が社会の限界まで進む恐れがあります。

 本書を読むと、私たちは資本主義の剣が峰に立っていることを痛感させられます。

希望は地域コミュニティーの復活にある

 米国型のリベラル能力資本主義も中国型の権威主義的資本主義も共通の問題を抱え、壁にぶつかっている。この「成長の臨界」を超える1つの道は「地域コミュニティー」の復活にあると思います。エネルギーシステムなど自律分散型の社会経済システムに移行していけば、私たちの働き方や暮らし方は大きく変わります。スマートシティーやスマートカー、スマートグリッドなどの新たな社会技術は、いずれも地域コミュニティーの重要性を高めます。

 こうした思索を巡らす上で、 『グローバル・グリーン・ニューディール 2028年までに化石燃料文明は崩壊、大胆な経済プランが地球上の生命を救う』 (ジェレミー・リフキン著/幾島幸子訳/NHK出版)から多くの示唆を得ました。

『グローバル・グリーン・ニューディール』(ジェレミー・リフキン著/幾島幸子訳/NHK出版)
『グローバル・グリーン・ニューディール』(ジェレミー・リフキン著/幾島幸子訳/NHK出版)
画像のクリックで拡大表示

 本書は、エネルギーシステムを化石燃料中心の大規模・垂直型から再生可能エネルギー中心の水平分散型へと移行することで、自律分散型の脱炭素社会、脱物質化社会が到来すると説いています。

 すでに新型コロナウイルス禍を経て、リモートワークはずいぶん一般化しました。出社せずに働けるなら、通勤圏内どころか国内に住む必要もなくなります。また、米国のような先進国の大企業経営者から見れば、高い賃金を払って自国のホワイトカラーを雇わなくても、世界中から安いコストで優秀な人材をリクルートできます。

 したがって、かつて製造業で起きたようなオフショアリング(業務の海外移管・委託)が、非製造業のホワイトカラー業務でも起きてくると予想されます。AI(人工知能)やロボットに代替される仕事も増えてくるので、先進国では従来型の職場は徐々に消えていきます。

 一方で、代替されない仕事もあります。それは、地域コミュニティーに根差したフェイス・トゥ・フェイスの仕事です。

 都市部の地域コミュニティーは著しく失われましたが、労働環境の変化によって職住接近を選択する人が多くなれば、地域の昼間人口が増えていきます。それは地域コミュニティー復活の契機となるかもしれません。

 そのことは地域経済の活性化のみならず、社会保障の再生という意味でも重要です。かつて、日本が小さな社会保障でも何とか回っていたのは、家族や地域社会での相互扶助や企業による福祉が代替していたからですが、家族形態は多様化し、企業は非正規化を進めています。それでも社会保障の持続可能性を高めるには、地域コミュニティーの再生とセットで考えるしか方策はないと思います。

 私が拙著のタイトル 『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 (慶応義塾大学出版会)を「限界」としなかった理由の1つは、新たな技術によって自律分散型社会の時代が到来するのなら、地域コミュニティーの復活に一縷(いちる)の望みを託せると考えたからです。

文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子