「河野龍太郎の『成長の臨界』を考える」第4回は、進化生物学の視点を取り上げます。『文化がヒトを進化させた』(ジョセフ・ヘンリック著)、『ヒトは〈家畜化〉して進化した』(ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ著)の2冊は、協調的行動を取る人間集団が生き残ってきたというポジティブな面と、「自己家畜化」によって集団外の人間を排除し、対立を激化させてしまうネガティブな面を指摘しています。
大集団による知識の蓄積
第3回 「河野龍太郎 『共感』と『足るを知る』を思い起こせ」 で紹介したアダム・スミスの 『道徳感情論』 (村井章子、北川知子訳/日経BPクラシックス)の思想、つまり共感の力が社会を安定・繁栄させたという考え方は、進化生物学にも応用されています。ヒトの脳には共感をつかさどるニューロン(神経細胞)があり、それによって高いコミュニケーション能力を発揮してきたからこそ、ヒトは地球上で最強の動物になり得ました。
問題は、そのプロセスです。従来の学説によれば、ヒトは遺伝的進化を遂げた後に文化を構築したと考えられてきました。そこに一石を投じたのが、 『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』 (ジョセフ・ヘンリック著/今西康子訳/白揚社)です。
ハーバード大学人類進化生物学教授である著者によると、ヒトの祖先は早い段階から文化を持ち、累積した文化に適応すべく遺伝的に変化しました。つまりヒトは、文化と遺伝の相互作用によって進化を加速させたというのです。
例えば、人は石器や火を使って食物を食べやすくした結果、牙がなくなり、顎は小さくなり、消化管は短くなりました。その変化によって節約したエネルギーを、巨大化した脳の活動に回すことができた、という具合です。
もっとも、1人の人間の脳が持つ力には限界があります。様々な知恵や発明は、1人の天才が生み出したものではなく、何世代もかけて集団の中で改良が加えられ、蓄積された成果です。だとすれば、集団が大きければ大きいほど、知識の蓄積も多くなります。
かつてネアンデルタール人とホモ・サピエンスが共存していた頃、どちらも10人ほどの集団で生活していました。しかし、ホモ・サピエンスはやがて100人単位、1000人単位の大集団を形成するようになりました。その分、多様で膨大な知識が蓄積され、進化が加速し、他の種との生存競争を勝ち抜いていきました。
ヒトの進化はなお続いている
こうした過程で重要なのがコミュニケーション能力です。集団で暮らし、知識を伝えたり、情報交換したりするためには、利他性や協調性が欠かせません。協調的な人が有利になるような淘汰圧が働き、結果として協調的な個体が多い集団が生き残ってきたと考えられます。
一方で、経済学が前提としているのは「利己的で合理的な経済人」です。個々人の分業と我欲に基づく競争こそが成長を促すと考えます。しかし、進化生物学の観点からは見直しを迫られます。それはスミスの『道徳感情論』の原点に立ち返るということでもあります。
著者によると、人類の生物学的な進化は今も続いているそうです。人類文明が急速に発展したのはここ200年のこと、多くの人が読み書きできるようになったのは100年足らずの話です。さらに集団脳という意味では、ネット社会の発達によって、近年、新しい段階に突入したことは間違いないでしょう。
人がこれからも進化を続けるとすれば、利他的な個体の多い集団が繁栄し、利己的な個体の多い集団は滅びるかもしれません。ひたすら公的債務を膨張させ、将来世代の利益を奪っている集団は生き残れるのか。そこが私たちの運命の分かれ道かもしれません。
協調性に潜むダークサイド
ところで、こうした人間の共感性や協調性による社会の進化は、ポジティブな面だけではありません。拙著 『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』 (慶応義塾大学出版会)では、そのネガティブ面にも触れました。いわゆる「同調圧力」やしばしば発生するバブル現象には、共感性や協調性が関わっています。
バブル現象は大きく2つに分類できます。1つは政治におけるバブル。バンドワゴン効果(あることが流行っていると認識する人が集まると、さらに人気や支持が加速していく現象)によって、選んではいけないような人物をリーダーに選んでしまいます。もう1つは資産バブルです。多くの人が特定の資産に群がる結果、説明不可能な水準まで資産価格を押し上げます。いずれも近視眼的な同調行動であり、社会に禍根を残します。
問題はそれだけではありません。 『ヒトは〈家畜化〉して進化した 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』 (ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ著/藤原多伽夫訳/白揚社)は、人の共感性や協調性が他者を傷つけてしまうメカニズムを説明しています。著者は米デューク大学進化人類学教授と同大学のデューク・イヌ認知センターのリサーチ・サイエンティストで、進化生物学の見地から人間の凶暴性を論じています。
動物が家畜化されると、行動も見た目も温和になります。このことが進化の過程で、淘汰圧の結果として生じることを「自己家畜化」と呼びます。例えばイヌは人間に最も近しい動物ですが、人間がオオカミを飼いならし、そう仕向けたのではありません。オオカミの集団の中から、人間に近づいて暮らしたほうが有利と気づいた個体が現れ始め、人間に対する友好性が淘汰圧として働いた結果、自己家畜化が進みイヌに進化していったと考えられます。
これは、人間についても言えます。他の集団との競争の中で、集団内では協調的な個体が有利となる淘汰圧を受けて、自己家畜化します。そのおかげで、集団内の見知らぬ相手とも協調できる高いコミュニケーション能力を獲得しました。一方で、大きな問題は、集団外に対しては逆の行動を取りかねないことです。
ヒトは他集団に対しては残酷になる
哺乳類はオキシトシンというホルモンを持っています。親が子を大事に思うと、オキシトシンが分泌されます。しかし、オキシトシンは同時に身内を脅かす者への敵意をあおる効果があります。集団内の過ちは大目に見ても、他集団に対してはわずかなミスも許さず、罰を与えようとします。集団内の協調性と外への敵意は、実は表裏一体のメカニズムなのです。
実際、現代世界では様々な対立が増えています。集団内では協調し、結束すればするほど、集団の外とは非協調的になり、対立が激化しているように見えます。
本書の原案は、米国でドナルド・トランプ大統領が登場する前にほとんど書き上げられていましたが、その後の社会分断の進展を見て、改善策を提示するために、大きく書き換えられたそうです。集団同士の対立を軽減するには、頻繁な接触が有効です。地域内部の分断であれば、他者と親しくできるような住空間の設計、つまり「混住」が解決につながると述べています。
もう1つの解決策は、共通の脅威に直面すること。人間が持つ自己家畜化のダークな面は変えられないとしても、地球規模の問題が起きれば、協調の範囲を広げることが可能かもしれません。地球温暖化問題など、その芽は現実にいくつもある気がしますが、一方でウクライナ戦争が始まるなど協調は容易ではありません。それは我々の種の限界なのでしょうか、それとも次なる高みに向かうのでしょうか。
文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/鈴木愛子