人間のニーズ充足のための生産・提供・調達・準備・保管といった「プロヴィジョニング」のありようを分析するフェミニスト経済学。アプローチの方法は様々だが、共通の認識も生まれつつある。「経済学の書棚」第19回前編は、問題意識を共有する9人の女性研究者が編集・執筆した教科書『フェミニスト経済学』とフェミニスト経済学の視点からジェンダー問題を考察する『ジェンダーの政治経済学』を紹介。
人間のニーズを満たす財・サービスに注目
ジェンダーやフェミニズムの視点を経済学の分析に取り入れる動きが広がっている。経済学者によってアプローチの方法は様々だが、共通の認識も生まれつつある。研究成果を見わたせる本を紹介しよう。
長田華子、金井郁、古沢希代子編著『 フェミニスト経済学 経済社会をジェンダーでとらえる 』(有斐閣/2023年10月刊)はフェミニズムの視点に立って経済を分析する「フェミニスト経済学」の教科書だ。問題意識を共有する9人の女性研究者が編集・執筆した。
第Ⅰ部「理論と方法」ではフェミニスト経済学の基本を解説する。
ジェンダーとは社会的・文化的につくられる性を指し、フェミニズムの視点とは、「経済社会におけるジェンダーの作用を追究することによって、女性に限らず、男性、子ども、高齢者などの万人を、差別や抑圧から解放し、1人ひとりの権利を保障することで、万人のウェルビーイング(暮らしぶりの良さ)の向上をめざすもの」と定義している。
フェミニスト経済学は、人間のニーズ充足のための生産・提供・調達・準備・保管といった「プロヴィジョニング」のありようを分析する学問であり、正統派・主流派とされる新古典派経済学以外の「異端派経済学」の1つであると位置づけている。
人間のニーズを満たす財やサービスがいかに提供され、1人ひとりに届くのかに注目する点では、「古典派経済学」の考え方に連なると説明している。
フェミニスト経済学が仮定する人間像は「関係性のなかにある個人」であり、新古典派が前提とする人間(合理的経済人)は実際にはどこにもいないと批判する。人間は相互依存の関係のなかで存在していると考え、フォーマルな市場経済だけではなく、インフォーマルな経済や市場以外の領域も分析対象とする。
フェミニスト経済学で重要な位置を占める概念が「アンペイドワーク」だ。報酬という対価が支払われないワーク(仕事・労働)であり、家族による家事、育児、介護などを指す。この概念は報酬がとりわけ貨幣の形で支払われる「ペイドワーク」の誕生によって成立した。
栄養素を摂取するという人間のニーズは市場経済で提供される財やサービスだけで満たされるわけではない。私たちの生活は経済学が対象としてこなかった非市場領域であるアンペイドワークによっても支えられている。ペイドワークだけを「経済」だと認識し、市場経済の取引量の大きさを豊かさとみなして政策を立案するなら、人間のウェルビーイングの向上と乖離(かいり)してしまうと懸念している。
ペイドワークの世界でのジェンダー平等は重要なテーマだが、それを実現するためには、アンペイドワークの世界におけるジェンダー平等も不可欠である。アンペイドワークに費やす時間は女性の方が男性より多い。そうであるとペイドワークに費やす時間も平等にならず、結果的に男女の収入格差を生んでしまうと指摘する。
「世帯」のとらえ方も大切だ。ゲーリー・ベッカー(シカゴ大学)の「新家庭経済学」では、それまでブラックボックスとなっていた世帯の内部に注目し、世帯の中でも、個々人が合理的に選択しているとの仮説を提唱した。
フェミニスト経済学では、世帯内の協力と対立に着目する。個人の選好こそ、社会の規範や慣習のもとで歴史的に形成され、何を選択するのか自体に権力関係が影響を及ぼすとの見方を示す。ベッカーのアプローチに対しては、「世帯をブラックボックスとせずに経済学の分析対象にすえる点では評価しつつも、市場分析の道具をただ世帯に適用しただけの見方には同意しない」と厳しい評価を下している。
第Ⅱ部「領域と可能性」では、労働市場、マクロ経済、ジェンダー予算、金融、貿易自由化といったテーマ別に分析している。
労働市場を扱った第6章では、伝統的な経済学は男女格差をどのように説明してきたのかに触れつつ、「ケアを担うことができないよう設計された正社員の働き方自体を、問い直さなければならない。職務価値をジェンダー公正に評価する方法を取り入れる法規制や労働運動を展開していく必要がある」と説く。
低賃金労働の雇用改革を
また、有償の休暇や労働時間の削減、柔軟な労働配置など就業とケアを調整する政策に加え、低賃金労働やパートタイム労働のための雇用改革を求める。すべての労働者がケアする時間を必要としていることを認識して働く場の構造を変え、男性もアンペイドワークを担うことでジェンダー平等を高め、すべての人がペイドワークとアンペイドワークをバランスよく担う社会に近づけると訴えている。
カール・マルクスの『資本論』研究からジェンダーに研究領域を広げた原伸子著『 ジェンダーの政治経済学 福祉国家・市場・家族 』(有斐閣/2016年2月刊)は、フェミニスト経済学の視点からジェンダーの問題を考察する書である。
ゲーリー・ベッカーらによる「新家庭経済学」、「選好理論」に基づく少子化論、経済構造の「戦略的補完性」という概念を用いたゲーム理論によるジェンダー格差論などは、フェミニスト経済学の核心であるケアの分析が見られないと批判する。
第Ⅰ部では、「新家庭経済学」が成立するまでの過程とその内容を紹介したうえで、フェミニスト経済学が誕生した背景や方法論を解説している。両者を比較し、問題点を検討している。
第Ⅱ部と第Ⅲ部では、1980年代以降、福祉国家が変容・縮減する過程における家族政策とりわけ「ワーク・ライフ・バランス」政策の意義について論じている。第Ⅰ部は理論編、第Ⅱ、Ⅲ部は政策編と大別できる。
1990年代にはフェミニスト経済学が成立し、1995年の北京世界女性会議では、「すべての政策と計画が効力をもちジェンダー視点の主流化が明らかとなるように、決定が下される前に、それが女性と男性それぞれに及ぼす効果について分析を行うように」と呼びかけた。
ジェンダー視点の政策への浸透が重要
原氏によると、フェミニスト経済学と「ジェンダー主流化」はいずれもジェンダーの問題を可視化する試みであり、後者は前者の実践でもある。
もっとも、フェミニスト経済学は「ジェンダー視点が経済学の論法の文字通りすべての側面に影響を与える道筋を明らかにする」のに対し、「ジェンダー主流化」はジェンダーの視点から政策の効果を測定する「インパクト評価」を意味しており、前者の方が射程が広い。フェミニスト経済学による理論分析の視点が、政策の中でどのように達成されているのかを検討することが重要な課題になると説明している。
第Ⅲ部・第9章「日本におけるワーク・ライフ・バランス政策」では、日本では、自律的で中立的な個人による多様な働き方の自由な選択という文脈で、ワーク・ライフ・バランス(WLB)政策が議論されているとの見方を示す。
雇用政策と結びついた少子化対策には限界
日本のWLB政策は雇用政策と少子化対策からなり、少子化対策は雇用政策に結びつくことによって道具主義的な性格を帯びているという。市場労働と家庭の双方における性別役割分担の見直しというジェンダーの視点が不可欠だと強調している。
家庭での育児や介護(無償のケア労働)の社会的な意味を明らかにする、というジェンダー平等の視点が、日本の政策論議では希薄である。少子化対策でも、女性の選好に基づく政策という方向性を打ち出しているが、選好理論はその背後にある構造的な強制を捨象する。それでは、パート労働に集中する女性の「行動」の社会的な意味を説明できない。個人主義的で道具主義的な少子化対策とそれに基づくWLB政策の限界を指摘して、同章を締めくくっている。
(後編に続く)
写真/スタジオキャスパー


