ジェンダーをテーマとする研究にも実証分析の波が押し寄せている。「経済学の書棚」第19回後編では、米国での男女賃金格差の変遷をたどりながら、なお残る賃金格差の原因に迫る『なぜ男女の賃金に格差があるのか』、ジェンダー平等実現に向けた取り組みの効果を検証した分析を紹介する『ジェンダー格差』、結婚、出産、育児、離婚といったライフイベントで、人々はどのように意思決定して行動するかを解明する『「家族の幸せ」の経済学』を取り上げる。
大卒の方が大きい男女間賃金格差
経済学界では、様々な分野でミクロデータを活用した実証分析が盛んになっている。ジェンダーをテーマとする研究にも実証分析の波が押し寄せている。
2023年にノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン著『 なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学 』(鹿田昌美訳/慶応義塾大学出版会/2023年3月刊)は、米国での100年にのぼる男女賃金格差の変遷をたどりながら、なお残る賃金格差の原因に迫っている。
米国の大卒女性に焦点を当て、世代別に5グループに分類している。最年長の第1グループは1878~1897年生まれで、1900~1920年頃に大学を卒業している女性たち。最も若い第5グループは1958年以降に生まれ、1980年頃に大学を卒業した女性たちだ。
詳細は省くが、第1グループは「家庭かキャリアか」の選択を迫られ、第2~4グループを経て第5グループには「キャリアも家庭も」という傾向が見られる。
同書では、各種の統計を基に男女間の賃金格差の推移を追っている。フルタイム勤務の全労働者の男女格差を見ると、調査を開始した1960年から20年間にわたり、男性1ドルに対して女性は60セントの水準にとどまっていた。その後、比率は上昇し、1990年には男性1ドルに対して女性は70セント、2000年には75セント、現在(2020年)は81セントとなった。
大卒者に限って集計すると、大半は全労働者と同じ経路をたどるが、1990年以降は男女格差が縮まらず、女性は70セント台で横ばいとなっている。
1980年代以降に所得の不平等が拡大し、大卒の男性が最大の勝者であったために、こうした現象が起きているとみる。なぜ、大卒の男性が勝者となったのだろうか。
1980年代に男女格差が縮まったのは、女性がスキルを向上させ、教育を受け、労働の継続性が高まったためとの見方が有力で、著者も同意見だという。かつては学歴や職歴、仕事に関連するスキルなど、測定がしやすい要因によるものだったが、現在ではこうした差はほとんどなくなっている。
それでも賃金格差が残っている原因を、雇用者や賃金設定者の偏見や、女性の交渉力や競争力の弱さに求める人が多いが、本当の理由は別のところにあると著者は主張する。
大卒の女性は教師、看護師、会計士などの職業に就くことが多く、大卒の男性は管理職、土木技師、販売員などの職業に就くことが多い。男性と同じ職種であっても、女性の方が、給料が安い会社にいる。この現象は「職業的分離」と呼ばれるが、これも主な問題ではない。性別による収入差の3分の2は、それぞれの職業の内部にある要因から生まれているという。
著者が男女格差を生む主な要因とみているのは「時間」の問題だ。キャリアの成功と楽しい家庭のバランスを取ろうとする女性にとっての根本的な問題は、時期が重なること。会計、法律、金融、コンサルティング、学問の世界では、女性と男性の競争の場は不平等だ。出世に必要な時間的な要求を満たせず、「パイプラインの漏れ」と呼ばれる現象が起きがちなのは女性なのだ。
1980年代初頭から所得格差が拡大する中で、時間を限定しない「どん欲な仕事」の価値が大幅に高まっている。最も高くジャンプした労働者がこれまで以上に大きな報酬を受け取る。長時間労働を要求され、柔軟性が最も低い仕事には、不釣り合いなほどの多額な報酬が与えられるが、それ以外の雇用では、収入が停滞している。「どん欲な仕事」にはそもそも女性が参入するのが難しいと説明している。
労働者間の代替が格差是正のカギ
そのうえで、男女間の賃金格差がなくなっている薬剤師の例を挙げ、労働者間の代替が長時間・オンコール勤務による不相応に高い時給を下げる鍵を握るとみる。この変革には革命も、社会運動も、激変も必要ないとアピールしている。
開発経済学が専門の牧野百恵著『 ジェンダー格差 実証経済学は何を語るか 』(中公新書/2023年8月刊)は、ジェンダー格差に関連する実証分析をまとめた本。ジェンダー平等を実現するという目標に向けた様々な取り組みは本当に効果があるのか。実証経済学の手法を活用して検証した研究成果を紹介している。
「ジェンダー平等」を掲げる政策の効果
著者によると、ジェンダー平等それ自体は素晴らしい理念であり、国連のSDGs(持続可能な開発目標)を含め、ジェンダー平等を前面に出す政策には表立って反対しづらい。しかし、そこで思考が停止すると政策論議が深まらないのではないかと問題提起し、個々の政策効果を検証する余地があると指摘している。
以下に同書で紹介している研究成果の一部を引用する。○は因果関係を実証できている仮説、△は実証できていない仮説である。
- △ ジェンダー格差を解消すれば、経済成長・貧困削減につながる。
- △ 女性の政治家が増えると福祉政策が手厚くなる。
- △ 女性の労働参加が増えると経済が成長する。
- ○ 法律で女性の財産権保障に手厚い国ほど、女性の性や出産に関する決定権が強くなる。
- △ 便利な家電製品が開発されると、女性が担ってきた家事労働を代替するようになり、女性の余暇時間が増え、労働参加につながる。
- ○ 女性の労働参加が女性の自律性や自己決定権を向上させる。
- ○ 女性の賃金が高いほど女性の意思決定権や自律性を高める。
- ○ 女性の労働参加率が相対的に高いことが予想される地域では、女児の生存率が上昇し、性比(男性人口を女性人口で割った値)も下がる。
- ○ 現在の先進国では、少子化は、女性の労働参加率が低く、家事にかかる労働時間が長く、離婚率が低い国で進んでいる。
個々の実証研究の結果が必ずしも正しいとは限らない。場所も時期も異なる様々な環境で実施した実験が、他の環境でも同じ結果をもたらすかどうかは不明だが、実証分析を積み上げる中で、研究者の間で共通認識ができるようであれば、政策にも応用しやすくなるだろう。
近年、実証経済学の研究者たちが注目しているのが、規範やステレオタイプの存在だという。男性はこうあるべき、女性はこうあるべきだといった規範、女性は控えめで競争は好まないといったステレオタイプは、ジェンダー格差に影響をもたらしている。
女性の労働参加や男女の賃金格差や昇進の違いなどに対しても、長い歴史のなかで培われてきた、男性とはこうだ、女性とはこうだという思い込みやステレオタイプが影響していることが研究によって明らかにされている。
思い込みやステレオタイプは変わり得る
ただ、ステレオタイプが比較的短時間で変化し得ることも分かっており、意識の変化をもたらすためには粘り強い働きかけが必要だと訴えている。
女性は家事や育児の負担を考慮し、高い賃金を犠牲にしても柔軟な働き方を望むとか、女性は短い通勤時間を好むといった調査があるが、柔軟な働き方にしろ、キャリアの中断にしろ、家事や育児を女性が負担すべきだという社会規範が大きく働いているのではないかと問いかけている。
ジェンダー格差に焦点を当てた本ではないが、「家族の経済学」と労働経済学が専門の山口慎太郎著『 「家族の幸せ」の経済学 データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実 』(光文社新書/2019年7月刊)を最後に取り上げたい。
結婚、出産、育児、離婚といったライフイベントの中で、人々はなぜ、どのように意思決定し、行動に移すのかを解明する研究成果を紹介している。著者自身は経済理論とデータ分析を組み合わせた研究に取り組んでいる。
結婚がテーマの第1章の説明によると、高学歴でキャリアのある女性ほど、子育てによって暗黙のうちに失われる収入は大きくなる。そうした女性が子どもを持ちたいと思わない、ひいては結婚したいと思わなくなるのも無理はない。世の中が便利になるにつれて、家事・育児能力の家庭における重要性が低下してきている。
「あることをするのにかかる費用は、それをしなかった場合に得られたであろう利益に等しい」と見なす「機会費用」の考え方によれば、女性は子育てによって失われる収入を子育ての暗黙の費用と捉えている、と伝統的な経済学の概念を使って説明している。
育児休業がテーマの第3章では、「生後、お母さんと一緒に過ごした期間の長さは、子どもの将来の進学状況・労働所得などにはほぼ影響を与えていない」とするドイツの研究成果を紹介。「良い保育園を見つけることができれば、お母さんが働くことは子どもの発達に悪影響はないので、安心して仕事に出てください」と助言している。
日本の男性が育休を取らない理由
男性の育休がテーマの第4章では、日本は制度の面では男性の「育休先進国」といえるのに、実際の取得率は低いと指摘している。育休取得率が急上昇した海外の事例を参考に、職場で最初に育休を取った「勇気ある」お父さんたちが、その後不利に扱われなかったことを広く知らしめるべきだと呼びかけている。
ジェンダーの問題を取り扱う経済学には、個人の合理的な選択に注目する「新家庭経済学」、世帯内の権力構造とケア労働に焦点を当てる「フェミニスト経済学」、データによる因果関係の証明に重点を置くミクロ実証経済学など、様々な方法論が存在する。新家庭経済学とフェミニスト経済学の隔たりは大きいが、政策提言の一部は重なっている。世界各国で進む理論研究と実証研究の成果を積み上げながら、ジェンダー平等の実現を目指すしかない。
写真/スタジオキャスパー



