「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである」(ジョーン・ロビンソン、1955年)。新古典派経済学、ケインズ経済学からポスト・ケインズ派経済学へと軸足を移し、苦闘を続けたジョーン・ロビンソンの思いが凝縮された言葉。20世紀の最も偉大な女性経済学者だった彼女の知的伝記を紹介する。連載第1回の後編。

前編 「 ジョーン・ロビンソン 最強の女性経済学者は何に挑んだのか

代表作となる『資本蓄積論』を出版

 ロビンソンの苦闘は続く。『 ジョーン・ロビンソン 』(G.C.ハーコート、プリュー・ケール著/小谷野俊夫訳/一灯舎/2021年12月刊)は50年にのぼる研究者としての足跡を丹念に追った伝記であり、ロビンソンの研究業績を一望できる。2人の著者はともにロビンソンと親交があり、彼女に関連する数多くの論文を執筆している。「ロビンソン研究」の大家である2人の目には、ロビンソンは「真実の情熱的な追求者」と映っている。

『ジョーン・ロビンソン』(G.C.ハーコート、プリュー・ケール著/小谷野俊夫訳/一灯舎)
『ジョーン・ロビンソン』(G.C.ハーコート、プリュー・ケール著/小谷野俊夫訳/一灯舎)
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 同書によると、ケインズ革命の宣伝役を担い、大学内での地位を固めつつあったロビンソンは1936年、ポーランドの経済学者、ミハウ・カレツキに出会う。カレツキは『一般理論』の主な命題をケインズより早く発見していた。ロビンソンはカレツキに心酔し、交流を続けた。彼の影響を受けてカール・マルクスの『資本論』を読み、1940年、マルクスとケインズの理論の融合を決意する。ケインズ革命によって、「理論の局面では、均衡の考え方から歴史の考え方へ、合理的選択の原理から推測や慣習に基づく決定の問題へと変化した」とみるロビンソンは、「歴史的な時間を論じている」マルクスに大きな魅力を感じた。

 短期の分析にとどまる『一般理論』を長期の展開に拡充する研究に取り組み、1956年、代表作となる『資本蓄積論』を出版した。『一般理論』を歴史的な時間の中でも通用するように「一般化」する試みといえる。ロビンソンは1965年、ケンブリッジ大教授に就任した。

業績を高く評価した宇沢弘文

 ロビンソンの業績を高く評価したのが宇沢弘文(東京大学名誉教授)である。経済学説の歴史をたどりながら新古典派経済学の限界を明らかにし、現代経済学の展望を示した『 経済学の考え方 』(岩波新書/1989年1月刊)でも、「ジョーン・ロビンソンの経済学」という章を設け、彼女の生涯と研究遍歴を紹介している。

 宇沢によると、『資本蓄積論』は彼女が最も深い学問的情熱をそそいで書き上げた書物だ。不確実性と期待の問題、金融制度など多様な問題を論じ、制度や法律による規制が長期の資本蓄積とどのように関わるのかを分析している。

 『資本蓄積論』はその難解さ故に多くの経済学者に無視されたり、全般に批判されたりしてきたが、「新古典派の経済成長理論の枠組みを超えて、いわばケインズ理論の一般化を試みようとするものであって、今後の経済学の発展に対して、この書物の及ぼす影響が大きいということは間違いないであろう」と強調している。

 宇沢の認識は甘かった。1970年代に入ると経済学界では新古典派経済学が息を吹き返し、ケインズ経済学は退潮となる。ケインズへの原点回帰を主張するロビンソンらのポスト・ケインズ派経済学はさらに片隅に追いやられた。ロビンソンは1973年、学部生向けの入門書を出版したが、あまり普及しなかった。ケインズ経済学の宣伝役として成功を収めた彼女は、自身の経済学の宣伝には成功しなかったのである。

経済学の巨人たちの言葉がよみがえる本

 『 精選 経済英文100 1日1文でエッセンスをつかむ 』(根井雅弘著/白水社/2022年11月刊)は古今の経済学の名著から英文を選び、試訳と解説を同時に掲載した書で、経済学の巨人たちの言葉が生き生きとよみがえる。その中でもひときわ目立つのがロビンソンで、厳選した101の文章のうち5つを占めている。以下はその中の1文だ。

『精選 経済英文100 1日1文でエッセンスをつかむ』(根井雅弘著/白水社)
『精選 経済英文100 1日1文でエッセンスをつかむ』(根井雅弘著/白水社)
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「経済学者にだまされるな」

The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists.

「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである」(1955年)


 新古典派経済学、ケインズ経済学からポスト・ケインズ派経済学へと軸足を移し、苦闘を続けた彼女の思いが凝縮されている。

 『ジョーン・ロビンソン』の訳者、小谷野は「訳者あとがき」で、この言葉を「一般的な注意としてではなく、理論の前提となっている考え方やイデオロギーを見抜くことの必要性への言及として受け止めるべきであろう」と記している。

 経済理論や学説はいかに誕生し、主流派や異端派に枝分かれするのか。経済学の本質を見抜いていたロビンソンは経済学界の現状をどのように評するだろうか。

写真/スタジオキャスパー