周囲が優れて見えて劣等感を抱くときもあれば、人の上に立って優越感を抱くときもある。それが人間というもの。大事なことはそうした感情を「発病」させないこと。そのためには……。仏教の原点を伝えるテーラワーダ仏教の長老が、ブッダの実学を用いて日々の悩みにまっすぐ答える。日経ビジネス人文庫『つまずかない 生き方のヒント49』(アルボムッレ・スマナサーラ著)から抜粋・再構成してお届けする。
劣等感や優越感とどう向き合うか
人間にはどうしても劣等感や優越感があります。
結論からいうと、どちらも人間を成長させないのでよくないものですが、といって簡単に人の心からなくなってはくれないものです。
一種のウイルスのようなもので、人間は「劣等感」や「優越感」ウイルスのキャリアなのです。
ウイルスを持っていることは仕方ないとして、それが発病しないように気をつけなければいけないのです。
劣等感は成長のきっかけ
まず劣等感とは「私は劣っている」「これができない、あれができない」と感じる感情ですが、私にいわせれば「そんなことは当たり前でしょう」というところです。
そもそも人間は何もできない状態で生まれ、周りにはいろんなことができる、素晴らしい才能を持った人たちであふれています。
そんな状況にあれば、自信を失い、劣等感を持つのは当たり前です。
ここで問題なのは、劣等感に縛られ、行動できなくなったり、努力や工夫すらやめてしまうことです。
「自分は何もできない」と思うなら「どうしたらできるか」を考えたり、できている人から教えを受けるなり、やり方はいくらでもあります。
成功することもあれば、失敗することもありますが、失敗したらまた淡々と次のアプローチを考え、行動すればいいだけの話。
「私は劣等感にさいなまれて何もできないんです」と嘆く必要はありません。
劣等感はむしろ成長のきっかけになります。
あなたが「できない」と感じているなら、少しでもできるようになる方向へと動き出してください。
劣等感自体が問題なのではなく、劣等感に逃げ込み、何もしようとしないことが問題なのです。
優越感を持つとそれ以上学べない
さて次は優越感を考えていきますが、厳密にいえば優越感には二つあります。
「本当は優れていないのに、自分は人より優れていると思い込む」優越感と、「本当に上の立場にある人」が感じる優越感です。
前者の場合は明かな勘違いですから、社会(あるいは他人)と自分の関係を正しく知る以外の対処法はありません。
よく「周りの人がバカに見えて仕方がない」「自分の周りはバカばかり」という人がいますが、その人の周りがバカばかりかどうかは別にして、その人が「自分」をきちんと見えていないことは確かでしょう。
勘違いしている人は病気にかかっているようなもので、問題になかなか気づけないのですが、いずれにしても「外ばかり見るのではなく、自分自身を見つめましょう」というほかありません。
また「自分は他人より優れている」と感じている人は、それ以上学べない状態にあります。
その事実はシビアに認識すべきです。
この世の中に完璧なんてものは存在せず、人間は成長していく生き物だというのに「それ以上学べない」なんてじつに不幸です。
優越感を感じている人は、そんな危険な状況にあることを知っておいてください。
お釈迦さまだって「息苦しい」
続いて、本当に上の立場にいたり、能力を持っている人が感じる優越感について語っておきましょう。
たとえば、仕事における上司や先輩は少なくとも新人より高い能力を持っていたり、豊富な経験を積んでいるでしょう。
そんな人が新人に対してある種の優越性を持つことは事実です。
過度な優越感を持ち、偉そうに振る舞うのは論外ですが、その分野において優れていることは間違いありません。
そんな立場にいる人に知ってほしいのは、上の立場になればなるほど「あなたをみんなが見ている」という事実です。
注目されるなんて生やさしいものではなく、まるでガラスの部屋で暮らしているように、すべての行動、発言をみんなが見ています。
じつに窮屈で苦しい状態です。
何か難しい仕事が舞い込んだとき、あなたはどんな反応を示し、どんな態度で、その仕事に向かうのか。そして、どんな結果をもたらすのか。
みんなが見つめています。
あるいは、部下が失敗を犯したとき、あなたはどんな言葉で、どんなコミュニケーションを取るのか。ただ厳しく叱責するのか、優しく見守るのか、その部下の成長を促すようなアドバイスをするのか。
そんな一挙手一投足をみんなが見ているのです。
もしあなたが本当にみんな(相手)より優れ、優越感を抱くにふさわしい人物だとしたら、そんな「苦しい境遇」にいることをしっかりと認識してください。
お釈迦さまは悟りを開き、その地位も、存在も、すべての生命の上に立つ立場になったとき「息苦しいんだ」と感想を述べています。
その息苦しさはお釈迦さましか体験できないものですが、すべての生命の上に立つ苦悩、息苦しさたるや、常人には耐えられないものだったに違いありません。
お釈迦さまを持ち出すのは極端ですが、それくらい人より優れ、上に立つのは苦しいことなのです。
あなたの感じている優越感が単なる勘違いでないのだとしたら、そんな苦しさと向き合わなければなりません。ぜひ覚えておいてください。
「自分より上の存在」がいるありがたさ
そもそも自分より上の存在がいるのはとても恵まれた、楽な状況です。
子どもは親に守られ、庇護(ひご)下にあるからこそ、指導されたり、怒られたり、褒められたりしながら暮らしています。
子どもはその価値を理解せず「窮屈だ」なんて感じることもあるかもしれませんが、自分より上の存在がいるのはとても恵まれた環境です。
会社でいうなら、上司や先輩がいるのもそう。
上司や先輩がいなくなり「本当に自分が一番」「自分がすべて判断しなければならない」となったら、とてもきつい状況です。
私たちの世界でいえば、それは師匠にあたります。
私の師匠が亡くなったとき、その責任の重さがとても辛く感じられました。
私よりずいぶん年長だったので、年を取ればいずれ亡くなることはわかっていました。
また、私は日本にいて師匠はスリランカにいたのですが、「ただ師匠がいる」というだけでずいぶん自信が持てたものです。
「師匠が亡くなった」と電話で聞いたときは、自分の立っている場所に大きな穴が開いたような、心もとない感じがしました。
「自分が上に立つ」あるいは「自分の上の存在がいなくなる」とはそれくらい辛く、 恐ろしいことでもあるのです。
能力や立場の上で本当に優越性を持っている人は、それだけの責任と意識を持たなければいけないですし、「本当に能力のある人」はそれだけの勤勉さと責任感と謙虚さを兼ね備えているものです。
ベストセラー『怒らないこと』の著者で、仏教の原点を伝えるテーラワーダ仏教の長老がブッダの実学をまっすぐ示す。「降りかかってくる問題」に目を向けるのではなく「受け止め方」に目を向ける、悩んだり苦しんだりすることは損……など、心がラクになるヒントを教える。
アルボムッレ・スマナサーラ著/日本経済新聞出版/880円(税込)

