「ついに自社商品・サービスの値上げをすることに。とはいえ、いくらにすればいい?」「企業努力ももう限界。でも、値上げしたらシェアを奪われてしまうのでは?」「値上げの許容範囲はいくらだろう?」「競合はまだだけど、先に値上げをしていいの?」などの悩みを抱えていませんか? インフレが進む昨今、従来の値付けの手法や感覚は通用しなくなっていると、経済学者で企業へのコンサルティングも行っている星野崇宏教授(慶應義塾大学)と安田洋祐教授(政策研究大学院大学)は指摘します。これまでに蓄積された膨大な学術的知見と、ビジネス現場で培った経験から、インフレ時代の値付けについて考察します。1回目は、いよいよ先延ばしできなくなった「値上げ」をどう進めるべきかを、計量経済学・行動経済学・マーケティングの専門家で、トップレベルのデータサイエンティストである慶應義塾大学星野崇宏教授が、経済学の初学者にもわかりやすく解説します。

インフレに負けないための「値付けの科学」
近年あらゆる分野で値上げが進んでいます。コロナ禍を境に原材料の高騰(こうとう)、円安、人手不足や人件費が高止まりし、もはや昔のデフレ時代には戻らず、インフレが定着していくと想定されています。
一方、デフレ時代の頭のモードでいるビジネスパーソンは多く、これまでやったことのない値上げに恐る恐る「えいや」で挑んでいると思います。最近は賃上げもされ、またほかの商品やサービスでの値上げも続いているので、顧客の値上げに対する抵抗感も薄れています。結果として「値上げしたのに思ったほど売り上げが減らずホッとした」とおっしゃる経営者も多いです。それに気をよくして二度目の値上げをしたところ、今度は大幅に数量減になったという例も聞きます。
当たり前のことですが、値付けこそ企業利益の9割を決めるともいえる重要な要素です。適切なタイミングでの価格変更を行うことで企業の利益率を3%から5%に、10%から15%に伸ばすことも難しくはありません。であるからこそ経済学やビジネスサイエンスの領域ではプライシングの研究が膨大に存在しています。
その値付けに根拠はありますか? 勘と経験による値付けからの脱却を
一般的に値付けの方法としては、以下の5つが考えられます。
② 成功事例を模倣する値付け(自社事例に適応できるか不明)
③ 自社データをつかった値付け(過去少数回の価格変動だけでは販促などとの分離ができず、AIでもできない)
④ 過去の膨大な研究知見をつかった値付け
⑤ 膨大な知見と自社の実証データを踏まえた値付け
さて貴社はどの段階でしょうか? 海外の先端企業が行っている⑤に対して、まだ②の段階でしょうか?
③はようやく一部の日本企業も取り組み始めましたが、成功するには価格を細かく変える実験が必要です。ではどのようにどの幅で価格を変えたらよいでしょうか? そもそもそんな実験、上司が認めますか? さらには新商品のように過去の売り上げデータも価格変動もない場合はできませんよね。③をどのように行うか、についても実は膨大な研究があります。
競合が②の段階のうちに一足飛びに④の学問の巨人の肩に乗り、値付けの本質を理解し活用して、競合よりも良い成果を得ていただきたい。そんな思いから、私と政策研究大学院大学の安田教授が交互に数回にわたってプライシング(値付け)の最新学知をお届けします。
成功する値上げ・失敗する値上げ
さて、値決めをするにあたっては、値段を上げるとどれほど売上数量が減るか、逆に値段を下げるとどれほど売上数量が上がるのかが事前にわかるに越したことはありませんね。これを表しているのが、経済学ではおなじみの「需要曲線」や「価格弾力性」という概念です。
図1の縦軸は価格、横軸は数量ということで、これが経済学でいう需要曲線です。また「1%の値上げで何%売り上げが減るか」という考え方を表すのが価格弾力性です。価格弾力性は、次のような式で計算できます。
価格弾力性=売上数量の変化率÷値上げ率
例えば、現状では500円の商品が100万個売れているとします。この商品を、図1の左のグラフのように、700円にしても80万個にしか減らない(価格40%増、個数20%減)ならば、価格弾力性は以下のように求められます。
-20%÷40%=-0.5:左のグラフの商品の価格弾力性
収益(売り上げ)で見れば、値上げ前は5億だったのが、値上げで5.6億に増えました。
一方、別の商品(右のグラフ)は価格を700円にしたら50万個(価格40%増、個数50%減)になってしまった。この場合の価格弾力性は、以下のようになります。
-50%÷40%=-1.25:右のグラフの商品の価格弾力性
値上げによって収益が5億から3.5億に減ってしまいましたので、コストにはよるものの、この値上げは原則として失敗と言わざるをえないでしょう。このように、消費者の値上げによる反応を表す価格弾力性への理解が値上げの成否を決めることがわかると思います。基本的には価格弾力性の値が大きい(絶対値が大きい)ほど、値上げには慎重になるべきでしょう。
値付けには実は、学問的な知見が膨大に蓄積されている
価格弾力性については一般に、コメやガソリン、トイレットペーパー、通勤費用などの必需品、酒やタバコのように依存性のあるものは絶対値が低く、耐久財(家電製品や自動車、家具など長期間使用できるもの)は絶対値が高いといわれています。
企業経営や政府の税収などへの影響が非常に大きく重要なだけに、価格弾力性についてはこれまでに膨大な研究が蓄積されてきました。また、今や学問では、単一の実証研究だけで議論することはなく、複数の研究を統合した“研究の研究”である「メタ分析」という方法で、知見を膨大に蓄えています。
例えば2005年の研究では、過去に行われた81研究での1851の商品(財)・サービスの価格弾力性をメタ分析しています。図2は価格弾力性のヒストグラムで、「平均して-2程度だが、財の特性で大きく異なること」「欧米やアジアといった地域差は大きくないこと」「成熟期カテゴリー(商品やサービスが広く行きわたり競合他社も出てきた段階)は顧客セグメント(属性)ごとにブランドが分かれたりブランドロイヤルティーが高まったりすることなどから、価格弾力性の絶対値が小さくなる(価格の影響がより小さくなる)こと」などが報告されています。
また近年の、食品を対象にした研究(2023年のメタ分析)では、「食品全般の弾力性の絶対値は1以下」などと報告されています。
いずれ別の回で紹介しますが、「値段をどの程度上げたら(下げたら)売上数量が減るのか(増えるのか)」については、「財・サービスの性質や市場導入期・成長期・成熟期など段階の違い」、また「どのような所得層をターゲットにした財か(当たり前ですが高価格帯は高所得者をターゲットにしていて弾力性が小さく、低価格帯は低所得者が購入するので値段が上がると数量が大きく減るなど)」「BtoB(企業間取引)かBtoC(企業対消費者取引)か」など、さまざまな観点の研究が蓄積されています。ご自身が今値上げを考えておられる商品やサービスについても、過去の分析から推測できるでしょう。
私も学知ベースのコンサルを提供していますが、クライアントの企業の商品・サービスに関連する学知を紹介すると、「こんなものまであるのか」と驚かれます。
このように多岐にわたり研究が蓄積されているのも、プライシングが企業の利益の大半を左右するきわめて重要な要素だからなのです。
値段についての錯覚――「値段が高いほど品質が良い」は本当か
値段が高いほうが、品質が良いはず。そんなふうに思って、やや高めの商品やサービスをあえて購入したことはありませんか? これは「価格―品質ヒューリスティク」といわれる現象で、こちらも過去、さまざまな研究が行われてきた領域です。「ヒューリスティク」とは、経験則に基づく課題解決法のことをいいます。
消費者がみずから試すことのできる商品・サービスには限りがあります。また、よほどそのジャンルに関心がなければ、実際につかって「ほかよりも、どの程度良かったか」を意識すること、覚えておくことは難しいです。これもまた別の回で紹介しますが、人は時間をかけて丁寧に判断をする「(行動経済学の概念である)システム2のモード」ではなく、短時間で直感的に特定の手がかりだけで判断する「システム1のモード」で意思決定していることがほとんどです。
したがって、購買決定においての「手がかり」として数値になっていて最も重要なのが「価格」ということになります(※1)。商品間の品質に差をあまり感じられない、または関心がないカテゴリーでは「低価格」を、逆に、品質に差があり大事だが情報がなかったり利用経験がなかったりする場合には「高品質だろう」と考えて「高価格」の選択肢を選ぶ、というのがこのヒューリスティクです。
面白いことに、「高価格の商品サービスを選んだが不満だった」場合でなければ「価格―品質ヒューリスティク」が、そのまま次回の購入も継続します。前に満足したものと同等でより安い選択肢を探す、といった手間を惜しむのが我々人間だということです。
合理的だと思われていた企業間取引でも価格への錯覚が
さて、こうした研究はあるものの、実はしばらくの間、こうした関係はBtoBでは当てはまらないと考えられてきました。なぜなら企業間購買において購買担当は、なるべく多くの情報を集めて、価格と品質が釣り合うものを購入するはずだと考えられていたからです。許容できる品質の範囲内で、最も安いものを購入するはずです。
ところが、近年のさまざまな実証研究から、BtoB分野でもこの現象が存在することがわかっています。購買担当も人です。同時に仕事として複数の原材料やサービスを調達するならば、まず重要度が高くない商品調達では低価格で、重要度が高い商品や質が事前にはわからないサービスでは価格―品質ヒューリスティクが働くことがわかってきているのです。
これに限らず、BtoBのプライシングは、営業の見積もり設定などさまざまな分野でやはり膨大な研究が蓄積されています。こうした知見もまた、本連載のなかでお伝えしたいと思います。
「値上げをすると競合の売り上げが増える」は、実は間違った直感である
「値上げをすると自社顧客が競合に乗り換え、競合の売り上げが増えてしまうはず……」。そんな恐れを感じて、なかなか値上げに踏み切れないという声も聞きます。
値上げをするとたしかに、自社の売上数量は減るでしょう。ということはその分、競合に流れてしまうのでしょうか? 直感的には正しそうですが、本当にそうなのでしょうか?
こうした、誰もが思うであろう重要な疑問についてもやはり、研究は存在します。上記の話題は次回、解説しますが、これに限らず皆さんの値付けについての悩みは、世界中のビジネスパーソンや政策担当者の悩みごとでもあります。したがって誰かがすでに網羅的に研究をしているのです。きっと自社の商品・サービスに関連する学知で「こんな実務に直結するものまであるのか」と驚かれると思います。
経験と勘が通じない新しいビジネス環境を乗り切るために、ビジネスサイエンス研究の巨人の肩に乗ろうではないですか!

