「企業間取引では合理的な価格が設定されているはず」「仕事であれば、より適切な金額で取引ができているはず」と思い込んでいませんか? 実は、消費者の買い物と比較して、BtoBの取引のほうが、直近の別の取引の価格などに引きずられる傾向があると、慶應義塾大学の星野崇宏教授は指摘します。売り手として、より高値で商品を買ってもらうコツは? 行動経済学の知見から考えます。政策研究大学院大学の安田洋祐教授との連載「インフレ時代の値段のつけ方・考え方」13回目です。

第13回は慶應義塾大学の星野崇宏教授が解説(写真:尾関祐治)
第13回は慶應義塾大学の星野崇宏教授が解説(写真:尾関祐治)

小売りでは販促効果が薄い「お試し価格」、企業間では?

 第8回(「お試し価格」が未来の売り上げ不振を招く 行動経済学の知見)では、行動経済学の研究知見として実務にも応用が利き、また実証マーケティングでも再現性が示されている「プロスペクト理論」と「参照価格効果」を説明しました。この2つの理論が示すのは、次のような現象が起こる理由です。

ある商品を値引きして1カ月売って、「売り上げが増えたから」と価格をもとに戻したら、値引き前よりも売上数量は減ることが多い

 もし我々が合理的で「財やサービスに何円出してもよいか」の判断にブレがないなら、このような現象は起こりません。その商品をそのお店で1,480円で買ってもいいという人が100人いたならば、仮に一度値下げをして1,280円になった後で再び1,480円に戻っても、その100人は買う、つまり「値引きする前と同じ売上数量になる」はずです。

 しかし、人々の判断は文脈に依存するわけです。「前に1,280円で買っていたのに1,480円は高い」と思う参照価格効果があるから、値引きして値段を戻すと、もとの値段の時より売上数量が減るのです。

 第9回(「顧客を増やし、売り上げを長持ちさせる」販促の条件)では、短期的な価格販促による販促後の売上数量の減少についての研究を示したうえで、それを避けるにはどうしたらよいかを説明しました。

 以上は個人や家庭における購買行動についての解説でしたが、今回は企業間取引(BtoB)について見ていきたいと思います。消費財と同様に、価格販促後に価格をもとに戻すと、売上数量は減るのでしょうか。

直近の取引が、全く別の契約の「高い・安い」の感覚を左右する

 多くの人はイメージとして、「一般消費者は前の価格を覚えていて、それを参照価格にしながら買うか買わないかを決めている一方、BtoBの企業間の取引では仕事として合理的に『その財やサービスはいくらが妥当か』を判断しているはずだ」と考えるかもしれません。しかし研究が示すのは、そのイメージに反する事実です。BtoBの企業間の取引であっても、実際には買い手・売り手双方に参照価格効果があること、そして、その効果はBtoCのそれよりも場合によっては大きいこともわかっています。

 例えば、ある生産財メーカーと消費財メーカーの取引で考えてみましょう。売り手である生産財メーカーの営業は、スペックの異なるさまざまなロボットを、多くの顧客と取引しているとします。一方、買い手の消費財メーカーの購買担当側も多くのメーカーからさまざまな機械を購入しています。

 このような際には「今交渉しているロボットの価格」の話であっても、売り手側では直近に別会社に納入した高機能のロボットの価格が参照価格になりえます。また買い手側でも直近に別会社から購入した低機能のロボットの価格が、参照価格になりえます(図1)。

図1 生産財の買い手と売り手の参照価格
図1 生産財の買い手と売り手の参照価格
(図制作=キャップス イラスト=syoko/stock.adobe.com、Md Abraham khan adil/stock.adobe.com)
画像のクリックで拡大表示

 同じような財やサービスを複数企業が提供していて価格感が形成されやすい消費財に対し、生産財はたいてい、一品一品が異なります。こうした状況では、直近の取引はその場で手に入れることが容易な情報であり、参照価格になりやすいのです。

 家具メーカー、窓メーカー、デッキ業者などの企業に加工木材を販売する英国企業の顧客取引データベース数万件のデータを用いた研究では、「BtoB取引の購買担当者でも何らかの参照価格に影響を受ける」「それが売り手の希望価格や初期見積提示価格である」、また「顧客(購買担当)は価格低下よりも価格上昇に敏感で、その程度は2倍ほど強い(損失回避効果がある)」ことなどがわかっています。

 さらに、ドイツの化学品メーカーの取引データベースを用いた研究でも、参照価格として売り手の希望価格、見積提示価格、そこからの値引き額があり、それらが交渉による最終価格決定要因のなんと86%を占めることがわかっています。

 つまり、営業側にとっては見積をどう出すか(見積戦略)が非常に大事であり、成約するかどうか、あるいは成約時の価格にきわめて影響が大きいということがわかります。

企業間取引で「非合理」な価格決定が続出する理由

 BtoBの取引では、買い手の購買担当側は「仕事として買おうとしている財やサービスにいくらまでだったら出してよいか」を慎重に考えているはずです。それなのになぜ、このようなことが起きるのでしょうか?

 第1の理由としては、BtoBの取引ではその多くが一点ものとなり、そもそも正当な価格評価がしにくいことがあります。前に納入した機械と今回納入する機械では、多くの場合で多少なりともスペックが違うものです。

 第2の理由として、購買担当は複数の仕事を同時に抱えている、したがって「その取引だけ」に時間をかけられないからです。次回以降詳しく説明しますが、人は仕事といえども、行動経済学の統一理論である二重過程理論のファーストモード(システム1)という直感的に判断を下す方法で、意思決定しているのです。

 近年、AIですべて自動化、合理化できるという話がありますが、特に第1の理由に挙げられる点はAIが自動的に値段を決めるためのデータが不足しているということであり、例えば新しい製品やサービスが登場した際には、やはり何らかの形で人の意思決定が必要になるという点で、今後ともこの話題は重要かと思います。

営業DXで本当に必要なデータとは?

 ここまで、「見積価格を高めに出せば取引価格が上がる」という話をしてきました。しかし当たり前ですが「高すぎる見積価格は取引成立確率を下げる」のも事実です。したがって、“ちょうどいい(適切な)”見積価格を出すことが重要になります。では、“ちょうどいい(適切な)”見積価格とはいくらで、その額を決めるためにはどんなデータを取得すべきでしょうか?

 例えば原価100万円のロボットがあるとしましょう。このロボットは、見積価格を200万円で出したら170万円で取引が成立します。ただし最初の見積価格が高いため、取引成立確率が50%だとします。この場合、期待利益額は以下のように計算できます。
(170万-100万)×0.5=35万

 今度は条件を変えて見積価格を150万円で出したら125万円で取引が成立するとします。今回は最初の見積価格が安いので、取引成立確率は80%とします。この場合、期待利益額は以下です。
(125万-100万)×0.8=20万

 このように仮定して計算してみると、勘と経験に頼るのではなく、データを使うことの具体的なメリットが見えてくるでしょう。BtoBの価格戦略では、見積価格まで含めて考えなければならないこと、そして重要なのは下記の2つのデータだということは明らかです。

BtoBの正しい価格戦略のための重要な2つのデータ
①誰にいついくらの見積を出したか
 最終的な取引価格がどれぐらいになるかを予測するためにも、誰にどれぐらいの見積をまず出して、次にどれだけ値引きしたのかを記録しておくことが重要です。

②負け(取引成立に至らなかった)データ
 多くの企業は成約した取引しか記録しませんが、実は負けデータを取ることが「もっと値段を下げていたら取れていた案件」はもちろん、成約できたとしても「もっと値段を上げていてもよかった案件」を見極めるためには重要です。

 これらのデータこそが、ビジネスにおいて最も利益に貢献するデータといえます。

 近年、先端的な取り組みをされている企業では「いつどの部門に対していくらの見積を提示したか」「その結果どうなったか」のデータを精緻(せいち)に取得し、そのデータに基づいて最適な見積提示価格を出すことも可能になってきました。ある研究ではそのようなアルゴリズムを用いることで10%以上の利益率増加があることを示していますし、我々の支援した例でも15%といったレベルの利益率増加を上げたものがあります。

 調達側にとっても営業のこのような見積戦略の影響を受けないように、調達すべき財やサービスについての一般的な価格情報の取得や、見積情報の積極的な蓄積とアルゴリズムを使った価格評価が重要なのです。

 以上、見積価格を高めに出せば取引価格が上がること、取引成立確率を下げないためには見積情報の積極的な蓄積が必要であることを説明しました。また、直近の取引が価格判断に影響を与える場合が多いことを示しました。では「相場」がわからない商品やサービスの場合、どのように「高い・安い」という感覚が形成されるのでしょうか? 次回、行動経済学の知見を踏まえて解説したいと思います。

【関連記事】