「シェアを拡大したい」「競合から顧客を奪いたい」という願望は、本連載の読者ならば、一度は頭をよぎったことがあるのでは? 一方で、行動経済学と心理学の知見では、「人はあまり考えずに、前と同じものを買う」「販促で値下げをして顧客を増やしても、元の値段に戻すと顧客は減る」ことがわかっています。では、どうすれば効率よく競合から顧客を奪うことができるのでしょうか。慶應義塾大学の星野崇宏教授が解説します。政策研究大学院大学の安田洋祐教授との連載「インフレ時代の値段のつけ方・考え方」15回目です。

「買う」「買わない」を決めるとき、私たちはどう考えているのか?
この連載では、他の商品の価格や直前の他の人の取引価格に基づいて購入の判断をしているという話をしてきました。人々はほとんどの場合、購入する可能性のある財やサービスを「自分にとっていくら支払う価値があるか」を一貫した形で真剣に評価して、「買うか」「買わないか」を決めているのではありません。
スーパーでの買い物や電子商取引(EC)サイトでの買い物でも、仕事や家族、趣味といった一定の時間的な制約の中で選択しています。「我々は買い物のために人生を送っているのではない」のです。
制約がある中で、何らかの形で情報を探索する手間(経済学でいうサーチコスト)や考える手間(認知コスト)をなるべくかけずに我々は意思決定をしています。このような状態がシステム1(あるいはノーベル経済学賞を受賞したカーネマン(2014)によるとファストモード)といわれるものです。逆に情報をなるべく集めて熟慮するのがシステム2(スローモード)です。システム1は頭を使う労力(認知コスト)を掛けずに短時間で行う自動的な意思決定、システム2は「頭の汗をかいて」時間をかけて行う複雑型の意思決定、といえます。
行動経済学や心理学のさまざまな研究では、「人間は合理的ではない」、しかし「予測可能な一定のバイアスを持った意思決定方法を取っている」ことがわかっています。その例の1つが参照点効果(価格だと参照価格効果)です(詳しくは第8回)。ほかにもいろいろなバイアスのパターンがありますが、そのようなバイアスが強く出る状況がシステム1です。
一方、一生懸命時間をかけて頭の汗をかけば、数学の定理を証明できたり、いろいろなしがらみがある中で契約をまとめたりできるのもまた人間です。これはシステム2が行っていると考えます。もし消費者がシステム2で購買の決定をするならば、複数の候補について、価格と各種スペックを見比べて、どれが一番よいかを熟考するということになります。
ヒトの意思決定の2つのモードと二重過程理論
このようにヒトの意思決定は2つのモードからなっているというのが二重過程理論です。この二重過程理論を踏まえた研究からは、我々人間はほとんどの場合、システム1のモードで(しかも同時に複数の)意思決定をしていることがわかっています。
一般的にスーパーマーケットでの日用品の購入などでは、買い物カートを押しながら、「今日の献立は何にしようか」「子供のテストの成績が良くないな」「今日の営業は受注できそうだ」とかなんとか考えながら「必ず買わなくてはいけないパンと、魚と……」と何を買うかを決定するわけですから、多くの場合システム1だといえます。
一方、高額な保険や自動車はどうでしょうか? 各種保障要素と保険料、スペックと価格を見比べているかと思いきや、実は必ずしもシステム2で決定をしているわけでもない、ということもわかっています。我々がシステム2になるのは、「自分の仕事や社会的な評価があるとき」「何かを初めて行うとき」などに限定されているのです。

「数分間の労力を惜しんで数十時間を失う」不合理な習慣行動
このように、ほとんどの判断の場面で使われているシステム1の思考の典型的なものが「前にやってうまくいった(または少なくとも不満な結果にはならなかった)ことを繰り返す」習慣行動です。プライシングの話から離れるようですが、ここであえて、システム1がどれだけ強固かを示す有名な研究を紹介しましょう(Larcom et al., 2017)。
この研究では2014年のロンドン地下鉄の大規模なストライキに注目しています。ストの前後で通勤通学者の経路選択がどう変わったかを、オイスターカードというICカードを使って研究者が調べたのです。
このストが特殊なのは、60%ほどの駅が閉鎖された大規模なものであったにもかかわらず、ストに参加するかどうかが労働者にゆだねられていたために、「実際に当日にならないと、どの路線や駅が使えないかがわからなかった」点です。この研究でわかったのは、以下の4つです。
① ストの前の段階でかなりの人たちが「最短経路」をとっていなかったこと
② 「いつもの経路」と「最短経路」の違いの大部分は「わかりやすい地下鉄マップ」と「実際の地図」の違いによるものであること(多くの人は、地下鉄マップの見た目から近そうな経路を選んでいたが、実際には最短経路でなかった。両者の違いが大きい場所ほど地下鉄マップで近そうな経路を取りやすくなる)

③ ストの影響を受けた人で「いつもの経路」が「最短経路」ではなかったかなりの割合の人が、スト後に「いつもの経路」から「最短経路」に乗り換えたこと
④ 乗り換えた場合の短縮はおよそ往復14分、年間250日出勤するなら年間58時間であったこと
ストが起きたのは2014年ですから、インターネットで調べれば最短経路は簡単に見つかりそうなものです。しかし、それを調べず、経路図の見た目の近さで決めてしまうのが人間なのです。たった数分の調べ物で年間58時間も無駄な時間を短縮できたはずなのに、それをしない。私たちがいかに、一度決めた習慣に引きずられて日々行動しているかが上の研究からわかるかと思います。
人間は基本的には、不満がない限り習慣行動を変えないものです。そのため、このストのように「いつもの行動がとれなくなって困った」となって初めて、行動変容が起こったというわけです。
習慣行動を変える条件
今紹介した「前にやってうまくいった(または少なくとも不満な結果にはならなかった)ことを繰り返す」習慣行動は、本連載のテーマである購買行動において、特に強力に現れることが知られています。
イギリスのシェアトップのスーパーTescoの7年に及ぶ28万人程度のデータを利用した分析例を示しましょう(Riefer et al., 2017)。ビールや洗剤などの商品では、消費者にいつものブランドから乗り換えてもらう(ブランドスイッチ)ために、さまざまなクーポンを打つことがあります。「値引きクーポン」「次回割引クーポン」「次回1本おまけクーポン」などです。「こういったクーポンが誰に対して効果があるのか?」という研究なのですが、結果としてわかったことは次の通りです。
① 同じブランドを買えば買うほど、次回別ブランドを選ぶ確率が下がる。何度も買っていると、同じブランドを買う習慣形成が起こる
② その間、他のブランドにスイッチさせるクーポンや、値引きの効果がどんどん下がっていく(図3)
③ クーポンは一定程度効果的ではあるが、特に効果的なのは「最近ブランドスイッチをした顧客」や、「販促があるものや安いものを買うチェリーピッカー」である
またさらに、その後、国内のスーパーマーケットのデータを使った筆者らの研究や、同じ消費者の購買をずっと追跡する(買ったものをスキャンさせる、いわゆる)スキャナーパネルデータを使った研究でも、イギリスの上記の研究が再現できました。さらにこれらの研究では次のこともわかりました。
④ 一度習慣形成されても、なんらかのきっかけで新しいブランドを購入する“探索”モード(システム2)が発動することがある
⑤ 探索モードになると、ビールでブランドスイッチしたら洗剤でもブランドスイッチする、というようにブランドスイッチの波及が起きる

なぜ私たちはつい、「いつもと同じ」を選んでしまうのか
この流れを、日常の購買行動、つまりなるべく手間をかけないシステム1による購買決定に当てはめて考えてみましょう。
B 自分の頭の中の情報探索を行う(記憶=内的情報の探索)
「いつもの商品が高くなった」「前の商品のここがいや」などの違和感があって初めて、
D 前の商品も含めた商品間の比較評価を行う
ことになります。
購買場面では、前の商品に不満がなければ習慣行動である「前と同じものを買う」(A)がまず発動するわけですが、その際には価格をパッと見て「前とほとんど変わらない(今の価格と頭の中のプライスタグである内的参照価格が大きく変わらない)」(B)ならカゴに入れるはずです。
このことは、実は自動車や保険など高額商品であっても基本的にいえます。システム2を発動させるに至るだけの理由がなければ、上記の一般的な決定パターンが働き、まずは「前に買ったものがどうだったか」から入るでしょう。統計によれば、数百万円の買い物になる自動車でさえ、そして営業担当からの別メーカーや別ブランドへの買い替えの提案があったとしても、結局は5割程度、前の車種が選ばれています。
シェアも売り上げも増やす「システム1」に基づく値引き戦略
さて、このような人間の習慣行動と購買行動を理解したうえで、今回の本題である「値引き販売で競合のシェアを崩すための条件」について議論していきましょう。
そもそもシステム1で買い物をする多くの消費者は、以下のように行動するでしょう。
パターン1:自社商品をこれまで買っている顧客
A→Bときて、「前よりすごく値段が上がった」などの違和感がなければ、他社商品やその価格を見ずに自社商品を買ってくれる。違和感があれば競合の商品を検討する。
パターン2:他社商品をこれまで買っている顧客
パターン1と同様にA→Bときて、「他社商品の値段が前よりすごく上がった」などという違和感があって初めてC→Dとなって自社商品を検討する。そこで自社商品側が他社より大幅に安ければ自社商品を試すかもしれないが、多少の安さではこれまで買っていないものへのリスクを感じて躊躇(ちゅうちょ)する。
このように考えると、競合から離反させるための価格販促は以下のように進めなければ、あまり意味がないということがわかると思います。
裏を返せば、中途半端に価格を下げても、効果がない、あるいはチェリーピッカーが値引き期間中購入するだけです。
さて、大幅に価格を下げ続けるということは難しいですし自社顧客にもこれを行えば、値下げで自社顧客の参照価格が下がります。値段をもとに戻したら売上数量が大幅に減る可能性があります。そこで以下の対策をとる必要があります。
・可能であれば競合商品の顧客だけに対して特別な形で値引きになるように、クーポン等を活用する
このようにして初めて、値引き販売で競合のシェアを崩すことができるのです。
値引きやセールだけを理由に買うチェリーピッカーに踊らされないために
本稿の最後に、これまでの“一般的な”法則に従わない人たちについて触れておきましょう。チェリーピッカーについてです。
チェリーピッカーとは値引きなどの販促やセールがあれば購入し、そうでなければ買わないような人たちを指します。このように説明すると、このチェリーピッカーはシステム2のモードで買い物をしているように感じられるかもしれません。
しかし、そうではありません。彼らも同じくシステム1で購買をするのですが、購買のキュー(手がかり)が、一般の人のように「前と同じ」だったり「もともとの好み」や「ブランド間の違い」だったりではなく、「値段が安くなっていること」「販促がされていること」にあるのです。そのため、スーパーマーケットなどシステム1で購買をすることが一般的な場であっても、チェリーピッカーは存在します。
こうした購買行動のため、第9回で説明したように、「既存商品への一時的な販促で、売り上げが上がったように見えたが実はチェリーピッカーが一時的に販促に群がっているだけ」ということは多く起こります。この場合、販促期間に一時的に売り上げが跳ねた部分は、彼らが購入した分が見かけ上増えただけです。販促期間が過ぎれば、別の販促対象商品やサービスに移っていくでしょう。
販促を成果につなげるために重要なことは、このチェリーピッカーを見分けて、彼らに販促原資を消費されないようにすること。少なくとも、彼らの行動に一喜一憂しないことが肝要です。
ダニエル・カーネマン、村井章子訳(2014)『ファスト&スロー』早川書房
Shaun Larcom, Ferdinand Rauch, and Tim Willems (2017). The Benefits of Forced Experimentation: Striking Evidence from the London Underground Network. Quarterly Journal of Economics, 132(4), 2019-2055.
Peter S Riefer, Rosie Prior, Nicholas Blair, Giles Pavey, Bradley C Love (2017). Coherency-maximizing Exploration in the Supermarket. Nature Human Behaviour, 1(1), 0017.