アジア最強企業、猛烈に働くエリート集団ーー。そんな言葉で語られてきた韓国サムスン電子が苦境に陥っている。既存事業は中国に追い上げられ、事業構造改革は進まない。硬直的な人事制度の中でいつしか挑戦を忘れ、「大企業病」を患う。そんなサムスンの姿は韓国経済の映し鏡でもある。隣国・韓国のもがく姿を描いた2025年1月刊『サムスンは生き残れるか 逆境の韓国経済』(細川幸太郎著/日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再構成する。3回目は、「サムスンを取り巻く韓国社会の『生きづらさ』」について。

先進国で最悪水準の貧困に苦しむ高齢者

 1人あたりGDP(国内総生産)で日本と並ぶ韓国。都市部には整然と高層ビルが立ち並び、一見すると日本同様の成熟国家となった。ただ、韓国の高所得層が好んで住むソウル市江南区にバラック小屋が並ぶ貧困層エリアがあることを知る人は少ない。

 30階超えの高層マンション群の明かりを望む江南区南部の小高い丘に、トタン板を貼り合わせた屋根に農業用ビニールをかぶせた平屋が500軒ほど並ぶ。「九龍村(クリョンマウル)」と呼ばれる地域で、ゴミ処分場が近くにあり、足を踏み入れるとすえた臭いが鼻をつく。冬場に行けば、支援団体から配給された練炭が軒先に積まれる。ソウルのマイナス20度に達する厳しい寒さに耐えるために屋内で練炭を燃やして暖を取る。ここの住民の多くは70代、80代の独居老人だ。九龍村のような地域は人口1000万人の大都市ソウルに複数存在する。

 「圧縮成長」と呼ばれるほど短期間での高度経済成長を遂げた韓国では社会保障制度が追いついておらず、特に国民年金制度は1988年に始まったものの、多くの高齢者は十分な積み立てがなく、月6~7万円程度の生活保護での日々のやりくりを余儀なくされている。さらに1980年代以降の経済成長に伴う急速な物価上昇によって、過去の貯蓄だけでは食べていけない。韓国では物価上昇に伴う現金価値の低下が著しく、職を持たない高齢者の生活は困窮するばかりとなっている。

 儒教社会が色濃く残る韓国では、老後は子どもに養ってもらうという考え方が根強く、国家が経済的な余裕がなかったこともあって年金制度の整備が遅れた。それでも子どもがたくさん生まれていた時代には同居することで生活はできた。それが世界最速の少子化が進む今、子どもや孫には頼りたくても頼れなくなったのが現状だ。

 韓国政府によると、所得格差を示す「相対的貧困率」で、韓国の65歳以上の貧困率は43.4%と経済協力開発機構(OECD)加盟国で最も高い。追い打ちをかけるように文在寅(ムン・ジェイン)政権下の不動産価格の高騰が、賃貸物件で暮らす高齢者を直撃した。経済成長の恩恵を受けにくい高齢世代の多くは「先進国で最悪水準」の貧困に苦しむ。

 高齢者の困窮ぶりを示すデータが自殺件数の多さだ。韓国統計庁によると、10万人に占める自殺者数は60代で30人、70代で39人、80代で63人にのぼる。韓国はOECD加盟国で最も自殺率が高く、ここ20年ほど平均値の2倍以上で推移する。

 この自殺率の高さについて、日本では過度な競争社会によって若者が命を落とすと思われがちだ。もちろん若者の自殺も多いものの、貧困や健康問題によって自ら命を絶つ高齢者が他の先進国と比べて多い。米国型の競争社会を求めすぎたことで社会保障の整備が遅れ、支援の網からこぼれ落ちた高齢者が数十万人いると推定されている。

 足元の超少子化が続くことで脆弱な年金制度も破綻の危機がささやかれ始めた。2024年の韓国政府の試算によると、現在の支給水準を続ければ2055年には積立金が底をつくという。現在35歳の会社員が65歳となって年金を受給する頃には一切の年金を受け取れないという試算だった。

 尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は年金改革を訴えるものの、生産労働人口の減少と高齢者の急増を背景に、現役世代に大きな負担を強いる以外に手立てはない。現政権は社会保険料率の引き上げに動き出したものの、世論の反発は大きいままだ。歴代政権もこの問題に抜本的な対策を打ち出せずに先送りしてきた経緯があり、今後は受給対象の高齢者側に減額という負担を強いる形にならざるを得ない。

一方、若者たちは「家を買えない」と嘆く

 貧困にあえぐ高齢者、そして韓国経済を支える現役世代も住宅価格の高騰に苦しむ。

 2017年から2022年の文在寅政権5年間でマンション価格は全国平均で1.8倍に高騰。ソウル市だけを見れば2.1倍の上昇となった。新型コロナウイルス禍(以下、コロナ禍)での経済対策としての金融緩和の影響も大きく、投資マネーが不動産市場に流れ込んだ形だ。文政権は土地活用の規制緩和によってマンション供給を増やすなど20を超える不動産価格抑制策を打ち出したものの効果は薄く、価格上昇は止まらなかった。

 一方で、市民の所得はそこまで増えていない。2023年の政府統計によると、韓国の勤労所得者の平均給与は年4390万ウォン(約440万円)だった。ソウルの平均マンション価格12億ウォンは、平均給与のおよそ27年分に相当する。マンション購入が一般の労働者には手の届かない水準となっている。

 価格高騰によって都心の高級マンションは投機対象となり、雑誌や新聞で語られる転売で財をなした成功談は耳目を集めた。投資対象は株式やビットコインにも波及し、若者層は手元資金をつぎ込んで投資に熱を上げた。貯金を韓国株に変えたベンチャー企業勤務の男性(28)は「まじめに働いても家は買えない。それなら手元資金を投資に回して少しでも増やしていくしかない」と話す。

韓国では老若男女それぞれが生きづらさを感じている(写真:細川幸太郎、ソウル市内の繁華街)
韓国では老若男女それぞれが生きづらさを感じている(写真:細川幸太郎、ソウル市内の繁華街)
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 勤労所得の上昇幅を大きく上回る不動産高騰への若年層の不満は高まった。韓国では賃貸居住者を「無住宅者」と軽蔑的に呼ぶ言葉もあるほど、持ち家信仰が根強い。価格高騰によって買いたくても買えない層は不満を募らせ、すでに持ち家のある人も固定資産税の上昇に不満を持つ。不動産高騰への対策が2022年大統領選の最大の争点となり、文在寅氏率いる革新政権は無策と判断されて保守派の尹錫悦大統領の誕生、政権交代を招くことになった。

 実際に所得水準に見合わない住宅ローンを組んだ家庭も多い。韓国銀行(中央銀行)によると、韓国の家計負債は2022年に1882兆ウォン(約190兆円)と、文在寅政権の5年間で4割増加した。韓国金融監督院がまとめた家計負債のGDP比率で韓国は104%と、日本(64%)や米国(79%)と比べて個人の借り入れが多い。

 さらに韓国では住宅ローンの8割ほどが変動金利で、急速な物価上昇に韓国銀行が政策金利の引き上げで対応したために家計の利払いが増えた。韓国銀行によると、2023年12月の平均貸出金利は年5.14%。仮に5000万円分の住宅ローンを借りた場合に平均で毎年約250万円の利子支払いを求められる計算となる。

なぜ世界最速で少子高齢化が進むのか

 次代の働き手となる20代の苦境も深刻だ。

 経済的に自立する年齢になっても独立せず、実家の両親に依存して生きる「カンガルー族」と呼ばれる若者が急速に増えている。OECDの報告書によると、韓国は両親に頼って暮らしている20代の比率が81%と、OECD平均(50%)を大きく上回って加盟国の中で最も高かった。男性の兵役義務によって就労の遅れがあるものの、就職難に加えて住宅価格や生活費の高騰が影響している。

 日本のように新卒一括採用の制度はなく、20代半ばを英語習得のための留学、就活指導塾などに通って就職試験の準備をする若者も多い。韓国では大企業と中小企業の給与格差は若手時代でも2倍以上に開いており、大企業に入るのが「勝ち組」とされる。20代の失業率は7.7%と全世代平均(3.7%)を上回るものの、中小企業は採用難に見舞われるなど雇用のミスマッチも深刻化している。

 正社員になれない、もしくは、ならない若年層はアルバイトや非正規職で日銭を稼ぐことになる。ただ、飲食店アルバイトはコロナ禍によって求人が途絶え、革新政権下の最低賃金の急激な引き上げによってコンビニ店舗は店員の常駐しない無人店舗へと姿を変えた。結果的に料理宅配のバイク配達員などに若者が殺到。コロナ禍で需要が増えたにもかかわらず、急増した配達員の過当競争によって十分な賃金が得られない事態となった。

 韓国では、車を購入する際の判断項目の1つに「下車感」という言葉がある。乗り心地を指す「乗車感」と異なり、車を降りた際に他人にどう見られるか、羨望のまなざしで見てもらえるか、という基準だ。それほどまでに他人にどう見られるかが韓国社会では重視される。

 そして若者の考え方を大きく変えたのがSNS(交流サイト)だ。スマートフォン画面にあふれるきらびやかな世界に触れ、自身の現実との差に打ちのめされるようになった。持てる者と持たざる者の対立構造の中で、韓国社会は世代や男女、正規職・非正規職の分断をますますエスカレートさせてきた。これらが韓国の若者の生きづらさと将来不安を増幅させてきた。

 韓国の若者が自虐的に使う言葉として「剝奪感」がある。必死に働いても報われず、上の世代などの恵まれた他人に自分の人生が奪われ続けているとの意味で使われる。こうした言葉が流行するほどに若者の生きづらさは深刻だ。若年層の生活が苦しくなった結果として、少子化が加速している面もある。

 韓国経済は屋台骨の製造業、とりわけ輸出産業によって国が発展してきた。5170万人の国内人口では個人消費は小さく、サムスンや現代自動車など財閥大手の輸出に経済が大きく依存した構造になっている。製造業では工場自動化が進むものの、一定の労働力が不可欠なため生産労働人口の減少は韓国経済の停滞につながる。

 さらに北緯38度線をはさんで北朝鮮と対峙する韓国軍としては、少子化による徴兵対象者の減少は軍事力の低下にもつながる。尹錫悦政権が「国家存亡の危機」と主張するのは決して大げさではない。

 若者の生きづらさが結婚観、人生観に影響し、世界最速の少子高齢化を招く。こうした韓国社会の課題は複雑に絡み合って悪循環に陥っており、解きほぐす糸口をまだ誰も見いだせていない。

アジア最強企業、猛烈に働くエリート集団、ニッポン電機敗戦の元凶――。そんな言葉で語られてきた韓国サムスン電子は停滞期を迎えている。成長の壁にぶつかり、もがく巨大企業の実態を、電機業界と韓国経済に精通した日経記者が赤裸々に描く。

細川幸太郎著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)