アジア最強企業、猛烈に働くエリート集団ーー。そんな言葉で語られてきた韓国サムスン電子が苦境に陥っている。既存事業は中国に追い上げられ、事業構造改革は進まない。硬直的な人事制度の中でいつしか挑戦を忘れ、「大企業病」を患う。そんなサムスンの姿は韓国経済の映し鏡でもある。隣国・韓国のもがく姿を描いた2025年1月刊『サムスンは生き残れるか 逆境の韓国経済』(細川幸太郎著/日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再構成する。2回目は、「サムスンの源流と事業拡大」について。
そもそもサムスンはどうやって始まったのか
半導体やスマートフォン、テレビといったエレクトロニクス事業が中心の韓国最大財閥のサムスングループは、上場企業16社、グループ企業数64社、韓国内だけで社員数27万8300人を抱えるコングロマリット(巨大複合企業)だ。サムスン生命保険に代表される金融事業を抱え、商社・建設のサムスン物産、医薬品製造受託のサムスンバイオロジクス、電池のサムスンSDI、造船世界大手のサムスン重工業、高級ホテルのホテル新羅など多様な事業を展開する。
サムスングループの源流、「三星商会」の祖業は魚の干物や野菜の貿易業だった。創業者の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏が故郷である韓国南東部の慶尚道(キョンサンド)大邱(テグ)で1938年に創業し、近郊のリンゴや栗などの青果物、漁村だった浦項(ポハン)近郊でとれた魚の干物を日本統治下の満州で販売する事業だった。
三星の「三」は大きい、多い、強いという意味を持ち朝鮮民族が好む数字であり、「星」は明るく、高く、永遠に輝くことを願って命名された。社史によると、三星商会の資本金は3万圓(現代の価値で3000万円ほど)だった。
貿易業とともに、製麺と製粉などを手掛ける小規模事業からスタートし、1940年代の食糧不足の時代に事業を軌道に乗せた。ただ社会情勢の変化によって事業はたちまち厳しくなった。1945年には日本の無条件降伏によって満州の販売先はなくなった。1950年には北朝鮮の韓国侵攻によって、砂糖や綿糸、漢方薬などの貿易物資の在庫は焼失した。
それでも大邱で友人に任せていた醸造所が稼いだ資金を元手に1953年に製糖業の第一製糖(現CJ第一製糖)を、1954年には紡績の第一毛織(のちにサムスン物産に統合)を設立し、当時貧しかった韓国で食料品・衣料品の製造で事業を広げた。軽工業で財を蓄積し、1960年代には放送や新聞、小売り、サービス業に進出。軍事独裁政権下で「政財癒着」と呼ばれながらも政権と一体で韓国の経済復興を担った。
そして1969年にはラジオやテレビのOEM(相手先ブランドによる生産)を請け負う三星電子(現サムスン電子)を設立した。同年には日本の三洋電機と技術提携し、翌年にはNECとも提携。やがて白物家電やテレビでの自社ブランド生産に乗り出した。その後の半導体や造船、ディスプレー、自動車、携帯電話、バイオ医薬品へと事業拡大は続き、現在のサムスングループの輪郭が固まった。
子5人に承継、財閥が枝分かれ
韓国財閥では創業家の代替わり期に息子・娘に事業を分割して承継するのが不文律とされる。創業家内の遺産相続争いを穏便に済ませるためだ。
創業者の李秉喆氏には息子が3人、娘が2人いた。三男の李健熙氏がエレクトロニクス主体のサムスン電子やサムスン物産など基幹事業を承継したほか、長女の李仁熙(イ・インヒ)氏は製紙のハンソルグループ、長男の李孟熙(イ・メンヒ)氏は食品や物流、エンタメ事業を抱えるCJグループ、次男の李昌熙(イ・チャンヒ)氏はビデオテープなどを手掛けたセハングループ、末っ子で次女の李明熙(イ・ミンヒ)氏は小売り大手の新世界(シンセゲ)グループを承継した。これらは「三星グループ」から次々と枝分かれしていった親戚企業にあたる。
汎サムスングループとして手掛ける領域は多岐にわたる。サムスン電子の先端半導体から、サムスン物産が建設を請け負った世界一の高さ(828メートル)を誇るドバイの超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」。さらにCJエンターテインメントのK-POP躍進の礎となったコンテンツプラットフォームや、かつて日本統治下で「三越京城店」だった建物を本店として受け継ぐ新世界百貨店も広くはサムスンが手掛ける事業といえる。汎サムスングループとして国内41万7200人規模の従業員を抱え、さらにサムスン電子を中心に世界に生産拠点を持つために総従業員数は100万人を上回る。
アカデミー賞4冠の「パラサイト」を支援
2020年2月9日、米ハリウッドのドルビー・シアターで開かれたアカデミー賞の授賞式。韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が最高の栄誉である「作品賞」に輝いた。
「パラサイト」は、ソウル市内で半地下の賃貸住宅に暮らす4人の貧しい一家が、高台の豪邸に住むIT企業社長の裕福な家庭に“寄生”していく物語。富裕層と貧困層の所得格差が固定化する現代韓国の格差社会を描いた悲喜劇だ。アカデミー賞では、外国語(非英語)映画として初めて最高賞の作品賞に選ばれたほか、監督賞や脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞した。
ポン・ジュノ監督は授賞式の舞台上でオスカー像を掲げながら「子どもの頃から憧れていた映画人とともにオスカー候補に選ばれて光栄です」と喜びを爆発させた。
その晴れ姿を会場内の目立たぬ位置で目を細めて見つめる女性がいた。「パラサイト」を手掛けた映画配給会社を傘下に持つ韓国中堅財閥CJグループの李美敬(イ・ミギョン)副会長だ。李美敬氏はサムスングループ創業者の孫で、サムスン電子現会長の李在鎔氏のいとこにあたる。
李美敬氏はポン・ジュノ監督について「彼のほほ笑み、ヘアスタイル、ユーモアすべてが好き」と語り、短編を手掛けていた30歳の若手監督の頃から支援し続け、ともにヒット作を生み出してきた。「パラサイト」には李美敬氏自身が責任プロデューサーとして参加した。財閥創業家出身者が映画のプロデューサーに就くのは珍しい。
世界を席巻する韓流の裏にも
韓国発の映画やドラマ、音楽の創作活動が世界を席巻したのには明確な系譜がある。
1990年に盧泰愚(ノ・テウ)政権が設立した文化省(現文化体育観光省)に起源をみることができる。初代長官として文化政策を主導したのが、「現代韓国の最高の知性」と評された李御寧(イ・オリョン)氏。長官時代の最大の功績が、芸術分野の国立大学「韓国芸術総合学校」の設立だ。さらに李御寧氏は「芸術分野の才能を育むためには既存の学校ではその役割を果たせない」とし、芸術分野の教育カリキュラムを綿密に組み立てていった。そして1998年に大統領に就任した金大中(キム・デジュン)氏がその資産を引き継いだ。「文化は21世紀の基幹産業になる」と訴えて幅広い大学に映画や音楽学科を整備してコンテンツ産業育成に乗り出した。
この韓国政府の文化政策に呼応し、CJグループもコンテンツ産業の育成に注力してきた。エンタメ事業を手掛けるCJエンターテインメントが映画「パラサイト」の配給元となったほか、ドラマ制作会社スタジオドラゴンを傘下に持ち、「愛の不時着」「トッケビ」「未生(ミセン)」といった日本はじめ世界で人気を集める有力ドラマコンテンツを手掛けてきた。
この制作力に目をつけたのが動画配信の巨人、米ネットフリックスだ。2019年には約100億円をスタジオドラゴンに出資して資本提携し、共同でコンテンツ制作に乗り出した。CJエンターテインメントは、ドラマや音楽などのコンテンツ事業に5年間で5000億円超の投資を続ける。制作体制の拡充のほか、IP(知的財産権)確保やデジタル技術を詰め込んだ最新鋭のスタジオ、デジタル配信のためのIT投資などに充てる。ネットフリックスのような国境のない配信プラットフォームに乗る形でドラマや映画も世界的な人気を得た。
オンラインのプラットフォームを活用して世界中のファンを魅了する韓流コンテンツ躍進の裏にも、サムスン財閥の資金力がある。
CJエンターテインメントでドラマ制作を学んだ制作陣が独立スタジオを設立して切磋琢磨(せっさたくま)する動きも広がっている。さらにK-POPの世界展開をCJグループが側面支援する。「Mnet(エムネット)」といった韓流専門チャンネルを主要国で運営しており、K-POPアイドルのオーディション番組なども展開して知名度と人気を高めている。
30年を超える韓国政府のコンテンツ産業振興政策とサムスングループの事業展開によって、多様な人材が育まれて世界で稼げる韓流という「大きな河」を形作っていった。
細川幸太郎著/日本経済新聞出版/2200円(税込み)

