マクドナルドを世界的なハンバーガーチェーンに育てたレイ・クロック。彼は好きな仕事を好きなようにやった人物でした。クロックの著書、 『成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝』 (レイ・クロック、ロバート・アンダーソン著/野地秩嘉監修・構成/野崎稚恵訳/プレジデント社)を楠木建・一橋ビジネススクール教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕』 (日本経済新聞出版)から抜粋。

「下積み」「苦労」というトーンがない

 『成功はゴミ箱の中に』は全編「どうだ、俺の話、おもしろいだろう?」というクロックの「話したくてたまらない」モードで書かれています。

 フランチャイズビジネスを始めようというとき、あまりに夢中で話すので、彼の元秘書だったマーシャル・リードは「クロックの頭がおかしくなったのかと心配した」と語っています。

 クロックがいちばん好きだったのが、メニュー開発と店舗開発でした。本の中でも何度となく話が出てきます。仕事の実際を知らないのでいまひとつついていけないのですが、「だって、スキだからスキなんだよ!」という思いだけはビシビシ伝わってきます。

 クロックは「野球をして得るのと変わらない喜びを仕事からも得ていた」と書いています。彼にとっての仕事──事業をデカくすることとそのための経営──は、普通の人がおいしいものを食べたり、デートしたりするのとまったく同じ意味で、生理的な喜びであり、本能的な快感でした。

 マクドナルドで当てるまで、クロックは長い下積みを経験しています。経営者になってからも、さまざまな困難に直面し、粘り強い努力でそれを克服しています。しかし、本書の記述はあくまでも明るく、「下積み」「苦労」というトーンがまるでありません。好きな仕事を好きなようにやってきた彼には努力が娯楽になっています。

 クロックがマクドナルド兄弟をはじめて訪れたのが1954年、この本を書き終えたのが77年。その後亡くなる84年までクロックは働き続けました。死ぬまで大好きな仕事をやめることができなかったのです。いい加減にしてくれと夫人に懇願されながらも、メニュー開発や不動産開発を喜々として続けていました。

 彼の頭の中には「引き際」などという文字はありません。仕事に対する異常なほどの愛情と執着、理屈抜きのスキスキ精神がマクドナルド帝国の基盤にあったのです。

クロックは長い下積みを経験した後にマクドナルドを当てた(写真/Shutterstock)
クロックは長い下積みを経験した後にマクドナルドを当てた(写真/Shutterstock)
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恋愛も肉食系オヤジ

 このエネルギーは恋愛にもいかんなく発揮されます。肉食系オヤジ、クロックは生涯で3度の結婚をしています。バンド時代に出会った初めの奥さんのエセルには、仕事ばかりしていたせいで愛想をつかされ、35年つれそった後に離婚しています(エセルはマクドナルドを始めることにも大反対していました)。

 この離婚が避けられないものとなっていたころ、クロックはジョニという女性に出会います。人妻です。「初対面で彼女の美しさにノックアウトされた」と言いますが、このときクロックはもう50代後半なのです。しかも「彼女も私も既婚者だったので、目が合った瞬間のときめきを打ち消さなければならなかった。だが、それは私にはできなかった」と恥ずかしげもなく回想しています。人妻にほれた話など、自伝には書かないのが普通でしょう。

 クロックはエセルと離婚し、「ふたりが夫婦になること以上に正しいことなどこの世にあるものか」とすっかり舞い上がって、ジョニが離婚するのを待ちます。

 ところが、そうこうするうちに、ジェーン・ドビンス・グリーンなる女性があらわれ、またもや速攻で恋に落ちて、出会って2週間後に結婚してしまいます。そのときの言い草が「彼女はとてもかれんで……ジョニと正反対のタイプだった」。あっさり書いていますが、この厚かましさは尋常ではありません。

 しかも、そこまでして結婚したのに、ジョニにたまたま5年ぶりに再会して、恋心に再び火がついてジェーンを離婚し、ジョニと一緒になるのです。このときクロックは67歳。10年越しの本命ゲット。「ついに彼女を手に入れた!」と大はしゃぎです。勝手きわまりない話なのですが、本人はまったく反省していません。「自分の心に正直に行動することのどこが悪いのか」と開き直ります。返す言葉がありません。

52歳だからこそ成功した

 本書の巻末に収録されている対談で、ソフトバンクの孫正義さんが「レイ・クロックは52歳という年齢から大きな仕事を始めている。日本で50歳を過ぎた人が道端のレストランを見ても、なかなか起業には踏み出さない」とコメントしています。

 こんなに年をとってから起業するというのは確かにすごいバイタリティーです。しかし「52歳なのに……」ではなく、「52歳だからこそ」の成功だったのではないかというのが僕の見解です。酸いも甘いも経験しつくすようなキャリアがあったからこその偉業なのではないでしょうか。

 50代でマクドナルドに出合うまで、クロックはセールスマンを生業とし、たまにバンドマンをやったりしていました。大成功までの長すぎる回り道です。しかし、そのころから彼は仕事をひたすら楽しんでいました。

 母親から教わったピアノの腕は相当なもので、営業の仕事に嫌気がさすと、当時流行っていたチャールストンのバンドに入って、縦じまジャケットにカンカン帽という格好で演奏したりもしました。ちなみに彼の最初の妻エセルは、このときの常連客です。

 マイアミのナイトクラブでピアノを弾いて暮らしを立てていたこともあります。ごく短期間の仕事でしたが、このクラブがどうやって密輸酒を売っていたか、どうやってより多くのチップを獲得したかなど、クロックは具体的な詳細を覚えていて、まるで昨日あった出来事のように書いています。

クロックはナイトクラブでピアノを弾いていたこともあるという(写真はイメージ)(写真/Shutterstock)
クロックはナイトクラブでピアノを弾いていたこともあるという(写真はイメージ)(写真/Shutterstock)
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日本でも「還暦」起業家を

 クロックは、52歳になるまで地べたをはい回るような営業を続けます。そのなかでクロックはありとあらゆる商売にとって大切なものを、半ば無意識のうちに蓄積し、発酵させていたに違いありません。

 マクドナルド兄弟の店に出合ったのは、それまでの蓄積の起爆剤にすぎないのです。50代になるまで火薬をたっぷり仕込んでいました。そこに火がついたからこそ、これだけの大爆発になったのではないかというのが僕の感想です。

 創業後に経験して、学習したことももちろんあるでしょう。しかし、商売のスタイル、例えば仕組みづくりとか、顧客志向とか、早めの実行・早めの失敗といった部分は、30年以上にもなる営業マン生活の経験によって錬成されたものなのです。

 起業は若い人だけのものではありません。日本でも、濃い経験を積んだベテランが新しい事業に乗り出すという例がもっとあってもいいでしょう。

知り尽くしたシカゴで店舗開発

 クロックは功なり名を遂げた後、1970年代になって古巣のシカゴに戻り、ダウンタウン・シカゴで店舗開発を始めます。これがもううれしくてたまりません。シカゴは自分が知り尽くしている土地です。

 店舗候補地までの輸送路、歩行者数、不動産の所有者、所有期間……。そういったものがすべて頭に入っていました。35年間も同じ町でペーパーカップとマルチミキサーを売り歩いていたのです。

 「もしあなたが不動産屋で、客に良いサービスを行う気があるなら、地下のレイアウトや脇道のアクセスまで調べ上げるのが普通だろう」とクロックは言います。それは彼がいつも実践してきたことでした。セールスマン時代に積み重ねた知識の結集を、巨大企業となったマクドナルドの店舗開発で駆使し、成果へと還元する。クロックにとってはさぞかし「男子の本懐」だったことでしょう。

 クロックは本書の最終章をこう結んでいます。「自分の仕事にこのような姿勢で向かえるのなら、人生に打ちのめされることはない。これは取締役会長から、皿洗い長にいたるまで、すべてのビジネスマンに言えることだ。『働くこと、働かされること』を楽しめなければならない。……幸福とは約束できるものではない。それはどれだけ頑張れたか、その努力によって得られる、その人次第のものなのだ」

 腹から出ている言葉です。

『成功はゴミ箱の中に』の名言
『成功はゴミ箱の中に』の名言
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