森岡毅氏率いる刀は2024年夏、DX(デジタルトランスフォーメーション)事業に本格参入している。刀がDX参入によって実現するのは、誤差1%も可能な需要予測システムのパークへの外販だ。その狙いと、見据える今後の展開はどのようなものなのか。『森岡毅 必勝の法則 逆境を突破する異能集団「刀」の実像』(中山玲子著、日経BP)から一部を抜粋してお届けする(本文敬称略)。
「昨日の集客数が分からない、さらにはその先の集客数はもっと分からないと悩む経営者は多い。刀のシステムは、どんなタイミングでチケットが買われているかなど、施設の“健康状態”がリアルタイムで分かる」
23年に設立した、DX事業を専門にする子会社、刀フォース(東京・千代田)の代表の木村泰宏はこう話す。外販するシステムは、チケット販売システムとして提供し、同時に需要予測もする。

予測は、チケットの事前予約状況だけでなく、屋外施設の場合は天候、近隣でのイベントの有無など複数の条件を考慮。刀独自のアルゴリズムを活用して来場客数の予想をはじき出す。
飲食・小売りへの外販も検討
システムは、施設ごとにカスタマイズしたダッシュボードを構築する。サービス開始時から販売・集客実績を確認でき、約3カ月経過した頃に刀フォースのデータアナリストが需要予測モデルの構築に着手。およそ半年後には予測用ダッシュボードが利用できるようになる。

システムを導入済みのイマーシブ・フォート東京では、需要予測の誤差が1%のときもあり、精度は平均して9割を超える。今後は、それを全国のテーマパークや遊園地、水族館・動物園や博物館・美術館といった集客施設へと“開放”するのだ。
刀のチケット販売システムでは、入場券のほかにオプションのチケット、優先入場券なども同時購入ができる。木村は「1回当たりの決済金額が約2倍に伸びた例もある」と話す。当初はパークなどがターゲットとなるが、将来的には飲食業や小売業への導入拡大も検討する。
刀はかつて、外食大手トリドールホールディングス傘下のうどん店「丸亀製麺」でマーケティング支援をした際に需要予測を活用した過去がある。木村は小売りや飲食業への外販について「システムの構築は十分可能」と前向きに検討する。
「ゆくゆくは、街の花屋さんやたこ焼き屋さんがスマホ1つで需要予測できるよう、誰もが安価で利用できるサービスを提供し、日本の産業強化に貢献したい」と森岡は話す。
刀は数学マーケティングを自社事業の運営にとどまらず、幅広い企業に提供する構想を抱いている。
そもそも森岡はいかにして数学マーケティングを構築していったのか。今でも「運命的だった」と振り返るのが、現・刀CIO(最高インテリジェンス責任者)の今西聖貴との出会いだ。
森岡が米プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)の世界本社に移籍したとき、今西は世界中の市場分析と需要予測モデルの開発をリードしていた。
森岡氏より19歳上の今西氏との出会い

「英語で話しかけてきて、中央アジアの方かな? と思ったら日本人だった。僕より19歳年上なのに偉ぶらず、カジュアルに接してくれた」(森岡)
2人は「ダンキンドーナツ」でよく語り合った。森岡には個人的に師と仰ぐ存在がいた。米国の数学者で経営学者のアンドリュー・アレンバーグである。
消費者の購買行動には一定の法則がある。つまり、消費者一人ひとりの消費の選択は一定の確率でランダムに起きる──。
「アレンバーグ氏は、私が気付く十数年前にこの法則に気付いていた。彼の論文に巡り合ったときは大きな感動を覚えた」
アレンバーグの論文に書かれていたのは、森岡が以前から考えていた仮説を証明するような内容だった。
「アレンバーグ氏の理論をどうやって実践マーケティングに取り入れるかという、今まで僕がやってきたことをすべて今西に開示した。今西もすごく喜んでくれましたね。『うわ、こんなことをやる人が、自分以外におったのか』と」
その後、森岡がアレンバーグを通じて知ることになったのが、森岡と年齢の近いオーストラリアの経営学者、バイロン・シャープだ。
シャープは10年、『ブランディングの科学 誰も知らないマーケティングの法則11』(日本語版は18年発売)という書籍を刊行。長年、マーケティング界の権威とされてきた米経営学者、フィリップ・コトラーの手法に異論を唱えた。根拠や裏付けに基づいた科学を重視したマーケティングの必要性を訴えた同書はベストセラーとなり、業界内で大きな波紋を呼んだ。
コトラーが訴えてきた旧来のマーケティング理論に対して、より科学的アプローチの重要性を唱えたのがアレンバーグとシャープ。マーケティング界にこうした大きな2つの考え方があるとすると、世の多くの企業はコトラーの考えに近い一方、森岡や刀の「数学マーケティング」はアレンバーグとシャープの考え方に近い。
森岡は「我々の需要予測が精密なのは、時間と距離抵抗を読むからだ」と明言する。テーマパークにせよ商業施設にせよ、目的地までの距離の受け取り方は人それぞれ。遠くても飛行機で行けるなら近いと感じる人もいるだろう。
千差万別の“距離”への抵抗感。「これを数学的に計算するのは不可能だといわれてきたが、統計学的に処理してしまう方法を彼(今西)は思いついたんですよ」と森岡は感服する。のちに刀へと続く物語は、森岡と今西の「奇跡の邂逅(かいこう)」から始まったのだ。
[日経ビジネス電子版 2025年2月14日付の記事を転載]
中山玲子著/日経BP/1870円(税込み)
