物価上昇が続く昨今でも、多くの企業では「シェアを減らしたくない」「売り上げを落とせない」などの理由から、値上げをためらってきました。しかし「お客様のため」に安く作り安く売ろうという考えはもはや悪徳でさえあると、日本共創プラットフォーム(JPiX)会長の冨山和彦氏は指摘します。今こそ私たちに必要な「インフレ時代のものの値段の考え方」を、経済学者の慶應義塾大学の星野崇宏教授・政策研究大学院大学の安田洋祐教授が、冨山和彦氏をゲストに語ります。

「コストの積み上げ」でしか価格を決められない日本企業

安田洋祐(以下、安田) 日本企業は「プライシング(値決め)」に根深い課題を抱えています。

星野崇宏(以下、星野) 直近のインフレの影響で、企業はいや応なく価格を上げざるを得ない状況にあります。しかし、その上げ方が「コストが上がったから、その分を転嫁する」という、いわゆる「コストプッシュ型」にとどまっているのが現状です。

冨山和彦氏(以下、冨山) はっきり言って、日本の会社は過去何十年もの間、まともなプライシングをしてこなかったんですよ。多くの企業が採用しているのは「総括原価方式」的な発想です。つまり、製造原価を積み上げて、そこに「世間並み」の適正マージンを数%乗せて価格を決める。お客様がその商品にどれだけの価値を感じているか(リザベーション・プライス=留保価格)という視点がすっぽり抜け落ちています。

<b>冨山和彦(とやま・かずひこ)氏 日本共創プラットフォーム(JPiX) 代表取締役会長</b><br>ボストン コンサルティング グループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、07年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。20年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立。東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。近刊に、『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋)がある。(写真=尾関祐治、以下同)
冨山和彦(とやま・かずひこ)氏 日本共創プラットフォーム(JPiX) 代表取締役会長
ボストン コンサルティング グループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、07年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。20年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立。東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。近刊に、『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋)がある。(写真=尾関祐治、以下同)

安田 いわゆる「コストプラス法(原価加算方式)」ですね。

星野 本来は、質を下げて安く売るよりも、価値を認めて支払ってくれる方に適正な価格で売るほうが健全です。そうすればデフレ等の問題も解決されるはずですが、どうやってその「適正価格」を決めるかという手法が、日本企業には欠けています。

冨山 高度経済成長期はそれでもよかったんです。当時は日本の労働コストが異常に安く、為替も1ドル360円だった。だから、コストを積み上げても世界的に見れば激安で、作れば作るほど飛ぶように売れた。しかし、その成功体験があまりに強烈すぎました。バブル崩壊後も、売り上げが伸びない中で利益を出すために、日本企業はコストカット、特に人件費を削ることに熱中しました。「安く作るために、給料を抑える」という思考回路が、経営者の頭に深く刻み込まれてしまった。

 これを僕は「思考の経路依存性」と呼んでいます。もう国内産業の多くはサービス業やIT(情報通信)産業になり、製造業のような原価計算がなじまないビジネスモデルに変わっているのに、頭の中の発想だけが昭和の工場のままです。こうした問題には、近著『 日本経済AI成長戦略 』でも触れています。

安田 この日本企業の思考の経路依存には、「マルクス経済学」的な発想が見え隠れしていると思います。今の経営者の年代の方々が学んできた経済学といえば、マルクス経済学が主流でした。ものの価値が、生産にかかった労働量で決まるとする「労働価値説」を土台とするマルクス経済学では、「価格とはコスト(労働)の積み上げである」という考えに陥りがちです。それでは、原価がかかっていない情報サービスや、イノベーションによる高付加価値商品に、強気な値段をつけるのが難しくなります。

冨山 日本人は「ナラティブ(物語)」を重んじますが、数学を用いた思考が苦手でしょうがない。「汗水垂らして作ったものには価値がある」という物語は分かりやすいけれど、論理的に価値を最大化するという発想は弱い。

 特に深刻なのは中小企業です。彼らは長年、元請け会社から図面と価格を渡されて、作るだけの「生産請負業」に近い形で仕事をしてきました。本来メーカーに必須であるはずの「開発」と「営業マーケティング(値決め)」の機能を放棄し、ただ言われた通りに作ることに最適化してしまった。これでは、自社の技術にどれだけの価値があるか主張できず、コストプラスの呪縛から逃れられません。

 そもそも、経営者自身のスキルセットにも問題があります。プライシングは経営の中で最も抽象度が高く、戦略的な意思決定です。本来ならファイナンスや会計、マーケティングの深い知識が必要になる。ところが、日本の社長の多くは現場のたたき上げで、そうした「経営の基礎」を体系的に学んでいない。経営者でもB/S(貸借対照表)すらまともに読めない人も珍しくない。だから、論理的に価格戦略を組み立てられず、結局は「原価+マージン」という、誰でもできる算数に逃げ込んでしまう。

安田 ホワイトカラーが「アンスキルド(未熟練)」のまま経営をしているといっても過言ではないですよね。それがこの問題を長引かせている要因でもあります。

「シェアを守る」ために値下げする、昭和の呪縛

安田 本来であれば、適切なプライシングをして付加価値を高め、それを賃金に還元して生産性を上げるべきです。しかし、多くの企業はそのサイクルを回せていません。

冨山 これまでの日本企業にとって、プライシングは戦略的なツールではなく、「競合他社よりも安くする」程度の意味しか持っていなかったんです。デフレ時代の経営の定石は「値下げ」です。値下げで数量を確保し、その分コストを削る。当然、賃金も抑制する。それでもデフレだから、従業員の生活は何とか回ってしまう。「雇用を守るために、給料は上げず、安売りでしのぐ」。これが“立派な経営”だと勘違いされてきた期間があまりに長かった。

星野 企業の方とお話ししていても、利益よりも「売上数量」や「シェア」を重視する傾向が強いですね。例えば、競合が値上げをしたとき、本来なら自社も値上げをして利益を確保するチャンスかもしれません。

 しかし、多くの日本企業は「シェアを守りたい」と考える。だから「他社が上げたなら、うちは据え置けば客を取れる」という発想になりがちです。利益ではなく、シェアや売上高をKPIにしていることが、値上げを阻む要因の一つになっています。実際には値段を据え置いても、顧客はほとんど流れてこないということがいろいろな研究で知られているのですが(※【星野崇宏が解説「値上げしても顧客離れが起こらない科学的根拠」 】参照)。

シェアよりも利益の確保の重要性を解説する星野教授(慶應義塾大学)
シェアよりも利益の確保の重要性を解説する星野教授(慶應義塾大学)

冨山 でも今はインフレが進行しているわけでしょう? 貨幣価値が下がっている中で価格を据え置くということは、「現状維持」ではなく「実質的な値下げ」をしているのと同じです。多くの経営者がその事実に気づいていないか、あるいは気づいていても「デフレ・人余り」時代の反射神経で反応してしまう。

「最低賃金を上げると会社が潰れる」の大嘘

冨山 その「思考の経路依存」の最たる例が、最低賃金の議論です。よく言われるのが「最低賃金を上げると中小企業がバタバタ潰れて、地域の社会インフラが崩壊する」という主張。でも、僕は地方のバス会社を実際に経営していて、現場をよく知っていますが、起きていることは真逆です。給料が安すぎるから、運転手がいなくなって減便せざるを得ない。会社が潰れるのは「賃金が高いから」じゃなくて、「賃金が安すぎて人が採れないから」です。

安田 フェーズが変わってきているんですよね。かつては「仕事がない(需要不足)」が問題でしたが、今は「人がいない(供給制約)」がボトルネックになっている。

冨山 そう。供給制約の時代なんです。ある地方のバス会社では、ドライバーが集まらないから、最後はバスが1台だけになって、75歳の社長が自分でハンドルを握っていた。それで「もう限界です」と廃業する。これをマスコミは「不況で倒産」のように報じるけれど、実態は単なる人手不足倒産です。労働市場の需給は逼迫しているのだから、本来なら賃金は上がるはずです。上がらないと人が来ないから。

 これはBtoB(企業間取引)でも同じことが起きています。以前、ある部品メーカーの方に「このままでは赤字だから、納入先に3割の値上げを要求してみるべきだ」と言ったところ、営業担当は「そんなこと言ったら切られます」と真っ青になりました。でもね、「今の価格なら供給を止めます」と言わせてみたら、どうなったか。半分ぐらいは値上げが通ったのです。半分ぐらいは本当に切られましたが、そもそもその仕事、もうかっていませんでした。こちらは人手が足りなくて困っているのだから、もうからない仕事はなくなって別に構わない。結果、利益が出る仕事だけが残って、経営状態は良くなる。

 売り手と買い手の力関係は逆転しているのに、現場の意識だけが「切られたら終わり」というデフレ時代のままなのです。

安田 「仕事を奪い合う」心配をしている場合じゃなくて、今は「仕事はあるけど担い手がいない」状況ですからね。

冨山 公共事業も同じです。入札不調が相次いでいるのは、単価が安すぎて誰も受けないから。それにもかかわらずデフレ脳から需要刺激として「工事量を増やす」ことばかり考える。人がいないのに量だけ増やしたら、民間から人を奪う「労働のクラウディング・アウト(金利が上昇し、その結果、民間の企業投資や個人消費が抑制されてしまう現象)」が起きるだけです。

 必要なのは、テクノロジーで省人化を進めつつ単価、つまり賃金を上げること。プライシングを変えない限り、供給は維持できません。

「お客様のために安く」は、もはや悪徳である

星野 我々は新しいプライシングの手法を研究し、企業にコンサルティングのために入っていますが、計算以前の問題として、やはりマインドセットの壁を感じます。先ほど冨山さんがおっしゃったように、どうしても売り上げやシェアを優先してしまう。

冨山 需給で値段が決まるという事実に対して、ある種の「経営倫理」みたいなものが邪魔をしています。「少しでも安いものを消費者に供給することが、経営として善である」という思い込みです。

安田 そういう刷り込みがありますよね。

冨山 経済学的に言えば、それは今の日本ではナンセンスです。日本が貧しかった時代、キャッチアップの過程ではその倫理も正しかったでしょう。でも、よく考えれば「生産者」と「消費者」は同じ人間です。生産者として安く買いたたかれ、給料が上がらなければ、消費者としてものを買うことはできない。安売りを美徳とすることは、この経済の循環を自ら止める行為です。

 この「循環」の認識もズレているんです。多くの人はいまだ「日本は貿易立国だ」と思っていますが、実は先進国の中でアメリカに次いで貿易依存度が低い。日本経済は基本的に「地産地消」の内需で回っている。それなのに、頭の中だけがグローバルな「重商主義」のままで、外貨を稼ぐために安く売るのが正義だと思っている。世界的に見てもサプライチェーンを短くする「地産地消」がトレンドなのに、実態に合わない輸出モデルの幻影を追って、自分たちの首を絞めている。この認識を改めない限り、国内の経済循環は太くなりません。

安田 マクロ経済学では、この問題は「合成の誤謬(ごびゅう)」とも呼ばれますね。個々の企業から見れば、賃金を抑えて安く売る、あるいは国内投資ではなく海外投資にシフトするのは、自社にとって合理的かもしれません。

 しかし、みんながそれをやった結果、国内の消費需要が伸びず、将来的に物が売れなくなる。短期的に自社の利益が増えても、どんどん先細っていく。最近はメインストリームの経済学者や経営者の間でも、「やっぱり賃金を上げないと、需要自体が消滅してしまう」という危機感が共有され始めています。

価格の据え置きと需要低下には負の循環があると解説する安田教授(政策研究大学院大学)
価格の据え置きと需要低下には負の循環があると解説する安田教授(政策研究大学院大学)

冨山 だからこそ、経営者の使命を再定義しなければなりません。「安く売ること」ではなく、「価値に見合ったフェアな対価をお客様からいただき、それを原資に高い給料を払い、消費を活性化させること」。

 循環の束を太くすることが経営の役割です。PL(損益計算書)上のコスト削減に汲々(きゅうきゅう)とする「現場の延長」のような経営ではなく、もっとメタな視点で、経済循環を作るプライシングを行う。この思考の転換、つまり「経路依存からの脱却」ができるかどうかが、日本企業の生死を分けます。

(構成=加藤純平)

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