近年、ロシアで伝説のスパイ、リヒャルト・ゾルゲが神格化されているという。ロシアのウクライナ軍事侵攻から1年。プーチンも憧れていたというゾルゲを称賛することで、情報活動やそれに従事する人の重要性を示そうというのだ。AI(人工知能)やITの進化で激化する、各国の情報戦、スパイ合戦について、“スパイオタク”の池上彰氏が解説した 『世界史を変えたスパイたち』 (日経BP)から抜粋・再構成してお届けする。

(第1回から読む)
(第2回から読む)
(第3回から読む)

ゾルゲに憧れていたプーチン

 「高校生の頃、ゾルゲのようなスパイになりたかった」

 そう述べたのは、他でもないプーチン大統領です。子どもの頃、プーチン少年はKGB(国家保安委員会)に憧れ、KGBレニングラード支局に行って、「KGBに入りたい」と言ったといいます。その際、応対した職員は、「KGBに入りたければ、以後二度とKGBに入りたいと言ってはいけない。KGBはKGBに入りたいという人間は採用しない。大学の法学部に入り、いい成績を収めれば、KGBの方から接触する」とアドバイスしたというのです。

 アドバイスを受けたプーチン少年は猛勉強してレニングラード大学法学部に入り、いい成績を取ったところ、正体不明の男が接触してきたといいます。夢がかなったのです。プーチンは大学卒業後、KGBに入り、東ドイツで諜報(ちょうほう)活動を行います。  

 日本で国家安全保障局局長を務めた北村滋さんは、プーチンに会った際に「同じ業種の仲間だよな、君は」と声をかけられたそうです。これは北村さんが外事警察、つまり国内のスパイ活動や外国勢力を取り締まる職歴を持っていることを知っていたからでしょう。 プーチン大統領はまさに「大統領に上り詰めたスパイ」であり、大統領としての職歴の方が長くなっても、プーチン自身は今も政治家ではなくスパイであることこそが本質だと考えているようです。

 そのプーチンが憧れていたというスパイ・ゾルゲとはどんな人物だったのか。スパイの話をするためには、やはりゾルゲから始めなければなりません。

 スパイ・ゾルゲことリヒャルト・ゾルゲは、戦前の日本で活動したスパイです。実際は赤軍参謀本部(現在のロシア連邦軍参謀本部情報総局・GRUの前身)所属でありながら、ドイツ紙の記者を装って情報活動に従事し、元朝日新聞記者で日本政府に幅広い人脈を持っていた尾崎秀実と組んで日本でソ連のための諜報活動に従事。日米開戦前の1941年にスパイであることが露見し、尾崎とともに処刑されました。

 尾崎秀実の協力を得て、日本国内に諜報網を形成したゾルゲの最大の功績は、戦時中の日本軍が、ロシアを攻める「北進」ではなく、フィリピンやインドネシアに進出する「南進」を取り、日本が対米開戦を決意するとの情報をいち早くロシアのスターリンに送ったことでした。しかもこの日本政府の「南進の決意」自体に、ゾルゲの指示を受けた尾崎の働きかけの影響があったとも言われています。

 また、ドイツ人記者を装って在日ドイツ大使館に出入りし、オットー独大使に取り入りました。ドイツの公文書を自由に閲覧し、1941年のドイツのソ連侵攻計画をモスクワに送信しています。当時日本はドイツと同盟を組んでいましたから、日本で手に入るドイツの情報には価値があったのです。

 ゾルゲがオットー大使に接近できたのは、オットー夫人とゾルゲが以前からの知り合いだったからですが、夫人とは男女の関係にあり、ゾルゲは二重の意味でオットー大使を裏切っていたことになります。しかしオットー大使はそうしたことに全く気づかず、ゾルゲがスパイ容疑で摘発された際には「まさか!」と狼狽したそうです。

 ゾルゲは、日本で諜報網を張り巡らせて得た極秘情報をオットー大使にも伝えていました。これで大使の信頼を獲得していたのです。日本そしてドイツに関する情報を得たゾルゲは、自宅から無線機でソ連に情報を送っていました。

ゾルゲに憧れていたというプーチン大統領(写真:Shutterstock)
ゾルゲに憧れていたというプーチン大統領(写真:Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

街中に設置されるゾルゲの銅像や胸像

 そのゾルゲが近年、ロシアでブームになっています。2016年に開通したモスクワ市内を走る地下鉄の新駅が「ゾルゲ駅」と名付けられました。カリーニングラードなどの都市には「ゾルゲ通り」も出現。2019年にロシアの国営テレビが「ゾルゲ」という連続ドラマを制作したのに続き、映画が公開され、銅像や胸像の設置も増えているそうです。

 日本にとっては、国家の中枢の判断をゆがませ、情報を他国に流したスパイですが、ロシアにとってはソ連時代に国家に殉じた英雄です。プーチンは「憧れだった」と明かしたゾルゲの功績をたたえることで、情報活動の重要性や、それに従事する人の忠誠心が、今のロシアでも重要であることを示したいのでしょう。

 ゾルゲは日本で処刑され、東京の多磨霊園に墓地があります。11月7日の命日には、在日ロシア大使館員や駐在武官が墓参りに訪れています。日本国内で外国のスパイを監視している公安警察は毎年、多磨霊園をウオッチし、ゾルゲの墓参りに訪れた人物を「スパイや情報員」としてチェックしているという話まであります。

ゾルゲを愛した女スパイ

 ゾルゲは日本国内で得た極秘情報を扱う優秀なスパイでしたが、普段は一体どんな人物だったのでしょうか。

 スパイが身元を隠すために作る偽の経歴のことを「レジェンド」や「カバー」といいます。ゾルゲはドイツ紙の記者が「レジェンド」でした。スパイも情報収集が仕事ですが、記者もさまざまな人に会って、広く情報を収集するのが仕事です。スパイがレジェンドにするには、記者やジャーナリストという経歴は使いやすいものでした。

 ただ、現在の米国は、CIA(中央情報局)職員などのスパイに記者をレジェンドにしてはいけないという規定を設けています。それは、記者の中にスパイがいるとなれば、海外に派遣されている本物の米国人の記者が、スパイだと疑われて処刑・国外追放などの目に遭いかねないためです。

 ゾルゲはオットー夫人と男女の仲になっていましたが、他にも複数の女性との間で浮名を流すプレーボーイでした。さらには大酒飲みで社交的。「まさかこんなに大っぴらに動き回っている人間がスパイのはずがない」と思わせるためにそうしていた可能性もありますが、とにかく派手で目立つ男だったようです。

 ゾルゲが籠絡した1人に、「ソーニャ」というコードネームを持つユダヤ系ドイツ人の女性スパイがいます。本名はウルスラ・クチンスキーです。彼女はドイツ共産党に入党しましたが、ナチス台頭によって共産党排斥の空気が強まったドイツから、上海に移り住んだところでゾルゲに出会い、ゾルゲはソーニャを上海スパイ網に組み込みます。そして、夫と子どもがいたにもかかわらず、愛し合う仲に。ゾルゲが日本に渡ったことで2人の関係も終了しますが、その後ソ連に渡ったソーニャはスパイ養成学校に入校し、GRU所属の正式なスパイとなります。そしてソーニャはスイスでの対ナチス諜報活動や、イギリスでの核開発情報の入手などで活躍します。

 ゾルゲとしてはソーニャとの関係もスパイ網構築のためだったのかもしれませんが、その後、ソーニャ自身が正式なスパイになってしまうのですから、ゾルゲとの出会いが彼女の人生に多大な影響を及ぼしたことは間違いありません。ゾルゲという人物は女性から見てもそれほどまでに魅力的な人物だったのでしょう。

 戦後、ゾルゲは多くの小説や映画の題材になりましたが、それはスパイという特殊な世界で生きる人間だったことや処刑という劇的なラストを迎えたことにあったのではなく、普段は社交的で艶っぽい話も多かったという、その二面性やドラマ性にひかれる人が多かったからでしょう。

今でも、ゾルゲを題材にした映画や小説が創られている(写真:Shutterstock)
今でも、ゾルゲを題材にした映画や小説が創られている(写真:Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

池上彰が話を聞いたスパイは聞き上手だった

 本来、スパイは地道に情報を収集し、分析するのが仕事です。CIAのスタッフも、私たちが思うような「筋骨隆々で、殺人術にたけた武闘派」などではなく、いかにも青白きインテリといった風情の人物が多いといいます。CIA職員の中には、情報を収集したり、他国内で諜報網を形成したりする工作責任者(ケース・オフィサー)として現地での協力者(エージェント)を作る任務を遂行する人よりも、そうして各地で集めてきた情報を分析・評価する任務に就いている人の方が多いのです。

 情報収集に当たるスパイであってもゾルゲのような目立つスパイは珍しく、実際には極めて地味で、目立たない人物がケース・オフィサーやエージェントとして活動しています。もちろん、その身分や経歴は外交官や大使館職員、駐在武官(日本では防衛駐在官)や、ビジネスマンなどといったレジェンドを装っており、スパイであることは周囲にはみじんも感じさせない振る舞いをしています。

 以前、私がインタビューした元CIA工作員は、快活な好人物でした。目立たないながら、話をすればつい話し込んでしまうようなタイプでした。私たちはスパイというと、映画『007』シリーズのジェームズ・ボンドのような、いかにも切れ者で屈強でありながら、どこか陰のある魅力的な人物を想像してしまいますが、元CIA職員に言わせれば「スパイは目立ってはいけない」ことが鉄則だそうです。

 そしてスパイに必要なのは「対象に取り入るために、自分とは別の人物になりきる能力」。つまり、レジェンドを徹底的に演じきる能力であり、対象に胸襟を開かせる能力です。

 「これと言って特徴のない、地味な印象だが、非常に温和で、なにせ聞き上手。会ってからそれほど時間がたっていないのに、家族の話や交友関係、さらには自分を正当に評価してくれない職場の愚痴にまで辛抱強く耳を傾け、励ましてくれる。だから気をよくして、会社が始めようとしている新事業のことまで、ついついしゃべりすぎてしまった」

 もしあなたがこんな経験をしていたとしたら、その相手は「スパイ」かもしれません。まさか、と思うでしょうか。「スパイなんて、映画の中の話でしょ」「自分が狙われるわけがない」「あんな地味な人がスパイ?」などと思った方は要注意です。

 スパイは家族にも自分の任務を話すことができません。家族でもわからない素性を、工作対象とされた人物が見破るのは至難の業なのです。

 私は、ソ連のKGBのスパイとして、ソ連の通信社の記者をレジェンドにして日本で活動していた人物にも話を聞いたことがあります。記者としての仕事をしながらスパイ活動をするのは大変な重圧だったそうです。日本国内で人脈を形成することで、自分を信頼する人が増える一方で、実際は、その人を欺瞞(ぎまん)して情報を収集するために利用しているわけですから、そんなことをする自分への自責の念に苛まれることも多く、ストレスが大きかったというのです。彼は、それに耐えきれずに米国に亡命してしまうのですが、ソ連に戻った同僚たちの中には、精神的重圧から心を病む人もいたそうです。スパイも人間なのですね。

 スパイが最も活躍するのは、戦争などの国家の行く末を左右するような時ですが、戦前の日本もスパイによる諜報活動の標的となり、また自らも諜報活動を行っていました。

 そもそも国同士が外交関係を持ったり戦争をしたりする以上、相手の国の事情を知っておく必要があります。『旧約聖書』にもスパイ活動の話が出てきますし、古代ギリシャでもローマでもスパイ活動はつきものだったのです。

(写真:中西裕人)
(写真:中西裕人)
画像のクリックで拡大表示
東西冷戦が終わった時、「スパイ小説の書き手は失職する」と言われましたが、米中対立やロシアのウクライナ軍事侵攻をきっかけに「新しい冷戦」という言葉が生まれます。スパイの存在はなくならず、AI(人工知能)やITを駆使することで、情報を巡る争いはより一層激しくなっています。混迷の現代史の裏側を池上彰氏が徹底解説。

池上彰(著)、日経BP、1650円(税込み)