スマートフォンから自動車、兵器、人工知能(AI)に至るまで、あらゆる技術革新の中核を担う半導体。産業界に限らず、株式市場や国際政治においても半導体の重要性は高まり続けています。ビジネスパーソンや投資家、政策担当者が身につけておきたい半導体産業の基礎知識から2026年現在の企業間、国家間競争の最前線までを描いた書籍『半導体覇権 国家に翻弄される巨大企業』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再構成してお届けします。今回は「エヌビディアの誕生秘話」についてです。

デニーズの皿洗いから5兆ドル企業のトップへ

 2025年7月、カリフォルニア州のまぶしい日差しが降り注ぐスタンフォード大学の講堂には人だかりができていた。見渡す限りアジア系の顔立ちばかりで、中国語で会話する参加者の姿も目立つ。アジア系米国人の団体が主催した同大学にゆかりを持つ著名人が集うシンポジウムだ。

 イベント登壇者の目玉だったのが、時の人となったエヌビディアのジェンスン・ファン氏だった。スタンフォード大で電気工学の修士号を取得しており、校内には3000万ドル(約50億円)の寄付によってファン氏の名を冠した建物もある。今回のシンポジウムには卒業生スピーカーとして参加した。

 台湾出身のファン氏は講演で自身のルーツについて語り始めた。

 両親は1973年にファン氏が9歳の時に親類を頼って米国に送り出した。数年後には両親も合流してオレゴン州で生活基盤をつくった。ファン氏は当時の両親の決断について「文字通りすべてを犠牲にして移住した。狂気の沙汰だ」と振り返った。

 公立高校では成績優秀で、飛び級で大学進学資格を得た。高校生の時に経験したファミリーレストラン「デニーズ」での皿洗いとウエーターの仕事を、今もファン氏は「キャリアで最初の仕事」と話す。オレゴン州立大学でコンピュータサイエンスを学んだ後、シリコンバレーに移り住み、米AMDの技術者として働き始める。ファン氏は「これが2番目の仕事だ」と語る。

 ファン氏はその後、米LSIロジックで働きながらスタンフォード大で修士号を取得し、93年にエヌビディアを創業した。その足跡が残るのがシリコンバレーの一角、サンノゼにある「レストランデニーズ」だ。慣れ親しんだデニーズで、ファン氏は店舗の奥にある「C」の字形のソファ席で2人の共同創業者と起業のアイデアを煮詰めていった。

 その席には現在、「数兆ドルの企業が始まったブース」と書かれた銀色の記念銘板が飾ってある。ここを「創業の地」とするエヌビディアは、実際に2025年10月には世界で初めて時価総額5兆ドルを突破した。

 資産も人脈も持たず、自らの才能と努力で世界最大企業を築く――。ファン氏の人生は多くのアジア系移民にとって憧れの的だ。

エヌビディア創業の原点、デニーズのテーブル(写真:筆者撮影)
エヌビディア創業の原点、デニーズのテーブル(写真:筆者撮影)

米国のトップAI研究者のうち38%が中国出身

 ファン氏自身、スタンフォード大での講演で「アメリカンドリームとは、まさに俺のことだ」と言って会場を沸かせた。その言葉を聞いた聴衆の一人は「彼こそがアメリカのヒーローだ」と興奮気味に話した。

 だがトランプ米大統領は排他主義を強め、移民に対して厳しい姿勢を示し始めた。25年9月には外国人技術者向けの就労ビザ「H-1B」の新規申請の手数料を10万ドルに引き上げると表明した。日本円にすると1500万円と高額で、多くの国・地域の人々にとっては米国就労のハードルが高まった。

 シリコンバレーのテック企業はおしなべて移民が支えている。米ポールソン研究所のシンクタンクであるマクロポロの調査では、22年の時点で米国のトップAI研究者のうち38%が中国出身だった。グーグルのCEOがインド系であり、エヌビディアやアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)のトップは台湾系だ。AI研究における米国の優位性は外国人に支えられているのが実態だ。

 ファン氏は25年10月、社員に対して1通の書簡を送った。「移民はアメリカンドリームの中心だ」。トランプ氏のH-1Bの手数料引き上げによって社内で不安が広がるなか、同ビザで米国に滞在する社員を支え続ける考えを伝えた。

 移民国家である米国は、出自に関係なく才覚次第で成功できる国として大志を抱く多様な人材を世界中から引き寄せた。この人材吸引力が弱まれば、米国から「次のエヌビディア」は二度と現れなくなるかもしれない。

ジェンスン・ファンCEOは時価総額5兆ドルのエヌビディアをつくりあげた(写真:筆者撮影)
ジェンスン・ファンCEOは時価総額5兆ドルのエヌビディアをつくりあげた(写真:筆者撮影)

(第2回に続く)

株式投資やビジネス判断に役立つ知識として、半導体産業を網羅的に把握したい人のための、日本と世界の行方を読む1冊。インテル、エヌビディア、TSMC、サムスンといった大手企業はもちろん、中国や日本、インドなどの動きも収録。

日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2200円(税込み)