スマートフォンから自動車、兵器、人工知能(AI)に至るまで、あらゆる技術革新の中核を担う半導体。産業界に限らず、株式市場や国際政治においても半導体の重要性は高まり続けています。ビジネスパーソンや投資家、政策担当者が身につけておきたい半導体産業の基礎知識から2026年現在の企業間、国家間競争の最前線までを描いた書籍『半導体覇権 国家に翻弄される巨大企業』(日本経済新聞社編/日本経済新聞出版)から一部を抜粋・再構成してお届けします。今回は「インテルが育んだ革新の地、シリコンバレー」についてです。

インテル始まりの地、シリコンバレー

 1971年、週刊紙の「エレクトロニック・ニュース」に1本の記事が載った。見出しは「シリコンバレーU.S.A.」。当時サンタクララバレーと呼ばれていたカリフォルニア州の一帯に半導体企業が集まっていることを紹介する内容だった。この記事がシリコンバレーという地名の起源となった。

 元インテル社員のジェームズ・ケイプ氏は当時、11歳だった。「このエリア全体は『Valley of Heart’s Delight(心の喜びの谷)』と呼ばれていたんだ」。現地で育ったケイプ氏は、地元がアンズやスモモの果樹園が広がる田舎町から、テクノロジーの世界的な中心地へと発展した様子をずっと見てきた。

 ケイプ氏が住んでいた場所からわずか2キロメートルの距離に、「シリコンバレー発祥の地」がある。米電気電子学会(IEEE)が2018年に認定し、マウンテンビュー市のサンアントニオ通りに記念プレートを掲げた。

 トランジスタを発明したウィリアム・ショックレー氏が1956年に立ち上げた「ショックレー半導体研究所」があった場所だ。ショックレーは半導体材料として研究が始まっていたゲルマニウムからケイ素(シリコン)に切り替えて現在のシリコンベースの半導体の礎を築いた。

 半導体産業の夜明け前。野心を持った研究者らが集まったのがショックレー半導体研究所だった。ショックレー氏の強権的な性格に研究員らは反発し所内で軋轢(あつれき)が生まれた。

 57年に「8人の反逆者」が同社を去ってフェアチャイルドセミコンダクターを立ち上げた。

半導体産業を導いてきたインテルの今

 この中の2人が68年にインテルを設立することになるロバート・ノイス氏とゴードン・ムーア氏だった。このムーア氏がフェアチャイルドセミコンダクター所属時代に提唱した半導体性能の飛躍的な向上を予測した「ムーアの法則」は半導体業界のベンチマークとなり、幅広い産業の技術革新を導いた。

 2人はベンチャー投資家のアーサー・ロック氏から250万ドルを調達してインテルを創業した。説得に使ったのはわずか1枚の事業企画書だった。カリフォルニア州で本社や工場を立ち上げ、半導体産業の発展を導いた。まさにベンチャー投資の先駆けだ。

 同地には次々と半導体企業が勃興した。さらにメンローパーク市にあるサンドヒルロードと呼ばれる大通りにはベンチャーキャピタル(VC)が集まり、新興企業にマネーが流入するエコシステム(生態系)が醸成された。それが「革新の地」シリコンバレーの礎だ。リスクマネーと起業家の野心が結びつき、アップルや米フェイスブック(現メタ)という世界を変えるテック企業が生まれていった。

 「インテルがすべての始まりだった」。こう訴えるケイプ氏の顔には古巣の歴史への誇りがにじむ。今ではインテル出身者をつなぐ団体で代表を務め、当時の関係者らに話を聞きながらインテルの、そしてシリコンバレーの歴史を語り継いでいる。

 インテル本社の入り口には、自社の歴史を紹介する博物館がある。観光客から地元の小学生までが学びに訪れる。まさに米半導体産業の歴史を体現する企業だからだ。

 インテルの経営が苦境に陥っても、シリコンバレーの発展に果たした功績は色あせていない。

「シリコンバレー発祥の地」と書かれた記念プレート(米カリフォルニア州)(写真:筆者撮影)
「シリコンバレー発祥の地」と書かれた記念プレート(米カリフォルニア州)(写真:筆者撮影)

(第6回に続く)

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日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2200円(税込み)