多様な人を受け入れ、その違いを価値に変える「ダイバーシティ経営」は、組織の成長に欠かせない。しかし、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I、多様性と包括)の推進は、きれいごとではない、本気の風土改革が求められる。変化が起こっている組織ほど、経営者自ら、社員の心に響くリアルなストーリーを語ることで、現場を揺さぶっている。本稿は、『 異なる人と「対話」する 本気のダイバーシティ経営 』(日本経済新聞出版)より、3人の経営者による心に響くダイバーシティ・ストーリーを一部抜粋、編集している。1回目は、EYジャパンのチェアパーソン兼CEO(最高経営責任者)の貴田守亮さん。自らのマイノリティ経験を語ることで、社内に変化が起きつつある。
なぜ、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)が必要なのか。経営層からのメッセージは理屈ではわかるけど、現実はむずかしい、こう感じる社員も少なくない。そうした抵抗感があるなかで、リーダーがD&Iに関わる自身のパーソナル・ストーリーを語ることで、組織が動き始めることもある。とりわけ、リーダー自身のマイノリティ経験は、D&Iがなぜ必要かというストーリーに説得力をもたらす。
「監査法人だってLGBT+を語りたい!」
2020年12月、一風変わったタイトルのセミナーが、EY新日本監査法人社員を対象に開かれた。社内有志の企画によるもので、発案者は40歳前後の男性幹部、アライ(賛同者・支援者)を自認する幹部社員である。登壇したのは、グループ内のLGBTQとアライからなる有志グループ「ユニティ」代表のトランスジェンダーの社員、そしてEYジャパンのチェアパーソン兼CEOの貴田守亮さん(50歳)。CEOの貴田さんは、当事者としてこんなパーソナル・ストーリーを語り始めた。

米国の大学で音楽を学び、プロになることを目指していたものの、公認会計士の仕事を選んだのは、資格があれば同性愛者でも社会の中で生きていく道が拓けるのではないか、と考えたからです。米国でEYに入社してからも、ゲイである自分のセクシャリティを隠していることに悩み続けました。15年前、米国EYで経営幹部候補生になったときにカミングアウトすることを決意しました。このままでは自分のことを隠していたから昇進できたという負い目を感じ続けることになるのではないか……。もしカミングアウトが理由で昇進できないのであればEYは自分のいる場所ではないのだろう、と考え、カミングアウトは今しかないと考えたからです。
なぜ、私が職場でセクシュアリティのことを話そうと思ったのか、これが皆さんに一番お伝えしたいことです。
入社間もないあるとき、こんなことがありました。上司とともにクライアント企業の日本人男性幹部と会食したときのことです。「貴田君に、いい相手をみつけないといけないな」と言われ、不安にかられました。「(女性と)お見合いとなると困る」と思ったのです。嘘をつきたくはなかったものの、当時はまだ米国においてもLGBTQ当事者であることを職場で公表することは差別や解雇につながるリスクが高い状況でした。カミングアウトした場合に、クライアントから「わが社の担当はLGBTQ以外の人にしてくれ」といわれ会社に迷惑をかける可能性もあると、非常に心配していました。
答えに窮したことは数えきれないほどありました。職場のカジュアルな会話では「結婚しないの?」とか、「週末何してたの?……家族と一緒?」といった質問がしばしば飛び出します。会話は常に「相手が異性愛者である」ことを前提に進みます。意図せずとも、セクシュアリティが話題になるわけです。LGBTQ当事者にとっては、こうした会話は大変なストレスです。私自身今なお、初めてお会いしたり、ゴルフをしながらカジュアルな会話をしたりする際に「子どもはいらっしゃいますか」といった質問を受けると、自分がゲイであることを明かすか否か、絶えず考えて行動しなくてはいけない、ここでカミングアウトした場合に相手を困らせてしまうかもしれない、こうした悩みを抱えています。
当事者の中には、どうカミングアウトすればいいか思い惑う人もいれば、共有したくない人もいるので、LGBTQに限らずどんな人でも安心していられる職場にしたいと思います。みなさんも会議の場などで「LGBTQの人がもしいたら、この発言に傷つくことはないかな」、あるいは男性中心の会議で「女性に失礼な発言となっていないか」など、少し立ち止まって考えてほしいと思います。アンコンシャス(無意識)を、コンシャス(意識)に変えることが必要なのです。
LGBTQ当事者から「ほうっておいてほしい」と言われて動揺
イベント終了後、50代の男性幹部が人事担当者のもとにわざわざ立ち寄り、真剣な表情でこう語った。
「このセミナーに出て、初めてダイバーシティを自分ごととして考えました。今まで、女性や障がいのある社員など、弱い立場にある人のことかと思っていたのです」
そして、こう続けた。
「自分の同僚のなかにLGBTで(自然に振る舞えず)自分を押し殺している人がいることに初めて気づきました。私の不用意な発言で傷つけていたこともあるかもしれない……そう思うと、いたたまれない気持ちになりました」
LGBTQとアライからなる「ユニティ」にアライとして参加する社員の太田萌さん(27歳)は、CEOの貴田さんがメッセージを発する姿をみて「今まで関心のなかった層に理解を促すきっかけとなる」と感じている。
太田さんは米国で過ごした大学時代、LGBTQの友人らの「周囲にわかってもらえない」という苦しい胸のうちを聞くうちに、自身も少数派のアジア人として受けていた「偏見・差別」に通じるものがあると感じていた。そこで帰国してEYストラテジー・アンド・コンサルティングに入社するや、早速当事者とアライが共に活動するユニティに参加。社内啓発の担当となり、映画を観て語り合う社内イベントやランチ会を企画したり、LGBTQについての基礎知識を身に付けるeラーニングを制作したり、といった活動をしている。「カジュアルに語り合う場にしたい」という。
活動をするなかで、意外な反応もあった。当事者から「ほうっておいてほしい」という声もあったと仲間から聞き、ハッとした。「よかれと思ってのことだと思うけど、たいていは迷惑なんだよね」と言われて「(ユニティの活動は)私のエゴなのかも」と逡巡したことも。しかし、あるときユニティのワークショップにオブザーバー参加した貴田さんから「太田さんの参加理由に感動しました」と言われたことで、意を強くした。
入社以来3年ほど地道に活動をするなかで、周囲から「アライって何?」「LGBTQのユニティって何しているの?」と聞かれることが次第に増えてきた。職場でのプライベートに関する話題のなかで、以前は「彼氏、彼女」また「奥さん、ダンナさん」といった言葉が抵抗なく使われてきたが、今では「パートナー」と呼ぶことが少しずつ浸透してきたと感じている。
経営トップ自ら、マイノリティ当事者としての「パーソナル・ストーリー」を語り始めたことで、9500人のEYジャパンに、さざ波が起きている。

同性婚が認められない日本から、人材の海外流出が起きている
LGBTQ社員を支援する動きは、今大手企業の中で急速に広まっている。グローバル企業では、日本で同性婚が法律上認められないことで、優秀なLBGTQ人材の海外流出が起きているのだ。同性のパートナーやLGBTQの家族を持つ優秀な人材がLGBTQへの差別を禁止する法律のない日本への赴任を辞退する、またLGBTQのカップルが子どもを持ちたいと海外への異動を希望するといったケースが出てきている。そこで同性婚の法制化実現に向けてのキャンペーン「ビジネス・マリッジ・イクオリティ」が始まり、2021年9月6日時点で177の企業・団体が賛同を表明している。
CEOの貴田さん自身、パートナーを伴っての日本赴任にあたっては法の壁に阻まれて苦労した。米国で同性婚をした英国人のパートナーは、日本では貴田さんとの法的な婚姻関係が認められないため配偶者ビザの発行が認められず、就労ビザを得るまで2年かかったという。こうした経験も踏まえ、企業が誰でも安心して働ける環境整備をするにも限界があるとして、LGBTQに対する差別禁止、さらには同性婚を認める法整備を進める必要があると、貴田さんは国会議員らとの対話も重ねている。
貴田さんは米国では「アジア人、LGBTQ」というマイノリティだった。しかし日本の企業社会では今や「日本人、男性、経営者」という強力なマジョリティの条件を手にしている。そのパワーを自覚しているからこそ、自分にしかできない変革の波を起こそうと発信を続けているのだ。
[日経ビジネス電子版 2021年12月23日付の記事を転載]
「多様性」に挑む人たちの実録・風土改革!!
女性、シニア、外国人、障がいのある人、性的少数者(LGBTQ)、子育てや介護を担う人など多様なメンバーと協働する必要性は増しているが、画一的で旧態依然とした組織に根付いた価値観を変えることは容易ではない。
本書は、企業内でダイバーシティ推進に本気で挑む人たちの取り組みを「対話」「コミュニケーション」という切り口から、ベテランジャーナリストがまとめたもの。メルカリ、キリンホールディングス(HD)、東急電鉄、ソニーグループ、サントリーHDなどの具体的な事例をもとに、組織風土改革の参考になる工夫を解説。
野村浩子(著)、日本経済新聞出版、1980円(税込み)