なぜ私たちは直感に引っ張られてしまうのでしょうか。そして、それを避けるためにはどうすればよいのでしょうか。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの名著『 ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 』(村井章子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を、慶応義塾大学大学院経営管理研究科の清水勝彦教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

「俺は酔っていない」?

 本連載の解説で、私たちは合理的、論理的であるつもりなのですが、現実には無意識のシステム1(直感。連載第1回「 『ファスト&スロー』 なぜ人は間違ってしまうのか 」参照)に従って意思決定することが多いことをご理解いただけたのではないでしょうか。

 (1)目の前の個別事象(あるいは人)を重視し(2)客観的な確率を無視し(3)間違ったと言われても根拠があいまいな直感や信念に引っ張られて行動を変えないことが多い──のです。

 カーネマンが指摘するように、心理学から学べることは「新たな知識が増えたかどうかではなく、遭遇する状況の見方や認識の仕方が変わったかどうか」です。

 「見方が変わった」といっても、それは自分のシステム1が言っているだけかもしれません。「俺は酔ってない」とクダを巻くオジサンと同じです。他人から見れば悪酔いは明らかでも、本人は真剣に「酔っていない」と思っているのです。

 「見たものがすべて」のシステム1と「怠け者」のシステム2(知的活動。連載第1回参照)を手なずけることは容易ではありません。それではどうしたらよいのでしょうか。

 カーネマンは「システム1に教えても無駄」「私が進歩したのは、エラーが起こりそうな状況を認識する力だけである」と控えめですが、そもそも自分がバイアスのある直感に左右されていることを認識するだけでも、「分かったつもり」「俺は正しい」と思い込むよりましです。

 また、自分の直感を疑うことは難しくても、「他人が地雷原に迷い込もうとしているのを指摘するのは簡単」です。その意味で人間の意思決定というのは酔っ払いと同じで、「おかしい」と指摘してくれる誰か、しかも信頼できる人がいるかどうかが大切なことだと思います。

 自分のやりたいようにやる(直感に従う)ことは快いし、他人の助言を聞くのは苦痛です。しかし、スポーツ練習の後の筋肉痛のように、痛みは自分の成長を教えてくれるシグナルなのです。

人間は自信過剰になりやすい

 なぜ分かっていてもシステム1に引っ張られてしまうのか、そして他人の話を聞くのが苦痛なのか、その背景にあるのは、人間の自信過剰になりやすい性質と関係があります。できないのにできると思っていたり、危ないのに大丈夫と言ったり。それは頭が悪いとか、世の中の厳しさが分かっていないということではなく、本気でそう思っているのです(多くの場合、それはいい方向に働きます)。結果として「危機感」がなかなか生まれてこないというのもあるのではないでしょうか。

 『ファスト&スロー』では第3部全体(19~24章)を使ってこの自信過剰について考察を加えています。「90%のドライバーは、自分の運転は平均以上だと思っている」という例から始まり、専門家に厳しいコメントがずいぶん並んでいます。

 採用に関しては面接を重視する企業が多いのですが、カーネマンは「面接で最終決定をする方法は精度を下げる」と言い切っています。「面接官は自分の直感に過剰な自信を持ち、印象を過大に重視してその他の情報を不当に軽視し、その結果として予測の妥当性を押し下げる」のです。

採用の際、面接で最終決定をする方法は精度を下げるという(写真/Shutterstock)
採用の際、面接で最終決定をする方法は精度を下げるという(写真/Shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 実際にカーネマンはイスラエル国防軍で幹部養成学校生を選抜するためリーダーシップ能力評価を担当していました。いろいろな課題を与え、綿密に観察し、同僚と意見交換をしながら(とはいえほとんど意見の不一致はなかったそうです)この役目を達成したのですが、どんでん返しがありました。幹部養成学校の教官のフィードバックと自分たちの評価がまったくかけ離れていたのです。

 さらに、もう1つのどんでん返しがありました。そのまま引用します。

 前回の失敗の証拠をあれだけはっきりと示されたからには、多少自信が揺らいでもよさそうなものだが、全然そうはならなかった。……自分たちに予測能力などないことを一般的な事実として知っていたにもかかわらず、個別のケースになると自信が一向に揺るがなかった。
 かくして私は、最初の認知的錯覚を発見したのである。


後知恵バイアスとは

 自信過剰と関連してよくみられるのは(専門家だけではないですが)「実際に事が起きてから、それに合わせて過去の自分の考えを修正する傾向」、つまり「後知恵バイアス(hindsight bias)」です。カーネマンは次のように言います。

 私は『2008年の金融危機は避けられないことを事前に知っていた』とのたまう御仁をたくさん知っている。……危機があるかもしれない、と事前に考えた人は確かにいるだろう。だが、この人たちは、あると知っていたわけではない。今になって『知っていた』というのは、実際に危機が起きたからだ。よく使われる言葉の中では、直感や予感も、正しかったと判明した過去の推測についてだけ使われている。


 こうした後知恵バイアスは「後からとやかく言われたくない」ということで、リスク回避を助長(病院では万が一のために検査を連発したり、会社では少しでも関係ありそうな役員すべてに稟議を回したり)する一方で、「一発屋」をヒーローにしたりします。

 これは、先ほどの「損失回避」の逆で、失うものがない、あるいはどちらにせよ失うだけという場合に、人は逆にリスク追及型になります。

 例えば、ハーバード・ビジネス・レビューにもありましたが、失うものがない泡沫アナリストは極端な予測をした方がよいのです。そしてたまたま当たると「○○を予想した」なんてどかどかと宣伝して本なんかを出します。連載第2回「 『ファスト&スロー』 直感が生む3つの落とし穴 」で、アルゴリズムの方が専門家の予測よりも正しい場合が多いと述べましたが、極端な予想が当たる場合はほぼまぐれです。2回目はないと思った方がいいでしょう。

死亡前死因分析のすすめ

 こうした自信過剰、楽観的であることは、リスクを負って一攫(いっかく)千金を狙う起業家が出てくるという意味では、人間にとって大切な性格でもあります。ただ、常に成功、失敗の可能性を冷静に見ることも必要です。そうした失敗を最小化するために、本書では1つのアイデア「死亡前死因分析(premortem)」が示されています。

 今が1年後だと想像してください。私たちは先ほど決めた計画を実行しました。すると大失敗に終わりました。どんなふうに失敗したのか、5~10分でその経過を簡単にまとめてください。


 これによって、計画が進むとなかなか反対意見を言えなくなる(言うと会社や上司に対する忠誠心を疑われたりする)グループシンク(結果として、個人よりもグループの方がより過激に自信過剰になることも多いことが報告されています)を打ち破り、自由な意見交換をしやすくなります。

 自分を知ることは1人では難しいと言いましたが、このアイデアが、カーネマンの「敵対的な共同研究者」であるゲイリー・クラインから提唱されたというのも何か示唆的です。

『ファスト&スロー』の名言
『ファスト&スロー』の名言
画像のクリックで拡大表示
MBA定番書を一気に読破

ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。

日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)