「定年うつ」とは、仕事一筋だった人が定年退職を迎え、急にやることがなくなり、自宅に引きこもって暮らすうちに、うつ病になってしまうこと。最近は、定年後再雇用や早期退職の転進支援制度があり、「60歳を過ぎたら一様に退職する」ということはないものの、60歳前後でメンタルの落ち込みを経験する人は少なくありません。新刊『 50歳からの心の疲れをとる習慣 』の著者である心理カウンセラーの下園壮太さんに、こうしたメンタルの落ち込みを回避するためにできることを聞きました。

定年退職後にメンタルが落ち込み、うつ病になってしまう人は少なくない(写真はイメージ=Shutterstock)
定年退職後にメンタルが落ち込み、うつ病になってしまう人は少なくない(写真はイメージ=Shutterstock)

定年後再雇用や早期退職は一般的になったが…

 「定年うつ」という言葉があります。

 仕事一筋だった人が定年退職を迎え、急にやることがなくなり、自宅に引きこもって暮らすうちに、うつ病になってしまうというものです。

 趣味もなく、人間関係のほとんどが仕事に関連したものだったので、会社で働かなくなると社会とのつながりが失われてしまい、その結果、身近な家族以外と話す機会が極端に減り、気分が落ち込みがちになり、精神的に不安定になる……。心理カウンセラーとして長年活動し、多くの人をカウンセリングしてきた経験から、これが定年うつの実態ではないかと感じています。

 最近は、定年後の再雇用早期退職による転進支援制度などがあり、「60歳を過ぎたら一様に退職する」ということはなくなりました。それでもやはり、60歳前後でメンタルの落ち込みを経験する人は少なくないようです。

 なぜなら、定年後の再雇用や早期退職による転進支援制度を利用した結果、仕事をする環境が大きく変わり、その環境変化に加齢からくる心身の変化が重なって、これまでにない大きなストレスにさらされがちだからです。

自衛隊では平均55歳で定年に

 私が所属していた自衛隊という組織は定年が早く、平均で55歳という「若年定年制」を採用しています。そのため、次の働き口を探す再就職斡旋プログラムというありがたいシステムがあり、ほとんどの人が活用しています。

 私自身は利用しなかったのですが、その制度で再就職した多くの人たちからも、新しい職場で大きなストレスに直面した、と話を聞いています。

 自衛隊は、独特の文化を持った組織です。そこを出て再就職した先で、「これまでのやり方が通じない」という状況に陥ると、大きなストレスが生じるのです。中には、まるで自分自身の存在が否定されたように感じる人もいるようです。

 これは自衛隊に限ったことではありません。どんな組織で働いていても、同じことが起こりうると思います。

 定年後の再雇用で、同じ会社の同じ部署で働くことになっても、やはりストレスはあります。給料をはじめ、自分の役割や権限、仕事の内容などが、大きく変わるからです。

 「人生100年時代」では、できるだけ長く働くことが当たり前になると考えられています。しかし、60歳前後で働く環境が大きく変わり、メンタルに不調をきたす人が増えることは知っておくべきでしょう。

「楽になる変化」であっても心身にはストレスになる

 環境の変化からくるストレスを予防するには、事前の準備が重要になります。

 例えば、定年退職で会社を辞めたとたんに、何もかも自分で決めなければならないストレスにさらされます。事前に想定できるならば、組織を離れる前から準備をしておけば、変化の幅を小さくでき、ストレスも減らせるはずです。

 先ほど述べたように、自衛隊は定年が早く平均で55歳です。もし55歳で退職したら、年金をもらえるまでに10年くらいの空白期間があります。そこで私は、退職よりもずっと前から準備をしようとプランを考えました。

 私は陸上自衛隊の心理教官として、隊員のメンタルケアに携わってきました。そのため、退職後を見据えて50歳のときに、「本当に実力のあるカウンセラーを育てる活動」を行うために、仲間と一緒に、現在理事長を務めているNPO法人「メンタルレスキュー協会」を立ち上げました。

 ずいぶん早くから準備していたのだなと思われるかもしれませんが、自衛隊では「作戦は長期を見据えて立てる」と教わるので、これくらいの準備期間が必要だろうと考えたのです。

 それにもかかわらず、私は定年退職後に体調不良に見舞われます。

 私は57歳で退職しましたが、その前から心理カウンセリングの仕事や、講演、執筆を行っていました。退職後もそれらの仕事を続け、我ながら万全の準備をしたつもりでした。ところが、退職から数カ月たったときに、なぜか突然、声が出なくなってしまったのです。

下園さんは、定年退職後に、講演中に声が出なくなるというトラブルに見舞われた(写真はイメージ=Shutterstock)
下園さんは、定年退職後に、講演中に声が出なくなるというトラブルに見舞われた(写真はイメージ=Shutterstock)

 講演中に、声帯がつぶれたように声が出せなくなり、無理に話そうとすると咳が止まらなくなりました。ほかの不調は全くなく、市販ののど薬でしのいでいました。講演の予定は詰まっていて、終わるたびにヘトヘトです。この不調は思ったより長く、半年間続きました。

 今思えば、それは自覚のないストレスが原因だったのでしょう。自衛隊に所属しながら講演や執筆活動をしていたとき、私は組織からの制約を感じていました。退職し、その制約から解放されて自由になったわけですが、生活リズムが大きく変わりました。

 長年、朝6時に自宅を出て職場に行くという規則正しい生活を送っていました。それがなくなり、朝はゆっくりできます。しかしそれは、「全力で走っている」状態から「ゆっくりペース」にスピードを落とすという、変化だったのです。

 一見楽になる方向の変化であっても、心身には負荷がかかるというわけです。

「指示待ち人間」は定年後にメンタルが落ち込みやすい

 私が勤めていた自衛隊は、あらゆることが規則で決められています。服装から職務範囲、上下関係まで決まっているので、窮屈に感じる半面、自分が何かを決めなくていいというメリットもあります。これは、一般の企業でも多かれ少なかれ同じでしょう。

 組織の規則の中で働いていると、次第に「やらされている感」が育っていきます。何か物事を行うときに「こういう指示を受けたから」という発想でこなすのが、「やらされている感」です。

 私のカウンセリング経験から言うと、定年退職後に虚しさに囚われてメンタルの落ち込みを経験する人は、どうも「与えられた仕事をきちんとこなしていく立場」だった人に多いように感じるのです。

 あまり自己裁量権がなく、仕事を与えられることに慣れていた人が、新たな環境に移ると、それまでとのギャップを大きく感じ、心身への負荷が高まりやすいのかもしれません。

 逆に、役職に関わらず、自分で仕事の内容を決めていく立場にあった人のほうが、環境の変化に柔軟に対処できているような印象があります。

 「やらされている感」のメンタリティを引きずったままリタイアし、新たな環境に身を投じた人は、無意識のうちに「周囲が何か指示してくれるもの、準備してくれるもの」と期待します。

 本来であれば、やりたいことがあれば自分で準備をし、行動し、責任をとらなければならないのに、それをせずにただ待っているだけ。

 しかし、誰かの指示や準備を待っているだけでは、現実の物事は動きません。

 「指示待ち体質」の人は、自分が所属する新たなコミュニティや、家族への期待を一方的に高めがち。その結果、期待通りにいかないギャップに直面すると、「本当はやりたいことがいっぱいあるのに、やらせてもらえない」と被害者意識を抱くようになってしまうのです。

「不平不満症候群」になるのを回避するためには?

 仕事をリタイアしたあとに、本当はやりたいことがあるのにやらせてもらえない、と被害者意識を抱くことを、私は「不平不満症候群」と呼んでいます。

 何か物事を始めるには、自分から能動的に取り組み、行動しなければならないのに、受け身の姿勢のまま、思い通りにいかないのを自分以外のせいにしてしまうのです。しかも、勝手に不満を募らせ、その怒りを自分以外のほかのものにぶつけようとします。

 不平不満症候群になってしまうと、毎日自分の心が疲れてしまうだけでなく、周囲から孤立し、それがストレスとなって、うつ病や認知症のリスクを高めてしまう恐れもあります。

 不平不満症候群がなぜ生まれるのかというと、組織の中で長い時間をかけて、その人の価値観がいつのまにかカチカチに凝り固まってしまったからではないでしょうか。

 不平不満症候群の人が、定年後にテレビやパソコンを眺めるだけの孤独の日々が続くのは嫌だと思って、何かのコミュニティの集まりに参加することもあります。しかし、そこで自分が「大切にされていない」と感じたとたんに、怒鳴ってしまうことがあります。

 後で「言いすぎた」と反省し、謝っても、「でも正しいのは自分だから」などと一言付け加えたりして、周囲から余計に嫌われてしまうのです。

 これは、組織でディスカッションをするときに、相手を言い負かすことが生きがいだったような人に多いと言えるでしょう。定年後も誰かと言い争いになると、すぐに戦闘モードのスイッチが入り、相手をやり込めたくなるのです。再就職先などでも、自分の経験談ばかりを主張して、周囲から嫌がられてしまいます。

 そういう人が変わるためには、時間をかけて、自分の凝り固まった価値観を解きほぐしていく必要があります。そのためには、できれば定年になる前の50代のうちから、組織の外でさまざまな価値観に触れ、自分の価値観に揺さぶりをかけておくことが大切です。

日経Gooday(グッデイ) 2023年3月20日付の記事を転載/情報は掲載時点のものです]

50歳を過ぎると、体力が衰えて、疲れが抜けなくなってくるだけでなく、心も疲れやすくなってきます。ちょっとしたことでイライラしたり、傷つきやすくなったり、気分の浮き沈みが大きくなったり……。人生100年時代では、50歳はその「折り返し地点」。残りの長い「人生の後半」は、心の疲れをきちんとケアすることが何よりも大切になってきます。本書では、元・陸上自衛隊の心理カウンセラーである下園壮太さんが、あなたの心と体に寄り添う「メンテナンス習慣」をお教えします。

下園壮太(著)、日経BP、1650円(税込み)