生産性、創造性のかけらもないブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)は、どのように生まれ、なぜ私たちの心を蝕(むしば)んでしまうのか。人事・組織コンサルタントとして、多くの企業・職場を観察してきた相原孝夫氏が、自身の体験を紹介。相原氏の著書『なぜ私たちは、仕事が嫌いになるのか。 ハイパフォーマーの隠された真実』(日本経済新聞出版)から抜粋・再構成して解説する。
私が経験したブルシット・ジョブ
私自身がこれまで行ってきた中で、ブルシットの色合いが特に強く、「さすがにこれは価値を生まないでしょう、クソどうでもいいでしょう」と思われた業務を2つほど挙げてみたい。
1つはグループチャット・ツールによって生み出されたものだ。あるクライアントは、米国生まれのグループチャット・ツールをその企業グループ全体で導入しており、付き合いのある他社にもそのツールを使ってコミュニケーションすることを求めていた。
初めて使うので、どんなものかと興味もあったが、結果は大変カオスなものだった。多くの人たちで共有するという考えがベースにあるのだろう、会ったこともない多くの人たちが参加しており、グループチャットだから、自由に発言もする。どこから球が飛んでくるか分からず、それは変化球であったり、豪速球であったり、デッドボールであったりという感じだった。
それらすべてをフェアゾーン内に打ち返すことは容易ではない。前回のミーティング時に説明したことについて、ミーティングに参加していなかった人から質問が来るなどは普通で、しばらくプロジェクトが進んだあとに「そもそもこのプロジェクトの目的は?」なんて質問が出たりもした。
プロジェクトの目的など、社内的な話なので放っておいたら、発言を求められたので、こちらの見解を述べる。すると、それに対する質問がいくつか来る。他社事例を求めてくる人などもいて、開示できる範囲でいくつか示すと、当然、その説明に対してさらなる質問が押し寄せる。こういったやりとりに深夜まで対応することになった。
この企業は、グループチャット・ツールが生産性を高めると信じて導入したのだと思うが、とてもそのようには思えなかった。飛び交う膨大な情報にすべて目を通すだけでもかなりの労力を割かなければならないし、それぞれの興味や関心で話があちこちに飛ぶので、プロジェクトは明らかに進みづらくなる。場合によっては座礁してしまうだろう。
この時のプロジェクトについては結局、このままでは期限までの完了が困難になってしまうということで、コミュニケーションの窓口をプロジェクトリーダーに一本化していただき、つまりは通常のコミュニケーションの形式に戻して進めた。
「仕事をしているふり」をする人の救済ツール
価値を生まないばかりか、価値を生み出す時間と労力とをそいでしまいかねないこのグループチャット・ツールだが、やることがなくて、それでも仕事をしているふりをしなければならない人にとってはまさに「救済ツール」だったことだろう。
プロジェクトが完了し、振り返りのミーティングの際にプロジェクトリーダーが言っていたことが印象に残っている。このツールの導入による一番の変化は、効率化でもコミュニケーションの活性化でもなく、「これまでは貢献度が薄く、存在感の薄い幾人かの人たちが、グループチャットの中で急に存在感を増したことです」というのだ。
ちなみに、このツールを提供する米国の会社の本社では、「早く仕事を終えて早く帰る」、そして「帰宅後のツール使用は禁止」がルールとなっているそうだ。功罪の「罪」のほうも熟知しているからこそのルール化なのだろう。
しかし、宣伝上は「功」ばかりを強調するから、それを真に受けて、「罪」についてはまったく考えずに導入した企業では似たり寄ったりの事態になったことだろう。このツールに限らず、一般的にコミュニケーションツールや業務システムなどについては、この傾向がある。
経営者の責任が大きいと思うが、他社での成功例に過剰に反応して、幻想を抱いたまま導入を進めてしまう。米国発のものがほとんどだと思うが、これまで数限りなくそうした例はあったが、会社にきちんと根づいて効果をあげているという例を聞くことは残念ながら多くない。
誰も読まないリポートを書かされる
もう一つはだいぶ前の話になるが、私が米国のコンサルティング会社の日本法人に勤めていた頃のことだ。米国企業らしく、良くも悪くも、業績やキャッシュに関しては特段に執着のある会社だった。
当時、私はその会社内では最大の部門の部門長をしていたが、これも米国企業らしく、大変高い目標が設定されていたこともあり、売り上げ目標の未達が数カ月続いたことがあった。そのたびに、目標と実績のギャップの原因分析や、今後の対策等について、30ページほどの英語でのリポートの提出が求められた。
1億円の目標に対して100万円、200万円の未達なんて誤差範囲内ではないのか、との思いを抱きつつも、当初は結構な時間を割いてリポートを作成していた。
しかし、それが続くと、そもそも目標未達の原因にしても、対策にしても、ひと月前とさほど変わるわけではないし、英語が得意ではない私としては苦痛でしかなかったので、ある時、前月に提出したものをそのままコピー&ペーストして提出してみた。どこかから何か言ってきたら、うっかりしていたとかなんとか言って、多少変えて再提出すればいいかと。
そうしたら、案の定というか、1カ月たっても、2カ月たっても、どこからも何も言ってこなかったのだ。結局、誰もリポートを見ていなかったわけだ。提出することに意義があるということなのか、要するにそういうルールになっているからそうしているにすぎなかったのである。
無意味な業務が人を苦しめる
どこの会社にも似通った「クソどうでもいいルール」はあると思うが、それによって、忙しい最中に、まったくのブルシットな業務に多くの時間を割かされてはたまったものではない。
それ以降はもちろん「コピペレポート」しか提出しなかったが、ブルシット業務に奪われていた私の時間は、付加価値を生み出す業務へと振り向けることができるようになった。
これらの経験を振り返って思うのは、苦しかったのは、深夜までグループチャットに付き合うことや、無意味なリポートを作成することよりも、意味がないと思う業務に多くの自分の時間を割かなければならなかったことだ。
いずれも、意味がある、価値を生み出していると自分が心から思える業務であったならば、時間はかかっても、ストレスをためることはなかっただろう。ブルシット・ジョブはこの点において、その職に就いている当人の精神を蝕んでしまう要素をはらんでいる。
相原孝夫著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)


