経営学者の舟津昌平さんが執筆して2024年11月に刊行された『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』(日本経済新聞出版)は、実践のための経営学とは何かを考えるための一冊。舟津さんは、なぜ「ふだん使いの三つの思考」というユニークな切り口で本を執筆したのか。採用支援サービス会社のワンキャリアで自社の採用現場にも関わる北野唯我さんとの対談第2回では、経営学は役に立つのか、経営学者にしかできないことは何か、舟津さんに問いかける。
経営学者だけが持っている2つの存在価値
北野唯我さん(以下、北野) 『経営学の技法』はかなりユニークな本だなという印象を持ちました。どういう経緯で書くことになったのですか。
舟津昌平さん(以下、舟津) 最初は、「経営学基礎論」のような、講義で使える教科書っぽいものを書こう思ったんです。ただ構想している中で編集者さんからいろいろアドバイスをいただいて、一般書としても読めるように軌道修正しました。アカデミックな知識を盛り込むのみならず、読み物として面白くしようと。つまり単一の目的に対して論理的に書いたというより、モザイク的な変な本だとは思います。
北野 この本の最初でも触れていましたが、そもそも経営学者という役職のバリューは何か。私は、大きく2つあると思います。1つは、大学教員という中立・公平な立場で、利害関係なく言えること。そしてもう1つは、いわゆる分析能力。情報を整理し、それを体系立てて取捨選択して分かりやすくアウトプットすること。後者が得意な方はコンサルティングファームやシンクタンクにもいますが、前者は無理でしょう。どこまで行ってもポジショントークになりますから。
その点、この2つの要素を持ち合わせていることが経営学者の強みなのかなと思っています。どうですか?
舟津 おっしゃるとおりです。ポイントはその両方があることだと思います。昨今、大学の研究者はどんどん生きづらくなっていると言われます。少子化で学生数が減っているので、市場原理からすれば必然ですが、大学は今後確実に数も規模も減っていきます。学問分野として不要と言われて排除されるという危機感を、少なくない大学人が抱えています。
では経営学は大丈夫か。一見役立ちそうではありますが、実際に社会でどういう貢献をしているかというと、よく分からない面もあります。
その中で経営学者の存在価値が何かと言えば、まさに北野さんが言われた2つでしょう。特に意味があるかなと思うのは、利害関係者ではない第三者の視点で経営について考察したり記述したりすることですかね。そういうものを世に残せば、そこから多くの人が学べますから。
ただ、学者として何をプラスアルファできるかは常に考えています。独自の強みがないと、代替可能な手段は世の中にたくさんあると思うので。
「エビデンス」だけでなく「箴言」も大事
北野 この本では、「ふだん使いの三つの思考」というものを提示されていますね。1つは「条件思考」で、この制度の導入でこうなると短絡的に考えるのではなく、こういう条件がそろったときにこうなるという考え方。これは意思決定に関わる話なので、特に管理職にとって非常に重要な気がしました。2つ目は「両面思考」で、ものごとを一面だけで見てはいけないと。たしかに新規事業を立ち上げるときも、メリットばかりということはあり得ませんね。
そして3つ目が「箴言(しんげん)思考」。これは前回 「北野唯我×舟津昌平 麻雀が強い人は採用も強い」 で取り上げていただいた私の本『 「うちの会社にはいい人が来ない」と思ったら読む 採用の問題解決 』(ダイヤモンド社)にある「採用の9か条」に通じる話かなと。多くの人にもっとも分かりやすく伝えられるのは、やはり箴言的なものですよね。キャッチコピーのようなものは覚えやすいじゃないですか。
舟津 そうなんです。たしかにご著書の「9か条」と共通しているなと。箴言的な形で提示するのがもっとも伝わると思われたわけですよね。一つ一つについて詳しく説明した上で、チェックポイント的に箴言にまとめて、何が大事かを確認してもらう。これを何度も繰り返すことが、一定のパフォーマンスを出すために効率的な方法だと思うんです。
実はいまだに高い人気を誇る経営学者ピーター・ドラッカーの本も、同じような使われ方をしてきたんじゃないでしょうか。経営者や実務家がなぜ何度も読み直すかといえば、おそらくリマインドするためですよね。
ある意味でそのカウンターとして、今まさに台頭しているのがエビデンス主義だと思います。要するに常に科学的な根拠を求めるわけですが、これはうまく使わないと非常に危険。エビデンスの元をたどっていくと研究者の論文などに行き着くわけですが、一般の方はそんな論文を読めないし、読まないですよね。その結果、一部だけを切り取られて誤解されたり、意図的にねじ曲げられて伝えられたりする。そういう使われ方をするぐらいなら、正しく分かりやすく伝えるために、専門家が箴言として伝えていく。
北野 そうですよね。「ダイバーシティ」なんてまさにそれです。いろいろな研究論文をエビデンスにして、重視したほうが企業の業績は上がると吹聴されていましたが、昨今の世の中では逆戻りしています。ダイバーシティなんていらないと。では以前の盛り上がりは何だったのか。
舟津 もちろん、ダイバーシティそのものはすごく大事です。ただここ数年でものすごく「流行」しましたよね。世界的に著名な学術雑誌にダイバーシティ関連の論文ばかり掲載されるという流れもあったり。
多様性の重要性は以前から分かっていたはずです。ダイバーシティ研究はかなり昔からちゃんとした流れがありますからね。それがまるで最近発見されたかのように取り上げられ、次々と「エビデンスが見つかる」のは、どこかおかしい。最近とある論文に、結局エビデンスを求めると言っても、もともと持っている知識ベースや思想に基づいて文献を選択している傾向がきわめて強いと指摘されていました。そうだろうなという気がします。
別に恣意的ではなくても、ダイバーシティが大事だと思っている人はダイバーシティの論文を「なぜか」見つけてくる。逆にダイバーシティを否定する論文が出たとしても、目に入らない。もちろんその逆もしかり。得ようとするエビデンスの選択にバイアスがかかっているわけです。
きちんと仕事をしている人ほど嫌われる
北野 ただ一方で、昨年話題になった政治資金の不記載問題は、ある大学の先生が粗いデータをかき集めて分析したことがきっかけで発覚したんですよね。利害関係がなく、社会全体の公益に資する働きができるのは、やはり学者の利点かなという気がします。コンサルには無理ですよね。
舟津 たしかに価値中立な存在は大事だと思います。以前、とある有名な会計学者の方が、講演で「実務家のご機嫌を取るような仕事をしてはダメだ」という話をされていました。本当にそうだなと。学者が時流に流されるのは危ない。
北野 そうですよね。例えば今、財務省がSNS(交流サイト)などでさんざんたたかれています。でも考えてみれば、会社のCFO(最高財務責任者)とかも、優秀であるほど嫌われるじゃないですか。利益を創出するためには絶対に必要なのに。財務省も基本的にはそういう役割ですよね。
つまり、そもそも嫌われていることが仕事をしている証拠とも言えるかもしれない。逆に言うと、もし嫌われていないとすれば、それは本来の役割をまっとうしていないということかもしれません。
舟津 おっしゃるとおり、財務省は財務省なりの論理に従って仕事をすればいい。それを調整するのは、指揮監督する内閣の仕事ですよね。ところが、そういう構造があまり理解されていない気がします。システムのうちの切り取られた一部分だけが批判の対象になる。
それに、たしかに、嫌われていない人は、たぶん何もしていない人でしょうね。でも昨今は、人から嫌われることを極端に恐れる風潮があります。どうすれば嫌われないかを重要視するあまり、何もしないことを選択する人が多いんじゃないでしょうか。
北野 そうなんですよね。逆にソフトバンクの孫正義さんとか、ファーストリテイリングの柳井正さんとか、ニデックの永守重信さんとか、一部からはものすごく嫌われていますよね。でも当人たちはまったく気にせず、きちんと結果を出し続けている。そこが、当代一流の経営者としての違いでしょう。
経営学者の役割の一つは、こういう経営者的な気概を持つことかもしれません。俯瞰(ふかん)して、客観して、機能的に定義する。たとえ誰かに嫌われても。
舟津 経営学者の役立ち方として面白いなと思った事例があります。ある企業が海外に拠点を設置したとき、実態がないペーパーカンパニーじゃないかと国税局から指摘されたというのです。そこで経営学者が見解を求められたのですが、その方はあくまでも専門家の見地から、この海外拠点にはちゃんと機能がある、ペーパーカンパニーではないというリポートを提出したそうです。
当事者どうしがもめている事象に対して、どちらかに肩入れすることなく、専門家として一定の見解を出せるような立ち位置を維持すること自体が重要ですよね。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集)、石純馨(日経BOOKSユニット) 写真/鈴木愛子
経営学はいかに社会の役に立ち得るのか。実学とされる経営学は、科学的な正しさと、一般の人へ伝えるための分かりやすさとの間で壮大な矛盾を抱えている。伝統的なトピックを題材に、あえて素朴な問いをぶつけてみるという手法から、真に実践的な経営学を考え直す。
舟津昌平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)





