その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は幡野武彦さん、松田琢磨さんの 『日の丸コンテナ会社ONEはなぜ成功したのか?』 です。
【プロローグ】
邦船3社が赤字お荷物事業を統合してシンガポールに飛ばしたら、「出島組織」に奇跡が起きて2年連続で利益が2兆円!
「出島組織」ONE
シンガポールに本拠地を置くコンテナ海運会社Ocean Networ Express(オーシャン・ネットワーク・エクスプレス、通称ONE)のマネージング・ダイレクターである岩井泰樹(54)が長崎市に姿を見せたのは2022年11月12日。
数日前にはONEの2022年度決算予想が発表され、関係者を驚かせていた。同社の利益予想が152.7億ドルに上ったからだ。同年後半にはコロナ禍を受けたサプライチェーンの混乱が一段落し、高騰していたコンテナ運賃も急降下している。ところが、売上減にもかかわらず、円換算すると1ドル140円の円安効果で2兆1378億円。運賃高騰の恩恵を受けた前期2021年度も、売上高300億9800万ドル、税引き後利益167億5600万ドル(当時の為替換算で約2兆1800億円)と仰天の稼ぎであり、2年連続2兆円の利益となった。
岩井がこの地を訪れたのは、「第1回出島組織サミット」に出席するためだ。同市にある国指定史跡、「出島和蘭商館跡」内の旧長崎内外クラブで開催されたこのイベントは、江戸時代の出島になぞらえて、本社や本部から離れた場所で新しい試みや知恵・工夫を生み出す組織やチームを「出島組織(Dejima team)」と称し、全国各地から集まって互いに知恵や工夫を出し合うことを目的としたものだ。
江戸幕府が作った出島はオランダや中国との貿易窓口として、当時の日本にとって唯一の公式交流拠点だった。貿易にとどまらず、文化や学問の輸入から国際情勢に関する情報の集まる重要拠点として、江戸時代における日本の近代化を支えた。一方で外国との通商を制限していた当時の日本で出島がこれだけの機能を発揮できた背景には、江戸から遠く離れていた地の利もあった。
実行委員会副会長の倉成英俊によると、出島組織の定義は、次の通りだ。
①本体組織から何かしらの形ではみ出して
②新しい価値を生む組織
当日は主催者の趣旨に賛同して、30社52人の「出島組織」が集結した。数々のユニークな参加者の中でもひときわ目を引いたのが、海外組のシンガポールからやってきたONEだった。
岩井はONEが出島の精神を引き継いだ企業であることを強調し、熱い思いで参加者に語りかけた。
「当時の日本にとって、世界とつなぐ唯一の窓口である出島ほど重要な場所は存在しませんでした。出島こそ日本の海運業にとっての原点であり、ルーツでもあります。出島を通じて学んだ海外の優れた手法や知識によって日本各地の港が発展し、海運業が台頭することになりました。われわれはいまシンガポールで、出島の精神を改めて見つめ直しながらビジネスをしています」
3社のコンテナ事業を統合
2017年7月、川崎汽船、商船三井、日本郵船という日本の大手海運3社がONEを設立した。だからONEは、発足して5年余の新しい会社である。
ONEの親会社となった海運3社は、いずれも100年を超える歴史を持つ日本の大企業である。業界では邦船3社と呼ぶ。彼らは世界で五指に入る運航規模を誇り、船の種類もタンカーからばら積み船、自動車専用船など幅広い。
現在はONEに集約されたコンテナ輸送も、かつて3社の事業部門として互いに鎬(しのぎ)を削っていた。コンテナ船部門は、前身となる定期船輸送部門の時代から重要度もステータスも高い存在と位置づけられ、3社の歴代経営陣の多くを輩出してきた伝統部門だった。
ところが、コンテナ船事業は長きにわたって収益性の高い事業ではなかった。世界景気の変動の影響をもろに受ける市況業種で、近年も世界を襲った2008年のリーマン・ショックによる不況の荒波を受けて業績が低迷していた。
赤字脱却のための悪戦苦闘は長く続き、コンテナ船部門の事業拠点を日本から海外に移すなどの試みも行われてきた。分社化はしていないものの、コンテナ船の本部機能を日本郵船がシンガポール、商船三井は香港に移管し、川崎汽船もコンテナ船部門の中核機能をシンガポールに置くなど、3社とも早くから海外を中心とした事業運営に切り換えていた。
最終的に3社はそれぞれのコンテナ船部門を本体から切り離し、合弁で新会社を発足させる決断を下す。それで誕生したのがONEだった。
ONEは現在、約200隻のコンテナ船を運航し、170万本のコンテナを使って世界規模で輸送サービスを展開している。「世界のどの会社とも違う色」のピンク(マゼンタ)色の船体とコンテナに、岩井らが掲げた「出島組織」の理想が込められている。もちろん、ピンク色は日本を代表する桜を象徴してもいる。
120カ国との間で130の定期航路を提供するネットワークを張り巡らせ、顧客数は2万社を超える。従業員は全世界で1万1000人。シンガポール本社スタッフの国籍は19カ国に上るグローバルカンパニーである。
世界規模でビジネスを手がける大きさもさることながら、特筆すべきは世界の名だたる有名企業と比べても遜色のない業績である。2021年度の日本企業で最終利益のトップはトヨタ自動車の2兆8501億円、2位はNTTで1兆1810億円、3位が三菱UFJフィナンシャル・グループで1兆1308億円。単純に比較すると、ONEはトヨタ自動車に次ぐ日本企業第2位の利益をあげたことになる。今期も円安で好業績企業が相次ぐ中、ONEは再び利益で上位に名前を連ねることが確実だ。
不振事業を本体から分離し、企業の枠を超えて事業統合する事例は半導体や液晶パネル(LCD)など他産業でも見られるが、政府の後押しを受けて誕生した「日の丸事業統合会社」でうまくいった例はない。
半導体では、NEC、日立、三菱電機のメモリー部門を統合したエルピーダメモリが2012年2月に経営破綻して、米半導体大手のマイクロンテクノロジーに売却された。
ロジック半導体のルネサスエレクトロニクスは、三菱電機と日立、NECエレクトロニクスが事業統合して2010年に誕生した。同社は自動車向けなどのマイコンに強みを持つが、2010年代前半まで毎年1000億円の赤字を出し、2013年には政府系投資会社の産業革新機構(現INCJ)の傘下に入って経営再建に取り組んでいる。
液晶パネルでは、産業革新機構主導で東芝、日立、ソニーの中小型液晶パネル事業を統合して2013年にジャパンディスプレイが設立されたが、事業環境の悪化などもあって2022年3月、資本金を1億円に減資している。
危機打開のために集まった「日の丸事業統合会社」は、いずれも経営環境の変化についていけず、ジリ貧に拍車をかけた。だから、複数企業が赤字事業を統合することは、最後の手段と見られても当然だった。
ONE快進撃の秘密
では、日本郵船、商船三井、川崎汽船の3社の経営判断によって誕生したONEはなぜ短期間で成功を収めたのだろう。
第一の理由は、邦船3社の本社や許認可権限を持つ霞が関がある東京から遠く離れたシンガポールに「出島組織」として設立されたことだ。そのことで、本社や監督官庁の考えを忖度することなく、細かく口出しされることもなく、グローバル市場を相手にゼロからスタートアップ企業のように設計できた。
「新しいことを積極的に取り入れながら、意思決定を早く下せる体制を構築できた」
2022年12月でシンガポール駐在歴が通算10年になった岩井は振り返る。
筆者2人(幡野、松田)は2022年10月、コロナ規制解除後のシンガポールを訪れた。同地ではコンテナ船をはじめ、多くの船舶がはるか沖合まで停泊するマラッカ・シンガポール海峡を望むONE本社で関係者のインタビューを行った。
さらに、世界のコンテナ港湾の中でも立ち入ることが難しいことで知られるシンガポール港で、現在主力のコンテナ専用埠頭であるパシールパンジャン・ターミナルの内部を見学した。港を運営する世界最大の港湾運営会社の一つ、PSA幹部の案内でコンテナヤード内でのコンテナ自動積み下ろしを制御する最新鋭施設の内部も見ることができた。
ONE本社はシンガポール経済の中心マリーナベイ地区にあり、隣接するビルが建つ前までは公園のマーライオン像を直下に眺めることができた。
オフィスではシンガポール人女性幹部の姿が目立ち、Googleなど外資系企業のオフィスを参考にしたというハイテク企業風のレイアウトの中で多国籍のスタッフが働いていた。
エントランスから近いオペレーションルームでは、ONEが運航するコンテナ船の現在地を表示する最新鋭の大型スクリーンが設置されている。30代、40代の若手が中心になって「創業」したスタートアップを思わせる雰囲気で、ネットで半ば自嘲気味にJTC(ジャパン・トラディショナル・カンパニー)と呼ばれている伝統的大企業が母体とは思えない企業風土を短期間で作り上げていた。
経営面でも3社の垣根を取り払い、ミシガン大学ビジネススクールに留学経験のある岩井らが、ゼロから組織を設計した。これも「出島組織」だったことが幸いした。
成功の第二の理由は、コンテナ事業を取り巻く環境の急激な変化である。
新型コロナウイルス感染に伴う世界的な巣ごもり需要により、消費財などを運ぶコンテナ輸送の引き合いが急増した。コンテナ運賃は過去に見ないほどの高値を記録し、コンテナ輸送を営む海運会社は軒並み最高益を計上した。海運市況の好況なくしてONEの好業績はあり得なかった。
ただし、ONEの好業績は、海外の海運会社と比べても目を見張るものがある。サービス開始からわずか4年で海外の大手海運会社と伍して競争できる体制を確立し、MSC(スイス)、APモラー・マースク(通称マースク、デンマーク)、CMA CGM(フランス)、中国遠洋海運集団(COSCO)(中国),ハパックロイド(ドイツ)、長栄海運(エバーグリーン)(台湾)に次いで堂々の世界第7位(2022年11月現在)に躍進した。
これは、ONE自身の奮闘の賜物だ。各国の競争当局に事業認可を取り付け、必死にセールスを進めた結果である。事業運営を開始した2018年度こそ5.86億ドルの赤字だったが、次年度に黒字化した。2019年度が1.05億ドルの黒字、2020年度には34.84億ドル、サービス開始4年目の2021年167.56億ドル、2022年度予想も152.69億ドルの黒字と快進撃を続けている。
閉塞感が強い日本企業、しかも3社の赤字お荷物事業部門が統合して「出島」シンガポールで発足した企業が、起死回生の大逆転を収めることができた。こんな事例は、「失われた30年」でM&Aや赤字部門の企業の枠を越えた事業統合などの手段を使って事業の再構築を進めてきたJTC史上、他に例がない。
「ボーナスが十数カ月分出たらしい」
こんな噂が国内の海運関係者の間で広まった。ONEの好業績による利益は、株主である邦船3社にも還元されている。2021年度の連結経常利益は日本郵船1兆31億円、商船三井7217億円、川崎汽船6575億円。3社ともに過去最高を記録したが、その大半がONEからの持分法投資利益による貢献だった。
コンテナ輸送とそれがもたらした国際物流の革命的変化については、マルク・レビンソン 『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』 (村井章子訳、日経BP社)に詳しい。この本によって、多くの人々がコンテナという「箱」の重要性を意識するようになってきた。また、コロナ禍を経て、これまであまり目に触れる機会が少なかった海運業界やコンテナ、海上輸送のことが報道でも多く伝えられるようになってきた。ただ、日本におけるコンテナ輸送事業とその歴史を業界紙や専門書以外で取り上げられたことは、ほとんどない。
本書では、日本にとってコンテナ輸送を手がける唯一の海運会社であり、シンガポールという出島で「奇跡」の物語を繰り広げているONEを取り上げ、その発足から快進撃に至る歴史をシンガポールでの現地取材も含めて描く(文中敬称略)。
【目次】